【書評】人類史上最悪の「独ソ戦」を戦った女性だけの狙撃隊:逢坂冬馬著『同志少女よ、敵を撃て』
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ロシアがこだわる対ナチスドイツ戦勝記念日
ウクライナ侵略を進めるロシアのプーチン大統領は、5月9日の対ナチスドイツ戦勝記念日に、大きな決定を表明すると言われる。なぜ、プーチン大統領はそれにこだわるのか。本書の最後の方に、こういう文章がある。
「おびただしい人命を失いながら、防衛戦争として強大なドイツ軍を迎え撃ち、ついには人類の敵、ナチ・ドイツを粉砕したという事実は、ほとんど唯一といっていいほどにソ連国民が共有することのできる、輝かしく心地よい物語として強化されていった」
プーチン大統領は欧米の支持を受けた今のウクライナを、ロシア嫌いのナチスに例えて、戦争を正当化するのだろうか。
「この戦争には戦う者と死ぬ者しかない」
「独ソ戦」の実態を女性の視線から描いた本書は、ドイツにソ連侵攻が始まった翌年(1942年)の2月、モスクワ近郊の農村に突如、ドイツ軍が現れるところから始まる。モスクワの大学への入学が決まり、ドイツ語を学んで、独ソ両国が仲良くなるよう外交官を目指していた16歳の少女、セラフィマの運命は一変する。母も、村人も皆殺しとなり、友人は乱暴された姿で死んでいた。
一人生き残ったセラフィマは、ドイツ兵に射殺される寸前に赤軍の女性兵士に救われる。女性兵はセラフィマに問う。「戦いたいか、死にたいか」。「この戦争では結局のところ、戦う者と死ぬ者しかないのさ」。そして、女性兵士は母の遺体を焼いてしまう。
母が猟師で、自分も狩りの名手だったセラフィマは、こう叫ぶ。「ドイツ軍も、あんたも殺す! 敵を皆殺しにして、敵(かたき)を討つ!」
この女性兵士は狙撃兵で、セラフィマはこの女性兵が教官長の狙撃訓練学校に入り、腕を磨いていく。この訓練校には、セラフィマのように戦争で家族を失った少女らが集められていた。
ソ連にとってウクライナは略奪すべき農地
ウクライナ出身の少女もいた。その少女がセラフィマにこんな話をする。
「ウクライナがソヴィエト・ロシアにどんな扱いをされてきたか、知ってる? なんども飢饉に襲われたけれど、食糧を奪われ続け、何百万人も死んだ。たった20年前の話よ。ソ連にとってのウクライナってなに? 略奪すべき農地よ」
「ウクライナでは、みんな最初ドイツ人を歓迎していた。これで共産主義者がいなくなる。これで、ソ連からウクライナは解放されるんだって」
「ドイツ人はスラヴ民族を奴隷にするため、ウクライナの支配者になったの」
「ロシアとウクライナをまとめて奴隷にしようとするドイツに支配されていれば、ウクライナは奴隷でしかあり得ない。『ナチスとともにソ連を倒す』ことはできない。けれど『ソ連とともにナチスを打倒する』ことはできる」
「本当はあんたも気付いているんじゃないの? これは、異常な独裁国家同士の殺し合いなんだと」
セラフィマは「誰かに聞かれたら、殺されてしまう」と心配するが、ウクライナ少女は言う。
「私はそれが言いたかった。本当のことを言えば殺されてしまう国に、私たちは住んでいる」
今日のロシアとウクライナの問題を考える時に、ウクライナの積年の恨みや、なぜプーチン大統領が「ウクライナのナチ」と言うのか、知っておくべき歴史的背景が語られている。本書では、二人の少女はその後、複雑な関係になっていく。
狙撃訓練学校を卒業したセラフィマたちは、あの教官長が率いる女性だけの狙撃専門の特殊部隊となり、参戦する。向かったのは、第二次世界大戦最大の激戦が展開されたスターリングラード(現ボルゴグラード)だ。この大戦で女性部隊が実際に前線で闘ったのはソ連だけである。
ウクライナ方面から侵入したドイツ軍との市街戦となり、戦前に60万人のこの都市で、生きて戦闘終結を迎えた市民はわずか9000人だった。セラフィマたちは多くの仲間を失ったが、この戦いでの勝利がナチスドイツ敗北の転機となった。
戦争の“悪魔性”
女性兵士ならではの視点で物語は進んでいく。最終決戦を前に、赤軍はソ連に解放されたばかりのポーランド東部で合同宿営した。女ばかりの狙撃隊を、男の兵士たちがからかう。歩兵の一人がわざとらしく声を張り上げて、ドイツ女性への暴行の話を始めた。「女性を守るために戦う」と決めていたセラフィマは、男兵士たちを許せず、けんかになる。
止めに入ったのが、同じ村の出身で、将来、結婚すると思っていた幼なじみだった。セラフィマは幼なじみの砲兵少尉に、ソ連兵士の軍規違反になる暴行について確かめた。少尉は「どこでも占領の初日はひどいもんだよ」と認めた。
「兵士たちは得るものもなく、皆愛国心と復讐を武器に命をかけて戦ったんだ。戦友を失い、自分も死にかけ、その末に勝利者として振る舞おうとしたとき、敵国民の女がいる。それで、ああいうことが起きる」
「兵士たちは恐怖も喜びも、同じ経験を共有することで仲間となるんだ」
“男の論理”に納得のいかないセラフィマに、幼なじみは、80人狙撃して殺したことを自慢に思う君(セラフィマ)はどうなのかと冷たく言い放つ。背を向けた彼女に砲兵少尉はこう言った。
「この戦争には、人間を悪魔にしてしまうような性質があるんだ」
セラフィマも言う。「私たちはそれ(戦争)を言い訳にして悪魔になってはいけない」
「ロシア、ウクライナの友情は永遠に続くのだろうか」
大戦が終わってから数十年が経ち、セラフィマは思いをはせた。戦時の性犯罪についてはこう述べる。
「まるで交換条件が成立したかのように、ソ連におけるドイツ国防軍の女性への性暴力と、ソ連軍によるドイツ人への性暴力は、互いが口をつぐみ、互いを責めもしなくなった」
狙撃訓練学校で一緒だったウクライナ少女のことも心に浮かべる。
「ロシア、ウクライナの友情は永遠に続くのだろうか、とセラフィマは思った」
この作品はウクライナ侵攻の前年に出版されたものだが、主人公セラフィマの心配した通りに、両国の友情は続かず、戦争が起きてしまった。ロシアに攻められたウクライナの廃墟、おびただしい住民の遺体、女性への暴行……。
本書に書かれている内容がウクライナで再現されているが、80年前のロシア、そしてウクライナを舞台にした戦争の悲惨さ、無情さを伝えるこの作品の評価が高まっている。日本人にはあまり理解されてこなかった独ソ戦の実態を、読みやすい文章で書き上げた著者の評価も一段と高まっている。
『同志少女よ、敵を撃て』
逢坂冬馬(あいさか・とうま)(著)
発行:早川書房
四六版:496ページ
価格:2090円(税込み)
発行日:2021年11月25日
ISBN:978-4-15-210064-1
