【書評】日台の狭間で起きた「野球」をめぐる悲劇と希望:唐嘉邦著、玉田誠訳『台北野球倶楽部の殺人』

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昨今日本の出版界で注目を集める「華文ミステリー」。その登竜門である島田荘司賞を受賞した台湾の作品『台北野球倶楽部の殺人』は、日本統治下の台湾で起きた二つの同時殺人事件をテーマとして、「野球」と「鉄道」がキーワードになる。ミステリー愛好家だけでなく、台湾ファン、鉄道ファン、そして、野球ファンにも楽しめる内容だ。

物語は戦後日本を席巻したプロ野球の強打者、大下弘から始まる。
大下が、台湾の学生野球で頭角を現したことはあまり知られていない。神戸育ちだった大下は母の移住した台湾に渡り、高雄商業の野球部で頭角を現す。台湾代表として戦前の甲子園で準優勝した強豪・嘉義農林に阻まれて出場はならなかったが、その才能は広く知られるところとなり、当時の日本野球界の花形・東京六大学の明治大学に進学する。

原著写真(文藝春秋社提供)
原著写真(文藝春秋社提供)

のちに「赤バットの川上、青バットの大下」と呼ばれる大スターになる大下の争奪戦が日本統治下の台湾で起きていたのは史実である。作者が架空の舞台として設定したのは、台湾で野球を愛する人々でつくる「球見会」だ。会合のあと、会員二人が、別々の列車のなかで遺体として発見される。その事件の謎を台湾人と日本人の刑事コンビが解き明かしていくミステリーだ。

鉄道網に潜んだ盲点

殺されたのも一人は日本人、一人は台湾人。二人の間にはもともと怨恨があったが、物理的には二つの事件を関連づけることは不可能のように思えた。鍵になるのは時刻表トリック。日本時代に敷かれた台湾の鉄道網の運行方法に潜んだ「盲点」を、刑事たちは突き止める。

基本は古典的な鉄道ミステリー。堅実な正統派のスタイルは松本清張を思わせる。一方で、謎解きの主役は台湾人刑事だ。実力派の台湾人刑事を日本人の同僚が支える姿は、台湾社会の現実に向き合う捜査現場のリアリティを示している。台湾のことは台湾人に聞け、という作者のメッセージが聞こえてきそうだ。

民衆蜂起「タバニー事件」とのリンク

作者は台湾の新聞記者出身だけあって、本書に少なからぬ「歴史」や「政治」のファクターを織り込んでいるところが、物語に深みを与えている。

殺害された台湾人の野球愛好家は、1915年に日本統治へ反抗する民衆が蜂起した事件「タバニー事件(西来庵事件)」の関係者の子孫だった。日本統治はインフラ整備や教育制度、衛生問題の改善などで確かに台湾を近代化の方向に進めたが、強圧的な統治に対する反抗運動が特に統治前半に頻発した。南部の台南で発生したタバニー事件もその一つだった。

1938年に起きた殺人事件とタバニー事件が時間を超えてリンクをしながら、日本の台湾統治の実相をあぶり出していく。一つの土地を他民族が支配することが生み出す「傷」を、日台の狭間で起きた殺人という悲劇がくっきりと浮かび上がらせる。同時に、その事件を日台の刑事が解決に導くところに希望も込められている。

日本人と台湾人が交わる場としての野球

舞台設定としての日本統治下の台湾で、日本人と台湾人が交わる「場」として野球が選ばれたのは偶然ではない。
なぜなら日本が台湾に移植した野球という近代スポーツでは、身分の壁で分けられていた台湾人と日本人が、共通の土俵で真剣勝負を戦わせる唯一といっていい場だったからだ。今日まで語り継がれる日台混成チーム「嘉義農林」野球部の甲子園での活躍がいい例である。

本書の中に、殺された台湾人野球愛好家の育った村の長が吐いた、印象に残るセリフがある。
「今の世の中、公平なのは野球の試合ぐらいじゃないですか。打てばその実力がきちんと評価される。そこには本島人も内地人もありません。内地人ばかりが優遇される社会で、野球は唯一、台湾人が日本人と張り合うことができるものではありませんか」

本書でも、随所に日台の野球をめぐる史実が挿入される。大下が所属する高雄商がどうしても嘉義農林に勝てなかったことや、台湾交通団という実業団チームが日本でも有名になるほど強かったことなどだ。実在の渡辺大陸という野球人も「球見会」の一員という設定だ。殺人事件の背後に、大下のスカウトを狙う東京六大学の「慶應」「立教」「明治」などが出てくるところも、当時のプロ野球をしのぐ人気だった大学野球の人気の一端を感じさせる。

ミステリーでありながら、「野球」と「鉄道」というお馴染みの題材を通じて、日台関係の原点を映し出す良作である。

『台北野球倶楽部の殺人』

出版社:文藝春秋
発行日:2022年8月30日
A4判:256ページ
価格:1760円(税込)
ISBN:978-4163915869

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