【書評】すぐそこにある核戦争:ケン・フォレット著『ネヴァー』
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本書は、昨年12月に世界同時刊行された。『針の目』『大聖堂』など世界的なベストセラーで知られる英国人作家ケン・フォレットは、本作執筆時には70歳を超えているが、スリリングな物語の展開は読者の期待を裏切らず、結末まで一気に読ませる筆力に衰えはない。
著者がここで俎上にあげたテーマは核戦争の危機であり、米中対立の先鋭化が本書の執筆動機になっている。発端は小さな衝突から報復の連鎖がはじまり、ついには国家首脳が重大な決断をするまでに追い込まれていく。その緊迫したプロセスが最大の読みどころであり、著者は迫真の筆致で描き切る。
現下の情勢では、「プーチンの戦争」で核の危機が浮上しているが、いずれ台湾や南シナ海の領有権をめぐり、米中の衝突も避けられないであろう。となれば、日本は確実に巻き込まれる。本書には、日本も核の危機に呑み込まれていく場面が描かれている。日本の読者にとっては興味深いところだろう。
「保守ではあるが柔軟性がある」女性大統領
物語に入る前に、物語の主要な登場人物となる米国の指導者を紹介しておこう。
米国の女性大統領ポーリーン・グリーンは共和党の穏健派で、弁護士の夫と高校生の娘がいる。「保守ではあるが柔軟性がある」と見られており、彼女の思想信条は、こんな言葉に現れている。
「賢い保守主義者なら、変化を止めることはできないけれど、その速度を遅くすることができるとわかっているわ。そうすれば、人は新しい考えに慣れる時間ができ、出会い頭に腹を立てなくてすむようになるんだとね。リベラルが間違っているのは、いますぐの変化を急激に要求していることよ」
大統領に就任して3年目となり、来年の共和党大統領候補指名選挙では、保守強硬派の男と争うことが予想されている。この人物は、かのトランプ前大統領を思わせる言動の持ち主で、アメリカの利益が第一にして、敵国に対しては核兵器の使用もありえるなどと口走る。むろん、ポーリーンは、核戦争を避けることが自分の職務とわきまえている。
彼女は、核開発を進める北朝鮮に対し、国連を通じて経済制裁を加えているが、背後で援助している中国と対峙している。また、中国が南シナ海で諸島を不法占拠していることにも神経を尖らせているし、「一帯一路政策」でアフリカ圏に勢力を拡張していることも頭痛の種である。
しかし、そうした懸案事項は、外交交渉で改善できると信じている。ましてや核戦争につながりかねない武力衝突など論外だと考えていた。
北朝鮮製の自走榴弾砲
それではあらすじを紹介していこう。物語は、中央アフリカの内陸国チャドを舞台に始まる。米国は、同国に2000人の対テロ部隊を駐留させ、旧宗主国のフランスとともに、アフリカで破壊工作を展開するイスラム国(ISGS)の過激なジハーディ(聖戦士)を掃討していた。
このチャドに駐在するCIAの若手要員タマラが、物語前半部分の主役である。彼女はフランス情報部との共同作戦で、ベイルート出身の潜入工作員アブドゥルを使い、ジハーディの指導者のアジトを探っていた。やがて、貧しいタバコ売りの商人に扮したアブドゥルは、砂漠のなかにそれとおぼしき宿営地を発見する。
米仏合同軍は、その宿営地を急襲した。指導者はいなかったが、大量の武器を押収。中国製の銃器ほか、北朝鮮製の自走榴弾砲まで発見された。こうした武器は、北朝鮮が核開発の資金稼ぎのために密売した疑いがある。
タマラの活躍と、アブドゥルの孤軍奮闘は前半のハイライトである。その後、彼は難民を装ってリビアに脱出。そこでついにジハーディの指導者の居所を突き止めるのだが、ここは手に汗握る緊迫した場面が続く。
宿営地急襲の一件から、米国大統領ポーリーンは、国連に武器輸出を取り締まる決議を求めることにした。中国は拒否権をもっているので実効性はないが、中国や北朝鮮の非道に焦点を当てることはできる。さらには北朝鮮への経済制裁も強化した。それがその後の危機につながっていく。
若い米軍伍長の戦死
ある日、タマラは支局長からチャドと隣国カメルーンの国境にかかる橋を視察するよう命じられる。そこには国境検問所があるが、もたらされた情報から、ISGSの聖戦士が奪取しようとしているとのことだった。
CIA職員のほとんどは、入局してから退局するまで一度も銃を使わない。彼らの仕事はアメリカ国内と厳重に警備された大使館内でコンピューターの前に坐り、外国の新聞を読み、ウェブサイトを渉猟し、データを収集し、その意味を分析することだった。
しかし、身の安全のためタマラは銃を携行し、特殊部隊の大佐ほか数名の護衛を連れて現地に向かった。そこで何が起こったか。
情報は罠だったのだ。ジハーディは、宿営地を急襲された報復として、米軍を待ち伏せしていたのである。たちどころに激しい銃撃戦となり、若い米軍伍長が戦死した。ISGSの退却後、ジハーディの遺体を検分したところ、所持していたのは中国製のライフルであることが明らかになった。
これはアフリカの小国で起こった小さな戦闘であったかもしれないが、若き米兵が殺害されたことで事態は思わぬ方向へ展開していくのである。
チャドとスーダンの国境紛争
チャドの最高指導者である将軍は、友好国の米兵の殺害に激怒した。中国製の武器が使用されたことから、背後にスーダン政府が存在していると主張する。スーダンの軍隊は中国製の武器を使用していたからだ。
チャドと隣国スーダンとはかねてより国境付近で紛争が続いていた。スーダンから難民がチャドに流入し、難民キャンプで保護するチャドを、スーダンは非難していた。その国境付近で、チャドとスーダン両軍が激突。敗走したスーダンは、今度は中国製の武器を供与していたジハーディを使って、チャドの将軍暗殺を企てたのだ。
こうした事態は、チャドとスーダン両国間の武力衝突だけではすまなくなった。スーダンは、友好国のエジプトに軍の派遣を要請し、チャドの武力攻撃に対抗しようとした。一方のチャドもフランスに駐留軍を2倍にするよう要請している。米国大統領ポーリーンは安全保障関連の閣僚を集め、アフリカの情勢に懸念を表明した。
「スーダンとエジプトは中国に援軍を求めるかもしれない。中国はアフリカに足がかりを作ろうと必死だもの。そうなったら、フランスとチャドはアメリカに助けを求めるはずよ。フランスはNATOの同盟国で、すでにわれわれはチャドに軍を駐留させている。したがって、戦いを傍観しているのは難しいでしょう」
大統領は続けた。「わたしたちは超大国同士の戦争の瀬戸際にいるのよ」
現実主義の中国対外情報局長
米国は、国連決議で中国の武器輸出を非難した。中国側の反応はどうだったか。興味深いのは、彼らも米国と対決しながらも、武力衝突は避けようと腐心するのである。国家安全部大臣直属の対外情報局長チャン・カイが中国側の主要な登場人物である。
彼は北京大学で歴史を学び、プリンストン大学で博士号を取得した。一族は共産党内で主要な地位を占め、父親は国家安全保障委員会の副委員長を務めている。その毛並みの良さと頭脳の明晰さから、カイはとんとん拍子に出世して、今日の地位を築いていた。彼は、旧世代の武闘派である父親が、対米戦争も辞さずという感情に凝り固まっているのに対し、合理的な思考で米国との衝突を回避しようとしていた。
そんなカイを、チェン国家主席も高く評価している。主席もまた、現実に基づいた判断を下せる人物として描かれているが、彼をとりまく高官のなかには、面子を重んじる好戦的な人物が多くいた。中国指導部の外交政策決定の在り様は、現実主義者と武闘派のせめぎ合いであった。両者は、微妙な均衡の上で関係を維持しているが、対米関係では対外情報局長カイの分析と意見が重用されていた。それが武闘派には不満でならない。
カイにとって、もうひとつ懸念材料があった。彼は北朝鮮の高官をスパイとして運用し、北朝鮮情報を入手していた。その高官によれば、米国による経済制裁の強化で窮乏状態は限界を超え、軍部で反政府クーデターの計画が持ち上がっているという。それは現体制の転覆まで行きつくのか。それとも事前に鎮圧されるのか。北朝鮮には安定していてもらわなくてはならない。カイは、それが中国防衛の要だと考えている。
米国空軍のドローンが爆撃
そこへ、ついに中国指導部の微妙な均衡が破れる事態が起こる。スーダン最大の石油輸出港で大火災が発生した。現地でパイプラインを操作しているのは「中国国営石油会社」で、製油所を造り、さらに新しいタンカー・ドックを建設中だった。この火災により、中国人技師や家族約100人が犠牲になった。
火災事故はなぜ発生したのか。米国と中国の情報機関は、衛星写真ですぐに原因を特定した。ドローンによってミサイル攻撃されたのだ。それはチャド駐留の米軍が、同国の軍隊にドローン操作の訓練をほどこしていた機体であり、訓練中に行方不明になっていた1機だった。
ドローンは爆撃後、操作不能となって墜落し、粉々になっていた。反スーダン政府の過激派が犯行声明を出しているが、CIAの分析では、チャドの将軍がドローンを盗み、スーダンに暗殺されそうになった報復で過激派に提供し、爆撃したことが明白だった。
カイは、現地の情報部員が撮影したドローンの残骸の破片に、米国空軍の標識があることに気が付いた。北京駐在のCIA要員から、カイはことの真相を聞かされたものの、大勢の同胞を殺されたことに怒り狂う上層部を納得させることはできない。武闘派は、ただちに報復するよう国家主席に進言する。
「アメリカと戦争を始めるつもりはない。たとえ彼らが百人のわが同胞を殺したとしてもだ」
と、チェン国家主席は主張するも、
「南シナ海のアメリカ海軍艦船を一隻、沈めてやるべきだ」
「報復しなくてはなりません。さもないと、弱腰と見られます」
という強硬論が主流となり、
「問題は、エスカレートすることなくどうやって報復するかだ」
という結論が下される。
魚釣島に日本の国旗
ついに中国は米国への報復を開始した。南シナ海で、ヴェトナムの海底探査船が石油の埋蔵調査をしていた。それは中国が領有権を主張する海域で、かねてより排除することを考えていたが、その船には米国の地質学者が3人乗り込んでいるので手を出しかねていた。もはや躊躇はなかった。中国のフリーゲート艦から巡航ミサイルが発射され、探査船は爆破された。2人の米国人学者が溺死し、1人が中国の捕虜となった。
この武力行使に、米国はどう反応したか。あらすじの紹介は、ここまでが限界だろう。ここから先は、本作を読んでいただきたいが、事態の展開は急激で、しかも次第に双方の軍事行動がエスカレートしていく。それは北朝鮮、韓国、日本をも巻き込んでいく。
日本も対岸の火事とはならない。興味をもってもらうために、少しだけ触れておく。日本には戦争をする意思はないが、緊急事態に備えるために戦闘機が尖閣諸島周辺を哨戒していた。
さらに海上自衛隊の潜水艦2隻が魚釣島近くに浮上し、乗組員がゴムボートで上陸。携帯式地対空ミサイル・ランチャーを陸揚げし、テントを設営して日本の国旗を掲げた。それに続く行動が中国を刺激した。
尖閣諸島に対する攻撃は、日米安全保障条約によって米軍出動のきっかけとなる。しかし、中国側は、それまでのポーリーン大統領の行動からみて、米国は好戦的な反応はしないと判断した。中国軍はどうしたか。その映像を国家主席ら指導部の幹部と見守っていたカイは、静寂を破ってこう言った。
「そして、同士のみなさん、気がついてみれば、わが国は日本と戦争状態になったわけです」
日本が攻撃されたことで、ポーリーン大統領はとうとう決断する。
さて、現実に尖閣諸島を攻撃されたとき、はたして米国は日本を守ってくれるのか。バイデン政権は、日本が武力をもって戦う姿勢を見せなければ、米国民の誰も知らない島のために若い米兵の命を差し出すことに躊躇(ためら)うかもしれない。米国が武力介入するか否かわからない、というのが日本の危機の本質である。
本書のシミュレーションでは、核戦争は起こる。ここに書かれた武力衝突のプロセスを経て。それは悪夢とばかりは言い切れないだろう。ウクライナで起こっている現実を想起すれば、核戦争はすぐそこにあるといわざるをえない。
「ネヴァー」
ケン・フォレット(著)、戸田裕之(訳)
発行:扶桑社
文庫版:上巻408ページ、中巻408ページ、下巻431ページ
価格:上・中・下巻とも1210円(税込み)
発行日:上・中・下巻とも2021年12月10日
ISBN:上巻978-4-594-08886-6、中巻978-4-594-08887-3、下巻978-4-594-08888-0
