【書評】人知れぬ山奥に、本を愛し、本を届けることに命を懸けた人たちがいた:内田洋子著『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』
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人口32人「本の魂が生まれた村」との出会い
物語は2017年2月、「水の都」ベネチアの古書店から始まる。
15世紀、海運業で世界を制したベネチアは、15世紀末から16世紀にかけてヨーロッパの印刷・出版業においてもトップに君臨した。「書籍の王国」「知のサロン」と謳われた伝統文化は今も街に息づき、サンマルコ広場には「世界で最も美しい」と称される国立マルチャーナ図書館が立つ。無数の細い水路が張り巡らされた島内には、ありとあらゆるジャンルの古書を山積みした書店や露店が点在する。
著者は、イタリア経済の中心地ミラノを拠点に30年以上にわたり時事報道に携わってきたジャーナリスト。とはいえ“異国民”であることには変わらず、時々せつない気持ちになるという。そんな時、居場所を見つけられるのがベネチアで、とりわけ観光客の足が遠のく冬場の路地裏の本屋なのだという。
こうしてベネチアで書店巡りをするうちに、とある古書店の老店主に心惹かれた。客たちのどんな難しい注文にも応じ、頼まれた本は必ず見つけてくる。「ただ者ではないな」と思い修業先を聞いてみると、「先祖代々、本の行商人でした」。そして「モンテレッジォは本の原点とも言うべき村ですから」と誇らしげに言うのだ。
初めて聞く村の名だった。調べてみると人口は32人、うち4人が90歳代だ。幼稚園や小中学校はなく、食料品や日用雑貨を扱う店も薬局や診療所もない。鉄道は通っておらず、山の頂上にある中心街まで行くバスもない。そんな限界集落ともいうべき村がどうして「本の原点」なのか? そもそも「本の行商人」とは何なのか? 著者の好奇心は高まる。
インターネットで村の紹介サイトを見つけ、担当者の携帯に電話してみると、彼は喜んでミラノに住む友人に車での送迎を頼み、著者をモンテレッジォに招く。そこから紹介の輪が広がっていく。
イタリア統一を陰ながら支えた「行商人」たち
行商人たちの子孫や友人・知人を訪ね、図書館や役場で文献にあたるうちに、謎は少しずつ解明されていく。
古来、モンテレッジォ周辺の土地は農耕や牧畜に適さず、鉱物資源や特産物もない。自給自足の生活が立ち行かなくなると、二つ三つ山を越えた荘園領主の農地で出稼ぎをするしかなかった。だが、本の行商は、そんな「何もない」村だからこそ生まれた。
きっかけは1816年、ヨーロッパや北アメリカ、カナダを異常気象が襲った。6月の吹雪や積雪に続き、7月に入っても30度を超す気温が数時間後には零下まで下がり、河川や湖が凍結した。
イタリア北部でも農園が全滅。モンテレッジォの村人たちが唯一頼りにしていた出稼ぎが断たれた。「もう他力本願はできない」――彼らは一致団結し、聖人の祈祷入りの絵札と生活暦(月齢や日食、占い、季節の行事など暮らしに役立つ情報が記されたカレンダー)を籠に詰めて行商に出る。やがて籠の中身は本に変わっていく。
「不運」は時として人々の勇気を生み、未来へのチャンスをもたらす。
当時、天災とともにヨーロッパに吹き荒れていたのは、フランス革命によって生まれた「自由・平等・友愛」の精神、そして民族運動の高まり。476年の西ローマ帝国滅亡後、絶えず他国の支配下に置かれ、統一国家が生まれなかったイタリアでも、独立の気運が高まっていた。イタリア統一運動のはじまりである。
モンテレッジォの行商人たちは各地で顧客と触れ合う中で、こうした社会の動きをキャッチした。イタリア統一を目指すには、世の中の動きを知らなければならない。それにはまず、情報を得ることができる本が必要だ。だが、これまでのような豪華で高価な書籍は庶民には手が届かない。
そこで行商人たちは、余剰在庫を抱える出版社、閉店した書店や閉鎖された修道院、零落した名家などを回って本を引き取ると、各都市の広場に露店を出し、廉価で販売を始めた。籠を担いだり、手押し車を引いたりして旅をしていたのが、本棚を荷車に改造して馬で引いて回るようになった。
当初は敵がい心を抱いていた大手出版社も、彼らに「売れる本」を見抜く力があることに気づくと委託販売を依頼し、ついにはゲラを読んでもらってから出版するか否かを決めるまでになる。
本には「未来」を切り開く力がある
著者は、何か特別な力に引っ張られるように行商人たちの軌跡をたどり、エピソードを一つ一つ拾い上げていく。村人たちが振る舞う素朴だが心のこもった郷土料理、春夏秋冬の景色の移ろいなどの描写も所々に織り込まれ、読者はまるで著者や行商人に同行してイタリアを旅している気分になる。
足しげく通って取材を重ねる日本人を目の当たりに、村の子供たちにも変化が現れた。自分たちの祖先が成し遂げた偉業を見つめ直そうと、課外実習を通して『かごの中の本 モンテレッジォ 本屋の村の物語』という絵入りの本をまとめたのだ。日本の小学生たちとの交流も始まった。
日本同様、イタリアでも本離れが加速しており、書店を取り巻く環境は厳しい。国勢調査によると、2016年の1年間、紙の本を1冊も読まなかった6歳以上のイタリア人は3300万人、国民全体の57.6%に上り、2010年に比べて読書人口は430万人減少したという。
ただ、本と本屋の大切さを知り、何とか現状を打破しようと格闘している人たちもたくさんいる。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、イタリアでは2020年3月、全土にロックダウンが宣告されたが、1カ月半後、政府はスーパーマーケットなどの食料品店とともに書店の営業再開を認めた。その背景には「文化は心のパンである」との理念がある。
本書のあとがきを読むと、コロナ下のモンテレッジォでも新たな文化の芽が出ているようだ。
第2次世界大戦後の窮乏期、人々に娯楽を届けようとイタリアで初めてコミックを出版した女性、テア・B・ボネッリさんをたたえて、2020年、村の教会前を「ボネッリ広場」と命名。そして翌年、コミックをテーマにした文学賞を立ち上げたのだ。
日本人女性が書いた日本語の本がイタリアの小さな村に新たな力と歴史を与える。やはり、本には未来を切り開く不思議なパワーがあるらしい。
イタリア北西部の港湾都市ジェノバには本の露天商連盟があり、その多くがモンテレッジォの行商人の子孫という。彼らから著者のもとに届いたメッセージがそれを物語る。
この本がきっかけとなり、村は息を吹き返しました。子供達が熱心に土地の歴史を調べ、消えかかっていた過去が未来へと繋がりました。村の行商人達はそうなることを信じて、ずっと本を届けてきました。感無量です。
『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語《文庫版》』
発行:文藝春秋
発行日:2021年11月10日
336ページ
価格:935円(税込み)
ISBN:978-4-16-791787-6
