【新刊紹介】「世界のセイコー」はいかにして誕生したか:楡周平著『黄金の刻 小説服部金太郎』

Books 仕事・労働 経済・ビジネス 歴史

本作は、「世界のセイコー」の創業者服部金太郎(1860~1934)の伝記小説である。一介の丁稚奉公に始まり、彼はいかにして「時計王」と呼ばれるまでの成功をおさめることができたのか。明治から昭和に至る激動の生涯を、著者は鮮やかな手際で描き切る。

商家に生まれた服部金太郎は、13歳で洋品問屋を営む辻屋へ丁稚奉公に出た。店主の辻粂吉は、少年の刻苦勉励する姿から商才のあることを見出し、後継者にしようとしたが、2年後の明治7年、金太郎は独立を決意。彼が目をつけた商いが時計商だった。新橋に鉄道が開業し、これから先、人々の生活は「正確な時間を知ることが必要になる」と考えたからである。先見の明があった。

金太郎には夢があった。時計商からいずれは時計製造まで手を拡げたい。「宝石は人間には造れないけど、時計は人間が造れる宝石」だと思っていた。時計職人の親方の元での修行を経て、やがて一人で時計修理の店をもつことになるのだが、金太郎には数々の試練が待ち受けている。

新店舗の火災、最初の結婚の破綻、資金繰りの危機などなど。しかし、「信用第一」を心掛ける金太郎には、運を味方につける不屈の闘志があった。そんな彼を陰で支えてくれたのが、辻商店の粂吉だった。そしてもうひとりこの物語に欠かせない人物がいる。金太郎と二人三脚で服部時計店を発展させていく技術者の吉川鶴彦である。彼との出会いをとりもったのが再婚相手の「まん」で、彼女は夫との間に14人の子供をもうけている。こうした登場人物とのからみが、絶妙の筆の運びで読者の興味をそらさない。

さらに、粂吉の紹介で渋沢栄一と出会ったことが、金太郎の成功の足掛かりになった。このとき渋沢は、「事業というものは雪だるまを作るようなものだ」と金太郎に助言する。

「より大きな雪だるまを作ろうと思うなら、体力、気力が十分あるうちに、斜面の上、人跡未踏の頂に向かって転がすべきなんだよ。斜面を登るにつれて、だんだん押すのが苦しくなってくる。そこが踏ん張りどころだ。やがて頂に到達する。そうなればしめたもんだ。大きくなった雪玉は、自らの重みで坂を転げ落ち、見る間に巨大化していく」(一部省略)

この「雪だるま論」は著者の創作だが、まさに金太郎の企業経営の核心をついたものであるだろう。

著者は、金太郎が今日のセイコーを築き上げるまでを、史実に即しながらも躍動感のある熱い物語に仕立てている。日本の時計産業はどのように発展していったのか、その技術史としても面白く読めるが、私は彼の以下のセリフが気に入っている。

「いい時計を造るのは機械じゃない、人間だ。技術者であり、職工なんだよ。製造に携わる人間たちの情熱と技能で時計の性能、価値は決まるんだ」

金太郎は、進取の精神に富み、従業員の生活を第一に考えた。こういう企業経営者が今の世にもいてほしいと願うばかりだ。

集英社
発行日:2021年11月30日
四六版:385ページ
価格:2000円(税抜き)
ISBN:978-4-08-771772-3

本・書籍 渋沢栄一 新刊紹介 セイコー 服部金太郎