東野圭吾の世界:活字と映像の幸福な関係『ガリレオシリーズ』

Books エンタメ 社会 科学 Cinema

2005年度に直木賞を受賞した『容疑者Xの献身』をはじめ、シリーズ合計10作(2022年現在)、累計発行部数1400万部を越える「探偵ガリレオシリーズ」は、四半世紀にわたって愛されてきた。いまやその人気は日本にとどまらず、海外にもファンが多い。その魅力の理由を探る。

熱くてクールな科学者

これまでも、世界中のミステリー作品で多くの「謎解き役」が登場してきたが、東野圭吾による「探偵ガリレオシリーズ」の主人公・湯川学は、現代日本を代表する探偵といえる。

シリーズ第一作の「燃える」が雑誌に掲載された1996年から、2021年に刊行された最新作『透明な螺旋』まで、湯川学は25年間にわたって事件を解決し続けてきた。
なぜガリレオこと湯川は、四半世紀も愛されてきたのだろうか。

湯川の本業は、探偵ではなく科学者だ。
学生時代から天才と呼ばれた才能の持ち主で、シリーズに最初に登場したときは帝都大学理工学部の助教授。シリーズが進む中で教授に昇進している。
少ない手がかりを見逃さず、科学的な知見を基に謎を解くので、天才科学者にちなんで、あだ名は「ガリレオ」というわけだ。

エピソードの多くは、学生時代に湯川とバドミントン部のチームメイトであり、いまは警視庁捜査一課の刑事の草薙俊平が、湯川の専門知識を活かして、担当している事件の解決の糸口を得ようと帝都大学の研究室を訪ねるところから始まる。

長身で色白、黒縁眼鏡をかけた秀才タイプの顔つきは、学生のころから殆ど変わっていない。前髪を眉の少し上できりそろえた髪型も、昔のままだった。

「燃える」で、初めて湯川が登場するシーンだ。
旧友の草薙に対し、常に湯川の対応はそっけない。

「よし事件だ!」とアドレナリンを放出させることなどなく、「何の意見もない」「それは自分には分からない」「どんな可能性もあり得る」など一歩引いた受け答えをして、草薙を研究室から追い返してしまうことも少なくない。

ところがその後、関心を抱いた事件については自ら情報を集め、現場に足を運び、関係者の話を聞いて、事件を解決しようと動く。警察と協力することもあれば、ひそかに行動していることすらある。

湯川が対峙するトリックは、ホステスが客を虜(とりこ)にする透視術、自作のレールガンを使った殺人計画、双子のテレパシーなど、一筋縄ではいかないものばかり。刑事たちがお手上げになるケースもあれば、捜査が見当違いの方向に進むこともある。

そんなときも、湯川は冷静な科学者の視点と、確固たる信念とをもって謎を解きほぐしていくのだ。

冷たく刑事たちをあしらいながら、実際は真実を追求する熱い心を持つ湯川。
事件が解決してもヒーロー然とすることはなく、クールに去っていく。
いや、きっと嬉しいはずなんだけど……と、その背中に向かってつぶやきたくなるほどだ。

この湯川のギャップ、いわば“ツンデレ”が読者を虜(とりこ)にしてしまうのではないか。

「ガリレオ=福山雅治」が生み出した物語

ガリレオシリーズの人気を支えるもう一つの特徴が「映像化」だ。

約300万部という大ベストセラーとなった『容疑者Xの献身』をきっかけに、「ガリレオ」がドラマ化されたのが2007年。湯川役を演じたのは、福山雅治だった。

本で描かれる湯川は、決してかっこいいタイプではない。個性豊かで魅力的ではあるが、基本は科学オタクで非社交的。「どこかの景品でもらったようなマグカップ(しかも薄汚れている)」を愛用し、普段はたいてい白衣姿。おしゃれにも関心がなさそうだ。

そんな湯川を、あの福山雅治が演じる。かっこいい、イケメンなど数々の形容詞を手にしてきた、あの福山雅治が。

第74回ベネチア国際映画祭に参加した福山雅治。主演した「三度目の殺人」(脚本・監督とも是枝裕和)が出品された=2017年9月(AFP=時事)
第74回ベネチア国際映画祭に参加した福山雅治。主演した「三度目の殺人」(脚本・監督とも是枝裕和)が出品された=2017年9月(AFP=時事)

かなりのサプライズキャスティングだった。
当時は、「ちょっとイメージが違う」などと言うガリレオファンもいたくらいだ。

ところがこれが大当たり。平均視聴率は20%を越え、「ガリレオ=福山雅治」というイメージが一気に浸透した。2008年には『容疑者Xの献身』が同じキャストで映画化され、こちらも大ヒットとなっている。

ドラマはシーズン2や特別編などが放送され、映画も「容疑者Xの献身」に続き「真夏の方程式」(2013年)、「沈黙のパレード」(2022年)と3作が公開されている。

読みごたえのある原作が生まれ、ドラマや映画へと映像化される。
これはよくあることだ。

ガリレオの場合、そこに福山雅治というピースがピタリとはまったことにより、映像作品がさらにファンを増やし、ガリレオシリーズを手に取るきっかけとなり、さらにファンが増すという正のスパイラルが加速した。

活字の作品が映像と相互に絡み合いながら、一つの愛すべき物語として日本中、さらには世界へと広がっていったのだ。

そしてそのパワーは、翻って著者・東野圭吾にも影響を与えている。

東野:僕は福山さんをイメージしながら小説を書いてるわけです。一方で福山さんも、年齢を重ねられて変わっていく。今の福山さんが演じる湯川はこんな感じだろうと書けば、自然な形で湯川も変わっていく。無理やりキャラクターを変化させたり、奇抜なことをさせたりする必要はないんじゃないかな。

福山:実際、演じる方も本当にやりやすいです。

(中略)

東野:こうして映画やドラマとして映像化された後では、小説の読者も福山さんをイメージしないわけがない。(略) 「そうやって読まないでくれ」なんてバカなことを言ったってしょうがない。だったら上手に利用して読みやすいように書きますもんね。「ちょっと福山さんのイメージじゃないな」ということは書かないですよ。

福山:小説も全部読ませていただいてますが、これは僕にとってすごく贅沢な時間です。「ガリレオ」の新作を最初に読ませていただく時というのは、まず、「湯川学をこの地球上で演じられるのは僕だけだ……」と思って読んでいるわけです。「おお、今回はこんな僕なんだ!」と(笑)

(東野圭吾×福山雅治対談「ガリレオの秘密」 文藝春秋より)

原作と映像は違うと著者がきっちり線を引くのではなく、著者自身が映像の世界に入り込んで境界線が薄まり、新たな「ガリレオ」を育むことが、次の映像につながっていく。

これまでも、たとえばジェームズ・ボンドや金田一耕助など、「ハマり役」「当たり役」と呼ばれた作品と俳優の関係はたくさんある。

ガリレオシリーズがそれらと異なるのは、著者と役者が同時代を生き、いわば芝居のあて書きのように俳優の顔を思い浮かべながら、著者が新しい作品を書き続けている点ではないだろうか。

まるで生き物のように、「ガリレオ=福山雅治」が動き回って謎を解き、作品ができあがる。

著者と作品、そして映像のこうした幸福な関係が、さらにファンをワクワクさせる。次はどんな作品につながり、どんな映像が見られるのだろう。
湯川が50歳、60歳となっても、物語は途切れることなく続いていくのではないか――。

10作という節目を経てなお、ガリレオシリーズはそんな予感に満ちている。

バナー写真:東野圭吾のガリレオシリーズから『容疑者Xの献身』(左、08年発売)、『真夏の方程式』(中、13年発売)、『透明な螺旋』(右、21年発売)

書評 本・書籍 直木賞 東野圭吾 福山雅治 ガリレオ