【新刊紹介】台湾の「いま」を作った多くの人を心に刻む:湛藍(著), 大洞 敦史(訳)『君の心に刻んだ名前』

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戒厳令が解けたばかりの台湾を舞台に、男子高校生ふたりの切ない恋愛を描いた台湾映画『君の心に刻んだ名前』。この映画のノベライズ版は更に緻密に、ふたりの痛みと時代との関係を描ききる。

台湾で大ヒットした映画をノベライズ

 「ゲイが思い出す恋人の姿って、いつも、背中なんだよ」
 台湾LGBTQ映画史上で興行収入第一位を記録し、大ヒットとなった映画のノベライズ版『君の心に刻んだ名前』を読んでいる最中、20年以上前にセクシュアルマイノリティーである年上の友人から聞いた言葉がありありと頭に浮かんだ。

 当時、わたしが思い浮かべる恋人の姿といえば、手つきとか仕草とか顔の表情だった。しかし友人が思い浮かべるのは、どこかに帰ってゆく恋人の背中、自分から離れ去ってゆく背中だという。

 その言葉に形容しがたい寂しさを感じ、友人を抱きしめたくなったのを覚えている。だけれど、友人が抱えていた凄まじい孤独を、あの時のわたしが充分に理解できていたとは思わない。

セクシュアルマイノリティーの痛み

 それからずいぶんと時間がたち、わたしも様々な経験をした。幾度か恋も失い、台湾で暮らすようになって、台湾社会の民主化や2019年にアジアで初めて同性婚が法制化されるまでの歴史を目の当りにした。だから、1980年代後半の台湾台中市にある男子校を舞台に「アハン」が「バーディ」に出会い、震えるほどに胸を高鳴らせ心を通じあわせたはずの恋が、ぽろぽろと指の隙間からこぼれ落ちていくのを読みながら、わたしの心の柔らかい部分も引き剝がされていくみたいだった。

 心にブラックホールができるような恋愛の喪失感は、シスジェンダー(性自認と生まれ持った性が一致する人)でヘテロセクシャル(異性愛者)にだって身に覚えのある人は多いだろう。しかしここで描かれるのは恋の苦しみに加え、セクシュアルマイノリティーが自分だけではどうにもできない恐ろしく巨大な「社会の偏見」という壁に阻まれ、大きな痛みを強いられてきたことである。

ジェンダー運動の重要人物も登場

 その孤独な戦いを象徴するのが「台湾で初めてゲイをカミングアウト」した社会運動家として知られる祁家威(1958~/ジー・ジャーウェイ)だ。1986年に台北の地方裁判所にパートナーとの婚姻届けを出すも拒絶され、投獄され何度も警察に捕えられても諦めず、性的少数者の権利を求めて奮闘してきた台湾ジェンダー平等運動の最重要人物である。

 この小説でも、当時の総統・蒋経国の告別式のために学校の代表として台北へとやってきたアハンとバーディが、中華商場(戦後に台北西門にあった商業施設)の歩道橋にて、ウェディングドレス姿で同性婚を求めるプラカードを持った祁家威らしき男性を見かける。ここで祁家威が警察に追い立てられる様子は、戒厳令が解除されたあとも、まだまだ本当の意味での民主化には長い道程が必要であったことを示しているだろう。

 この物語には同性愛者への偏見のほかにも様々な「壁」が、幾重に描かれる。例えば、中国と台湾の「両岸関係」という壁。アハンの父親は戦後に国共内戦で中国より台湾へと逃れてきた移民で、台湾でアハンの母親と結婚するが、実は中国大陸に残してきた家庭がある。戒厳令が解除されて中国大陸との往来が再開し38年ぶりにもう一つの家族を訪ねる父親に対し、アハンは自分たち台湾の家族が捨てられるのではないかと不安を抱く。

険しい道のりと祝福

 「信仰」という壁もある。キリスト教は基本的に同性愛を禁じており、アハンも信仰を理由に、敬愛するオリバー神父からバーディとの恋を反対される。実際、台湾の民主化運動を長年支えてきたキリスト教プロテスタントの長老派教会も、同性婚に関する住民投票に対して強力なネガティブキャンペーンを行った。世論が一時真っぷたつに分かれ、社会に絶望したセクシュアルマイノリティーの若者らが幾人も自らの命を絶ったという。そうして、ようやく実現した2019年の同性婚法制化であった。こうした台湾現代史が背景にあるのも、この物語のもう一つの見どころだ。

 2018年、祁家威はインタビューでこんな風に語っている。「30年前に運動を始めたときは、支持してくれる人々がこんなに増えるなんて思いもしなかった」「若い仲間たち、だから決して命を粗末にしないで。未来はきっとよくなるから」

 先週、台湾人の親友からとっても嬉しい知らせを受けた。彼女と彼女の女性パートナーは来月、結婚の登記をしに行くことを決めたというのだ。これまでの台湾の険しい道のりと、幾組もの「アハンとバーディ」、そして社会に認められない絶望のなかで苦しんだ少年少女たちを想いながら、当日はわたしも彼女たちの登記を見届け、心からの祝福を贈りたい。

幻冬社
発行日:2022年2月24日
A5判:248ページ
価格:1760円(税込み)
ISBN: 978-4344039063

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