【新刊紹介】生々しい政治ドラマを踏まえ「三原則」建議:清水真人著『憲法政治――「護憲か改憲か」を超えて』

Books 政治・外交 社会 安保・防衛

日本国憲法は5月3日、施行75年を迎える。本書は直近10年間の「憲法を巡る日本政治の潮流を、新聞記者の現場取材から描き出すドキュメント」だ。生々しい政治の動きを追い、改憲論議の「三原則」を盛り込んだ建議書でもある。

改憲論議で「第三の論陣」を張る

著者は日本経済新聞社の編集委員。1986年に入社、政治部を皮切りに首相官邸、自民党、公明党、財務省、外務省など永田町と霞が関での取材経験はジュネーブ支局長時代を挟んで優に30年を超す。

小泉純一郎元首相ら多くの有力政治家と信頼関係を築いてきた政治記者であると同時に、経済財政政策にも精通している。「政と官」をまたぐ稀有なジャーナリストだ。

そのベテラン記者が「これはまずいな」と思った。2012年12月に再登板した安倍晋三首相が改憲手続きを定めた憲法九六条の改正に意欲を示していたときのこと。改憲が動き出すのなら、その歴史的なプロセスをぜひ記録に残さねばと考えたが、当時は憲法学の素養や蓄積もなかった。取材手法も従来とは勝手が違ったという。

「日本最大のシンクタンク」霞が関の官僚機構に長年かけて培ってきたはずのネットワークが、改憲を巡る取材ではまるで頼りにならなかったことだ。

内閣・行政府は憲法を最高法規とする法体系の下で行政を進め、内閣法制局が憲法解釈を司る。ただ、改憲論議は「国会の専権事項」とされ、「官僚排除」が実態だ。政策の実務に追われる官僚は改憲におよそ関心を示さないし、自分たちの仕事とは考えていない。

「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」。憲法九六条一項はこう定めている。

国会が憲法改正原案を発議するプロセスはどう運ぶべきか。この問いに「管見の限り、政治学も憲法学もほとんど何も答えてくれない」と著者は感じた。それなら、国政選挙と自民党総裁選が毎年のように巡ってくる政治カレンダー、国会運営や与野党の駆け引きなど現実政治の細部と内幕を知る「政治記者の出番ではないか」と自覚したという。

著者は「護憲か改憲か」といった硬直的なイデオロギー対立の構図にも疑問を呈する。「むしろ、そのような分断的な憲法論議のあり方そのものを問い直す必要があると感じ、『第三の論陣』を探ろう」と思い立った。

憲法と政治の間には「一筋縄ではいかない相互作用のダイナミズムが働いている」。こうした「憲法を巡る政治」、あるいは「憲法を取り扱う政治」を“憲法政治”と定義し、主に安倍政権時代の改憲への挑戦と挫折を時系列でつぶさに記録、分析したのが本書である。

「安倍一強」時代でも改憲できず

安倍政権は憲政史上最長の7年8カ月に及んだ。しかも、衆参両院で三分の二超の「改憲勢力」を維持していた時期とも重なった。安倍氏が長期政権の「レガシー(遺産)」としたかった改憲が実現しなかったのはなぜか。

「安倍流改憲は何より目まぐるしくターゲットを変え、焦点が定まらなかった。始まりは改憲手続きを定めた九六条改正の提案。その後は緊急事態条項に関心が移るかと思えば、結局は『本丸』の九条改正に回帰して自衛隊明記を提唱した」。本書では安倍氏が「改憲できるなら、何でもいい」と漏らしたエピソードも紹介されている。

改憲シナリオが迷走したのは、安倍氏が「改憲ありき」にこだわりすぎたからかもしれない。小刻みに衆院解散を繰り返したことも「改憲より解散」につながった。

憲法改正を巡る安倍氏と立憲民主党の枝野幸男代表(当時)との「因縁の対決」の描写は、永田町の複雑な人間関係も絡みドラマチックでさえある。衆参両院の憲法審査会などでの与野党間の合意形成がなかなか進まない舞台裏も解き明かす。著者はこう結論づける。

様々な要因が折り重なり、改憲論議は「安倍一強」でも「一ミリも進まなかった」のである。

2016年8月8日、天皇陛下が国民向けビデオメッセージで生前退位のご意向を示唆された。この生前退位問題も、改憲論議を半年以上先送りすることになった。しかし、天皇退位を巡る皇室典範特例法の周到な事前調整プロセスこそ、改憲論議に欠落する国会と内閣の「協働」の枠組みの“モデル”になると著者は説く。

そもそも日本国憲法がこれまで改正されなかった背景には、特殊な事情があるという。ケネス・盛・マッケルウェイン東京大学社会科学研究所教授の論考を引用し、「世界の憲法と比べると、日本国憲法は圧倒的に短い」と指摘する。英訳の単語数は世界平均が2万1000ワードなのに対し、日本国憲法は4998ワードしかない。国会、内閣、司法など「統治機構」に関する具体的記述も少ない。簡潔な憲法であるからこそ、統治機構の改革は逆に法改正で済んだ。

実際、平成期に選挙制度改革を柱とする政治改革、内閣機能を強化した橋本行革、裁判員裁判などを導入した司法制度改革、国と地方の権限・財源関係を組み直した地方分権改革と大がかりな統治構造改革が連続して推進された。どれも法改正で進み、政権交代可能な政治と首相主導体制を車の両輪とする「平成デモクラシー」を生んだ。改憲に訴えずとも大変革が可能だったのは、特異な憲法構造のなせる技でもあったというわけだ。

本書が建設的なのは、独自の「憲法改正論議の三原則」を提起したことだろう。すなわち①憲法論議を「政治家の専権」にせず、国会等に「専門家会議」を置いて衆知を結集する②国会は改憲原案の審議の前に、「衆参両院合同審査会」で大枠の事前調査を推進する③改憲は九条や人権より、世論の分断を招きにくい「統治構造改革2.0」を優先する――である。

永田町の相関図ともいえる生臭い人間模様が随所に描かれているのも本書の特色だ。“派閥記者”の面目躍如である。一方で、東大法学部在学時の憲法の教科書を京都の実家の土蔵から取り出して読み返し、政治学者ら専門家にも取材を重ねた。「第三の論陣」を張る新世代の憲法学者たちとシンポジウムのパネリストに招かれるまでになった。

本書巻末に列挙した引用・参考文献の多さは、学術書や論文を幅広く渉猟したことを物語る。索引も充実している。足で稼ぐジャーナリズムと理論を重視するアカデミズムの橋渡しをした「憲法政治」のテキストともいえよう。

清水真人著『憲法政治――「護憲か改憲か」

ちくま新書
発行:筑摩書房
発行日:2022年1月10日
新書判:320ページ
価格:1034円(税込み)
ISBN:978-4-480-07447-8

本・書籍 日本国憲法 憲法改正 新刊紹介