【書評】シリーズ10作を数えるミステリーの人気作品:マーク・グリーニー著『暗殺者グレイマン』

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2009年の第1作発表以来、昨年シリーズ10作目の邦訳が刊行されたほどの人気シリーズだ。「グレイマン」とは、「目立たない男」を意味する主人公の異名である。元CIAの凄腕工作員にして、ある理由から組織を離れ、孤高の暗殺者として絶体絶命の困難を乗り越えターゲットを仕留めていく。やはりここでは第1作を紹介しておきたい。

主人公のグレイマンが何者であるのかは、物語を読み進めるにしたがって明らかになってくるのだが、ここではあらかじめ紹介しておこう。グレイマンことコート・ジェントリーは、CIAの秘密部門SAD(特殊活動部)に所属していたが、ある理由で解雇され、さらには古巣から追われる身になっていた。

彼は、アメリカ政府から逃亡するための資金を得るために、かねてよりコネクションのあったサー・ドナルド・フィッツロイが経営する英国の警備会社CSSと契約した。同社は表向きの看板とは別に、独裁者やテロリストの暗殺など非合法の汚れ仕事を請け負っていた。サー・ドナルド自身、かつて過酷なアイルランド紛争を戦い抜いた伝説の英国特殊部隊員である。ジェントリーが彼の依頼で仕事をするようになって4年の歳月が流れていた。

ジェントリーは人々のなかにもぐりこみ、人目に立つことなく、いつの間にかターゲットに接近し、暗殺をなし遂げる。だからグレイマン(目立たない男)と呼ばれている。

バレットM107アンチマテリアル・ライフル

物語は、ジェントリーがCSS社の仕事としてナイジェリアのエネルギー大臣をシリアで暗殺。陸路、ランドローヴァ―を駆ってイラク西部へ向かうところから始まる。彼は、そこで同社手配のヘリコプターで国外へ脱出する段取りになっていた。

その途上、遠くで米国陸軍の大型ヘリ・チヌークが黒煙を吐いて墜落していく様を目撃した。おそらく、アルカイダや地元の武装戦士が墜落地点に殺到し、米軍兵士の死体を冒涜するであろう。ジェントリーは葛藤していた。「心のなかの声は、戻れといっていた。」「墜落した現場へ急行し、生存者がいないかどうかたしかめろ。」

だが、口から出た声は、もっと現実的だった。「このまま走れ、ジェントリー。いいから走りつづけろ。あいつらはもうだめだ。おまえにできることはなにもない」

しかし、ジェントリーは墜落現場から1.5キロ離れたあたりで車を止めた。バレットM107アンチマテリアル・ライフルを取り出すと、弾薬は装填せずに16倍の高性能の光学照準器を覗いた。死体を斬首している凄惨な現場が見えた。その様子をアルカイダに雇われたカメラマンがビデオで撮影している。

ジェントリーは狙撃の名手でもある。引き金を引けば、何人かは殺せる。しかし、付近に狙撃手がいることがわかれば、今度は自分が襲撃されることになる。

だめだ。ジェントリーは自分にいい聞かせた。貧弱な手段で仕返しするのは、正義であるかもしれないが、自分が対処する備えができていないクソの嵐を巻き起こす。

ジェントリーは、賭博師ではなかった。どこにも所属しない刺客、雇われガンマン、契約で働く工作員だ。ブーツの紐を結ぶくらい簡単に、あいつらを五、六人始末できるが、そんな報復はコストに見合わないとわかっていた。

しかし、

ジェントリーは、我慢できなかった。 

正しい手順ではないと思えても、そんなことはどうでもいい。ジェントリーは、馬鹿でかいライフルを、反動ですでに痛くなっている肩に当て、ヘリコプター墜落現場に照準を合わせて、自分ひとりの正義の報復を再開した。巨大な弾丸が覆面の戦死の腹に命中し、ちぎれた体が舞い飛ぶのが、大きな照準器を通して見えた。

ジェントリーは、一人だけ生き残った20歳の米軍兵士を救出した。しかし、今度は自分が追われる身となった。当初の脱出計画は無駄になり、自力でイラクの荒野から逃れなければならない。どうやって――。

巨大多国籍企業からやってきた悪徳弁護士

こののち、彼は非情な殺人マシーンとして描かれていく。それは目を覆うばかりに凄惨な場面が連続していくのだが、この冒頭のエピソードが物語っているように、シリーズ全体を通して、彼には彼なりの正義があり、自らの流儀に従ってあえて死地へ飛び込んでいくのである。そこにグレイマンの最大の魅力があり、読者の熱狂的な支持を得ている理由がある。

もう少し物語を進めてみよう。ここからが本筋である。

ロンドン中心部にあるCSS本社に、経営者のサー・ドナルド・フィッツロイを訪ねて巨大多国籍企業ローラングループの弁護士ロイドがやってきた。パリに本社があるローラングループはCSS社の顧客であるが、世界80数カ国で石油・天然ガス・鉱業向けの港湾施設を運営している。表向きはまっとうな大企業だが、同グループは各国の支社に警備部門を置き、ときに手荒な仕事をする。

警官よりも犯罪者が多く・・・飢えた人間の多い地域で業務を行う多国籍企業には、たいがいうしろ暗い恥部があるものだ・・・しかし、ローラングループは、発展途上国の資産と資源に関して、ことに過酷な手段を用いる会社だという評判だった。

同グループの弁護士ロイドが訪ねてきた理由は何だったか。それはグレイマンの身柄引き渡しを要求することだった。グレイマンがシリアで暗殺したナイジェリアのエネルギー大臣は、同国の独裁的な大統領の弟だった。激怒した大統領は、ローラングループにグレイマンの首を持ってくるよう命じた。

同グループは、ナイジェリアと巨額の大規模エネルギー開発契約を結ぶ手はずになっていたが、大統領の期待に応えることができなければ契約がご破算になる。ロイドはグレイマンの身柄と引き換えに、CSS社との取引額を3倍にすると条件を提示した。フィッツロイは言下に断った。

「ロイドさん、わたしは……きわめて頼りになる男たちを雇っている。忠誠、信頼、名誉の意識に、敏感に反応する男たちだ。置きちがえられることも多いが、それが彼らの原動力なんだ。うまみのある契約を得るために、そういう男ひとりの命を、それも最高の男の命を捨てるのは、わたしにとってあまり利益があるとはいえないんだよ」

莫大な懸賞金をつけて暗殺を競わせる

だが、フィッツロイはロイドの要求に屈せざるをえなかった。68歳になる彼には息子夫婦と双子の孫娘がいた。ロイドは本社の指示によって、夫婦と孫娘を拉致、仏ノルマンディにあるローラングループ所有の古城に監禁した。彼らの命と引き換えに、グレイマンの居場所を教えろと迫ったのである。

ここに強烈な悪漢が登場する。ローラングループの警備部門を統括するドイツ連邦国防軍出身の元大佐リーゲルだ。この男は、いくつかの発展途上国の特殊部隊とコネをつけている。彼はロイドに言う。

こうした組織は、組織やその親玉の目的しだいで、国家元首とは独立して活動することがある。どの国の公安機関が、現ナマを出せば暗殺を手伝ってくれるかは、おれが知っている。読みをまちがえることはない。

超一級の暗殺者であるグレイマンを仕留めるためには、生半可な作戦では通用しないことをリーゲルは知っている。この男は、12カ国から腕の立つ特殊部隊員を呼び寄せ、莫大な懸賞金をつけてグレイマンの暗殺を競わせた。

幼い双子のボディーガード

グレイマンは、イラク脱出後、プラハ、ブタペスト、スイス、ジュネーブへと逃れていく。本作の最大の読みどころは、グレイマンを待ち受ける各国特殊部隊の刺客との詳細な戦闘場面。著者は、いくつもの罠を用意しているが、グレイマンは、ありとあらゆる銃器と格闘術を駆使し、単身、死線を乗り越えていく。

途中、グレイマンはフィッツロイの裏切りを知る。しかし、瀕死の重傷を負いながらも、待ち伏せを承知でパリからノルマンディを目指していく。彼は、かつて、幼い双子のボディーガードを務めたことがあったのだ。少女を救うために行かねばならない。リーゲルもロイドも、グレイマンは必ず来るとにらんでいる。ロイドは言う。

なにしろ殺し屋だから、まともじゃない。ただ、CIAの任務でも、民間の仕事でも、彼の作戦はすべて、超法規的に処刑すべきだと考えた相手に対して行われる。テロリスト、マフィアのドン、麻薬密輸業者、まっとうなことをやっていない非道な連中ばかりです。ジェントリーは殺し屋だが、自分のことを悪を正す人間だと思っている。正義の道具だと。これこそが、彼の欠点です。そして、この欠点で身を滅ぼすことになるでしょうね。

そして、著者はこう書いている。

本人が心の底で自分は正義の味方だと思っていることはたしかだった。
たしかにもう金は必要ではないし、死の願望があるわけではない。コート・ジェントリーがグレイマンであるのは、この世には悪党が存在していて、ほんとうに死んでもらう必要があると信じているからだった。

「期待は確信となり、裏切られたことはない」

「訳者あとがき」によれば、著者のマーク・グリーニーは、国際関係・政治学の学士号を得ており、本作執筆のため「銃火器使用・戦場医療・近接戦闘術の高度な訓練を受けた」という。また、トム・クランシ―との共著で、軍事ミステリーの人気作「ジャック・ライアン」シリーズもいくつか手がけている。

今後のシリーズはどう展開していくか。10作目『暗殺者の献身』の解説で、作家の真山仁氏はこう書いている。

暗殺者の主人公でシリーズを続けるのは、難しい。所詮は、ターゲットをいかに始末し、逃げ切るかの物語になりがちだからだ。
だが、第二作の『暗殺者の正義』が、第一作よりも複雑かつ面白かった。これはもしかしたら、稀世の天才の登場かと期待が膨らんだ。期待は確信となり、十作目を迎えた現在まで、裏切られたことはない。

さらに、

シリーズを重ねていくにつれて、グリーニーは、作品を単なる「暗殺物」にせず、スパイ小説の要素を着実に取り込むようになる。

と、書いている。1作目はダイヤの原石である。2作目以降も是非読んでみたい。

「暗殺者グレイマン」

マーク・グリーニー(著)、伏見威蕃(訳)
発行:早川書房
文庫版:473ページ
価格:1034円(税込み)
発行日:2012年9月25日
ISBN:978-4-15-041267-8

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