【新刊紹介】銀座の街を現在から過去、そして未来へと旅する:森岡督行著『800日間銀座一周』
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「一冊の本を売る」書店主が綴る銀座の魅力
著者の森岡督行(よしゆき)さんは1974年、山形県寒河江(さがえ)市生まれ。東京・神田神保町での古書店勤務を経て独立し、2015年、東銀座(銀座1丁目)に「一冊の本を売る本屋」をコンセプトに、週替わりで1冊の本だけを販売する「森岡書店 銀座店」をオープン。築90年超のビルの1階にある店舗では、販売中の本に関する展覧会やイベントが催され、本の著者や編集者、読者らが集うサロンのような雰囲気が漂う。
アートやファッション、文学、食などに対してユニークな着眼点、審美眼を持つ森岡さんに、「現代銀座考」なるコラムを依頼したのが、1872年、日本初の民間洋風調剤薬局として銀座(出雲町、現・銀座7丁目)に産声を上げた資生堂。同社が発行する季刊の企業文化誌『花椿』(1937年創刊)で、2019年11月から2年2カ月、約800日間にわたり連載したエッセイを1冊にまとめた。
和光の鐘/銀座の柳とアンリ・シャルパンティエ/ライバルとビヤホールライオン銀座7丁目店/鳩居堂の偶然/はち巻岡田の味/森茉莉と贅沢貧乏と銀座/銀座の紫陽花/考現学と童画の1925年/1600年頃の銀座/ソニーパークと東京大自然説/木村屋のあんぱん/空也餅と『吾輩は猫である』/ガス灯と新聞と銀座/小泉八雲と大和屋シャツ店……など40篇を収録している。
連載開始から数カ月後にはコロナ禍が日本中を襲い、銀座も壊滅的な被害を受ける。だが、森岡さんのエッセイからそうした暗さは全く感じられない。銀座の街を現在から過去、そして未来へと軽やかに旅をし、そこに関わる人々の魅力を生き生きと、味のある自作イラストと伊藤昊(こう)のモノクロスナップ写真とともに描き出している。
梅雨空に映えるアジサイの花
5月下旬の平日の昼下がり、本書を片手に「銀ぶら」してみた。
地下鉄を降りて銀座4丁目交差点に出ると、「ル・カフェ ドトール」のテラス席を飾る濃いピンクと鮮やかなブルーのアジサイが目に飛び込んできた。よく観察しながら街を歩いてみると、確かに森岡さんが言うように銀座の街路にはアジサイの花が多い。交詢社通り、柳通り、並木通りでもつぼみが膨らんでいる。
2020年7月初旬、森岡さんは同志2人と「総力を挙げて」銀座界隈に咲くアジサイをカウントして回った。その数273株。「(アジサイの)代表的な花言葉は『移り気』。『一家団欒』という意味もある。確かに銀座にはどちらもある」と森岡さんは記している。
銀座といえば都心のイメージがあるが、実は自然の宝庫でもある。「自然の山の1ヘクタールより銀座のほうが樹種が多い」と言う学者もいるくらいだ。
花椿通りには、旧町名の「出雲町」つながりで、島根県出雲市から贈られたツバキが植えられている。交詢社通りには、社交クラブ「交詢社」を設立した福沢諭吉の家紋にちなんでカエデ。昭和通りにはイチョウ、並木通りには西洋菩提樹。そして銀座1丁目・8丁目の交差点界隈には、銀座のシンボルともいうべき柳。GINZA SIXや歌舞伎座をはじめ屋上庭園も多く、養蜂や米づくりをしているビルもある。
「銀座らしさとは何か」を追い続けて
GINZA SIXに足を運ぶ。松坂屋銀座店の跡地を含む銀座6丁目に建てられた、地下6階・地上13階建ての商業施設の屋上には、4000平方メートルもの庭園が広がる。展望デッキから見渡すと、近隣の京橋や虎ノ門とは対照的に超高層ビルがないことに気づく。なぜなのか?
実は2003年、松坂屋と森ビルによってこの地に200メートル近い高さの超高層ビルが提案された。驚いた地元商店主たちは「銀座街づくり会議」を設立して議論を重ね、最終的に中央区が地区計画を改正して、建物の最高高さを56メートルに制限した。
東京中が超高層ビルで経済を活性化しようとする中、あえて銀座の人たちは「銀座らしさとは何か」を唯一の判断基準に、「小ぶりだが一流専門店がそろった街並み」「回遊性の高い区割り」を掲げて未来の銀座のあり方を模索している(竹沢えり子著『銀座にはなぜ超高層ビルがないのか』)。
銀座はこれまでも1872(明治5)年の大火、関東大震災、戦災と焼け野原になりながら、その都度「アジア屈指の魅力ある街」として再生を遂げた。確かにコロナ禍は大きな痛手となったが、本書からは銀座という街が持つ不変のパワー、懐の深さというものが伝わってくる。
森岡さんは最終章でこう締めくくっている。
この時代の銀座を書くにあたり、私は、以下のことを心に決めました。もし時代に良い面と悪い面があるなら、良い面を見よう。いまこそ、銀座の良さを書きたい、と。そしておよそ800日、自分なりに銀座を歩いて思ったのは、銀座は良い街だということです。大変な時代ですが、本当にそう思います。
銀座は、東京に住んでいる場合は、遠いというほどではないけれど、ひとつの旅に出かけたような体験をもたらします。それは時として、時間を遡っていくような旅でもあります。ひとつのあんぱんを買う。1杯のお酒を飲む。1着のスーツをつくる。その背後には100年単位の時間が感じられます。それが銀座が良い街と思える理由のひとつです。
文春文庫
発行:文藝春秋
発行日:2022年4月10日
文庫判:208ページ
価格:726円(税込み)
ISBN:978-4-16-791867-5
