【書評】極東ワイン新興国の挑戦者たち:鳥海美奈子著『日本ワイナリーの深淵』

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日本のワイナリー(ワイン醸造所)は今や約400軒。この10年で倍増した。著者は代表的な12軒を訪ね、生産者から土壌、ぶどうの品種と栽培法、醸造法などを取材し、彼らの人生の軌跡にも迫った。「日本ワイン」の未来を予感させる好著だ。

「日本ワイン」のテロワールとは

ワインには、底知れない深淵(しんえん)と魔力がある。本書は、そのワインに人生をからめ取られた人たちの12の物語である。

ノンフィクションライターの著者、鳥海美奈子(とりうみ・みなこ)氏はこう書き起こす。

そもそも「日本ワイン」とは何か。日本の国税庁の基準によると、原料に日本産ぶどうを100%使い、国内で醸造されたワインを指す。日本ワインは一種のブームを迎えている。日本ソムリエ協会(田崎真也会長)は機関誌の最新号(11月20日発行)で「今こそ、日本ワインを語ろう。」と題する特集を組んだ。

ワインについて語る際のキーワードが「テロワール」だ。奥深い概念でいろいろな解釈があるが、本書では次のように定義している。

フランス語の土を意味するterreから派生した語だ。そこには畑の土壌、日照、気温、降雨量、水はけ、風通し、海抜、さらにはその風土と向きあい、仕事をする生産者の思考や哲学までもがすべて内包されている。

同じぶどう品種でもその土地のテロワール(大きくは地方、小さくは畑の区画の土壌や気候など)によってワインの味わいに違いをもたらす。ワインの「旧世界」と呼ばれるフランスなどワインの銘醸地は日本と比べ、一般的に降水量が少なく、日照時間が長い。一日の気温差も大きい。

雨が多く、寒暖差が比較的小さい地域が大半の日本はかつて、ワイン用ぶどう品種の生産に適さないといわれた。しかし、本書で取り上げた生産者たちは、栽培が極めて難しいとされる仏ブルゴーニュ地方原産の赤ワイン品種「ピノ・ノワール」などにも果敢に挑戦してきた。著者はこう看破する。

日本ワインならではの繊細さや旨(うま)み、エレガントさ。北海道なら北の大地らしい冷涼(れいりょう)さ、岡山であれば瀬戸内海気候の温暖さなど、風土をワインに映し出すことに、成功している。

「ワインの父」や「中興の祖」と人脈

本書はワイナリーごとに12章で構成されており、登場する生産者は4組の夫婦を含めて計16人。現在、ほぼ40~60代の現役世代だ。高学歴で理系も少なくなく、フランスや米国、オーストラリアなどへの留学経験もある。読書家が多く、知性あふれる魅力的な人物ばかりだ。

「ワインツーリズムやまなし」試飲会(2018年11月17日、山梨県)=泉眞理(ワインエキスパート)撮影
「ワインツーリズムやまなし」試飲会(2018年11月17日、山梨県)=泉眞理(ワインエキスパート)撮影

最近の日本ワインブームには二人の立役者がいた。本書には、この両氏と生産者たちとの様々な出会いが描かれている。

両雄の一人は、醸造技術の第一人者で「現代日本ワインの父」と称される故浅井昭吾氏だ。麻井宇介のペンネームで『ワインづくりの思想』(中公新書)などの著作がある。メルシャン理事勝沼ワイナリー工場長などを歴任、2002年に71歳で鬼籍に入った。11月公開の映画『シグナチャー~日本を世界の銘醸地に~』(柿崎ゆうじ監督)のモデルにもなっている。

もう一人は、米国人醸造家、ブルース・ガットラヴ氏だ。本書第3章に出てくる受託醸造所「10R(トアール)」(北海道)を妻の亮子さんと運営している。著者は同氏を日本ワイン「中興の祖」と形容する。

ガットラヴ氏は1961年ニューヨーク州生まれ。醸造学で最も権威のあるカルフォルニア大学デイヴィス校大学院で学んで89年に来日、知的障害者の職場でもあるココ・ファーム・ワイナリー(栃木)で長年技術指導し、全国から集まった弟子も育てた。ココのスパークリングワインは2000年の九州・沖縄サミットの晩餐会の乾杯酒にも採用された。同氏はココに籍を置いたまま、09年に北海道に移住している。

浅井氏と生産者たちの接点は例えば、岸平典子氏のケース。1920年創業のタケダワイナリー(山形)の5代目で、フランスに4年間留学した女性醸造家の先駆者だ。父親が生前の浅井氏と交流し、彼女自身も多大な影響を受けた。ドメーヌ・オヤマダ(山梨)の小山田幸紀氏は大学時代、ソムリエスクールで浅井氏の授業を受けたという。

一方、ガットラヴ氏はドメーヌ・タカヒコ(北海道)の曽我貴彦氏、農楽蔵(同)の佐々木賢・佳津子夫妻、KONDOヴィンヤード(同)の近藤良介氏、ナカザワヴィンヤード(同)の中澤一行・由紀子夫妻らの師匠だ。

自然派ワインと「亜硫酸」問題

ワインの世界的な潮流は「自然派ワイン(ヴァン・ナチュール)」といわれる。本書の主役である生産者たちも自然派志向だが、その究極がラ・グランド・コリーヌ・ジャポン(岡山)の大岡弘武氏だ。同氏はフランスに2016年まで約20年滞在、南仏ローヌ地方のコルナスで自らのワイナリーを設立した実績を持つ。帰国後、日本古来の山ぶどう系の新品種「小公子」も採用した。

「アズッカ エ アズッコ」風の丘のワイナリーは2006年創業(2022年11月20日、愛知県)=評者撮影
「アズッカ エ アズッコ」風の丘のワイナリーは2006年創業(2022年11月20日、愛知県)=評者撮影

自著『大岡弘武のワインづくり』(2021年9月2日発行)によると、自然派ワインを「基本的には、有機農法もしくはそれ以上に自然な農法でつくられた葡萄を、そのまま一切の添加物(砂糖、酸、酵母、亜硫酸など)を入れずにつくられたワインの総称」と定義している。

「亜硫酸」は酸化防止剤として、実はほとんどのワインに入っている。この問題をめぐって昔から議論がある。大岡氏は「味が固くなる」と主張する。本書の著者は「ワインが発酵する段階でも少量の亜硫酸が自然に発生するので、まったく亜硫酸ゼロというワインは存在しない」、「亜硫酸だけで語れるほどワインは単純ではない」と指摘する。

「新しい景色」目指す日本ワイン

国際サッカー連盟(FIFA)のワールドカップ(W杯)カタール大会で優勝したのは、南米のワイン大国アルゼンチンだった。同国代表のスーパースター、メッシ選手と祖国のワイナリーがコラボレーションしたワインもある。ワインで有名な国々は、サッカー強豪国でもあるのだ。

W杯準優勝のフランスは言わずと知れたワイン王国。日本が1次リーグで逆転勝ちしたドイツ、スペインの両国はワイン生産で世界の10指に入る。日本はW杯で目標の8強という「新しい景色」には届かず、16強にとどまった。

約140年前の明治時代から始まった日本のワイン醸造の歴史は浅い。日本のワイン生産量は世界で25位あたり。FIFAランキング(10月6日)の24位と似たようなものだ。日本ワインは世界的に注目され始めているとはいえ、ワインの世界では「ニューワールド」に属する。数千年の歴史を有する西洋のワイン文化には程遠い。

本書の12軒16人のワイン生産者たちは、いわば日本代表だ。「世界の東の果てのワイン新興国で、その高みに挑もうとしている人たちにほかならない」と著者は世界標準への挑戦に期待を寄せる。

●12のワイナリーと生産者

  1. ドメーヌ・タカヒコ(北海道) 曽我貴彦
  2. 農楽蔵(北海道) 佐々木賢・佳津子
  3. 10R(北海道) ブルース・ガットラヴ・亮子
  4. KONDOヴィンヤード(北海道) 近藤良介
  5. ナカザワヴィンヤード(北海道) 中澤一行・由紀子
  6. タケダワイナリー(山形) 岸平典子
  7. 酒井ワイナリー(山形) 酒井一平
  8. カーブドッチ(新潟) 掛川史人
  9. 楠わいなりー(長野) 楠茂幸
  10. キザンワイナリー(山梨) 土屋幸三・由香里
  11. ドメーヌ・オヤマダ(山梨) 小山田幸紀
  12. ラ・グランド・コリーヌ・ジャポン(岡山) 大岡弘武

(注)敬称略、カッコ内は都道府県名

『日本ワイナリーの深淵――出色ワインのつくり手たち』

さくら舎
発行日:2022年11月13日
四六判:272ページ
価格:1980円(税込み)
ISBN:978-4-86581-366-1

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