【書評】中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入した日本人を描く:沢木耕太郎著『天路(てんろ)の旅人』

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ノンフィクション作家の第一人者、沢木耕太郎の最新作が刊行された。主人公は、終戦前後、密偵として蒙古人のラマ僧に扮し、広大な大陸を中国、チベット、インドと7年に渡って徒歩で旅を続けた西川一三(にしかわかずみ)。著者は「稀有(けう)な旅人」西川との出会いから25年を経て、渾身(こんしん)の作品を書き上げた。

「これが最後の作品になってもよいと思った」と著者は語っている(NHKクローズアップ現代1月10日放映)。それほど思い入れの強い作品なのだ。

作家の沢木耕太郎=2018年12月20日、新潮社で(共同)
作家の沢木耕太郎=2018年12月20日、新潮社で(共同)

著者の作品の特色は、書き手が前面に出てくることだ。本作でも、西川との出会いから章を書きおこしている。当時、西川は盛岡で小さな化粧品卸の店を営んでいた。すでに80歳になろうかという高齢者だが、著者は西川の印象をこう書いている。

「そこには、強い信念を抱いて生きてきたに違いない、ひとりの旅の達人、いや人生の達人がいるように思えた」「鋼のように硬質な、あるいは胡桃の殻のように堅牢な人生が存在しているかのように思える」

西川は、帰国後に『秘境西域八年の潜行』(1967年)という長大な書物を遺しているが、人口に膾炙(かいしゃ)したとはいいがたい。著者は1年間、盛岡に通い、インタビューを重ねた。西川の没後、3200枚の原稿を遺族から預かり、本書を書き上げるまでに7年の歳月を要したという。それほど西川の旅は遠大なものだったのである。

どういう人物であったか。西川は1918年(大正7年)山口県の出身で、農家の次男として生まれた。福岡の名門・修猷館中学に進み、卒業後、満州の満鉄に就職する。その頃には約180センチの偉丈夫であったという。

ときあたかも日本と中国は全面戦争に突入していた。当時の内蒙古は日本軍の支配下にあり、西川の仕事は現地の日本人職員のための生活物資の調達であった。しかし、入社して5年後の41年(昭和16年)、満鉄を退社し、内蒙古に設立された「興亜義塾」に入る。大陸進出の国策に伴い、現地で活動する有為な人材を育てるための教育機関である。若き日の西川には志(こころざし)があった。

しかし、ここからが運命の分かれ道だった。卒業間近に塾内の喧嘩騒動に巻き込まれ、西川は退塾となるが、この地を離れるつもりはなかった。西北アジアの奥深くまで探索したいという願望は捨てがたい。「潜入して、日本人にとって未知の部分の多い地域についての知見を深めたい。それは結果として中国とのこの戦いに大いに益するはずだ……。」かくして西川は伝手(つて)を頼り、特務機関の密偵となったのである。

「純度の高い旅人になった」

西川は、蒙古人のラマ僧に扮し、巡礼を装い、中国奥地へと旅することになった。著者は、西川に寄り添うかのように長い旅程を辿り、丹念にその足跡を描いていく。本書の読みどころは、中国最深部の青海省を経由してチベットへ、そしてインドへと続く、想像を絶した苦難の冒険譚の活写であるとともに、広大な草原や灼熱のゴビ砂漠、猛吹雪のエベレスト越えなど、圧巻の風景描写にあるだろう。ラマ廟での宗教行事や人々の暮らし、中央アジアの風俗風習も興味深い。

ヤクに乗るチベット遊牧民、2016年7月27日・中国青海省で(AFP=時事)
ヤクに乗るチベット遊牧民、2016年7月27日・中国青海省で(AFP=時事)

西川は現地の言葉に精通し、仲間のラマ僧とともに、ただひたすらに歩いていく。乾いた家畜の糞(アルガリ)でわずかな食糧を煮炊きし、風雪に耐え、テントの中で丸まって眠る。匪賊の襲撃を避けるため、家畜のヤクを従えて集団で移動するときがあれば、金銭もなく、托鉢(たくはつ)や物乞いをして飢えをしのぐこともあるが、決して諦めることなく旅を続けていく。

西川は、著者のインタビューに「自分を低いところに置くことができるなら、どのようにしても生きていけるものです」と答えている。だが、道中、西川は日本の敗戦を知る。彼はどう決断したか。著者は書く。

「密偵としての役割を果たさなくてもよくなったいま、自分の知らない土地を巡る自由を得た(略)自分も自由に旅をすることができるのだ。まず(略)全仏教徒にとっての聖地である、ブッダガヤ、クシナラ、ルンビニの三大聖地への巡礼をしよう」

日本の敗戦によって、彼は密偵から旅人になったのだ。著者はこう話す。「たった一人で自分の力を頼りに旅を続けた。西川は本当の自由を手に入れたとともに、純度の高い旅人になったと思う」(同NHKクローズアップ現代)

しかし、その旅にも終わりがあった。インドで偽装していた身分が発覚し、身柄を拘束されて、やがて日本へ強制送還となる。1950年(昭和25年)に帰国。その後について、寡黙であったというが、著者はしっかり取材して記している。なぜ山口の出身者が盛岡を終の棲家としたのか。壮絶な旅を経た後の、その後の長い西川の人生にこそ、含蓄がある。妻子を養うために正月以外は年中無休で働き、毎日、仕事の帰りに2合の酒を飲む。日々その繰り返しだった。潔い生き方とはこうしたものかと思う。2007年肺炎で死去。享年89であった。

『天路(てんろ)の旅人』

『天路(てんろ)の旅人』

新潮社
発行日:2022年10月25日
四六版:574ページ
価格:2640円(税込み)
ISBN:978-4-10-327523-7

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