【書評】日本人商社マンの内観録:神谷勇夫著『僕のアメリカ物語 青春と仕事の熱き半生奮闘記』

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米国を舞台に活躍した日本人商社マンの回想記。日米貿易摩擦の時代、米国のビールやゴルフ用具を日本市場に持ち込んだ実話は貴重な産業史でもある。半世紀にわたり多くの米国人らと交流した著者は「まごころは世界共通語」が持論だ。

英会話苦手でも「仕事はまごころ」

著者、神谷勇夫(かみたに・いさお)氏は1964年に慶応義塾大学商学部を卒業、住友商事大阪本社に入社した。だが、「マージャンも酒も英会話もダメ」。会社仲間から「商社の社員としての最低の3条件を満たしていない」と揶揄されたという。

ところが、69年に米国テキサス州のヒューストン支店に赴任してからの仕事ぶりが振るっている。英会話が不得手だったため、当初は英語の筆談で顧客や取引先との商談を進めたのだ。やがて米国人からは「Kami」の愛称で呼ばれるようになる。ヒューストンから東京への転勤が決まったとき、取引先の社長から誠意ある対応を評価され「我々の会社で働いてもらいたい」と懇願されるまでになった。

上司に恵まれ、日米の企業経営者らとも渡り合った著者は長年の経験から「まごころを持って仕事をする」が信条である。誠実さをモットーにした国際派ビジネスマンとして2013年秋の叙勲で旭日小綬章を受章している。定年退職後も米国にとどまり、コロラド最古の法律事務所に入所、同所でLLC(有限責任会社、合同会社に相当)を設立して社長に就任。コロラド州立大学理事、コロラド日米協会会長なども歴任した。著者は本書のあとがきで、こう総括している。

グローバルビジネスで唯一の共通語というか、共通文化は、まごころなのです。

キャロウェイの成功物語に貢献

本書は自伝という枠を超えている。実在する企業や経営者が登場する「日米産業史」の一幕も盛り込まれているからだ。

著者は米国で主に鋼管を取り扱うビジネスに携わった。その一方で、コロラド州で創業したビール会社「クアーズ」と、カリフォルニア州に本社を置くゴルフ用具メーカー「キャロウェイ」を日本市場に紹介し、日米貿易摩擦の緩和にも一役買った。

当時は無名だったキャロウェイゴルフと住友ゴム工業を橋渡しした実録は生々しい。創業者イリ―・キャロウェイ氏(1919-2001年)はもともと実業家で、63歳で念願のゴルフビジネスに参入した。住友ゴム工業常務などを務めた大西久光氏(1937年生まれ、98年にダンロップスポーツエンタープライズ社長)は日本ゴルフ業界のレジェンド的存在。著者はこのふたりを引き合わせたのだ。

これを契機に新興企業だったキャロウェイは曲折を経ながらも日本市場に進出した。同社はゴルフクラブの歴史を変えたドライバー「BIG BERTHA(ビッグバーサ)」の爆発的ヒット、新規株式公開(IPO)などを跳躍台に今日の世界的ブランドに大化けしたのである。

物語に登場する主な場所(本書より)
物語に登場する主な場所(本書より)

キャロウェイの成功物語に深く関与した当事者のひとりが著者だ。キャロウェイは日本法人設立の際、社長就任を高給で打診したが、著者は断った。「やるべきことは、すべてやった。日本の多くのゴルファーをハッピーにできたし、当初の目的の日米貿易格差解消に貢献できた。それで充分だ」と本書で吐露している。

初婚は余命いくばくもない米国人

日本人の米国滞在記としては、永井荷風の短編小説集『あめりか物語』(1908年刊)が有名だ。その一篇「六月の夜の夢」には、やや黒みを帯びた金髪(ブロンド)の米国人女性ロザリンとの束の間の恋の話が出てくる。

『僕のアメリカ物語』にも青春時代の恋愛が赤裸々に描かれている。著者がヒューストンに駐在していたころ、支店長のパートタイム秘書だった三つ年下の「背はすらりとして、19世紀後半のフランス人形のブルー(Bru)のような端正な顔立ち」のスペイン系米国人女性と知り合う。

けれど、彼女はリンパ癌(がん)を患い、医師から余命1年半と宣告されていた。それでも著者は生きる希望を持ってもらいたいと彼女を励まし続け、苦悶の末にプロポーズ、1972年に結婚した。当時、自らの両親には彼女の病気のことは一切知らせなかった。

彼女は奇跡的に「快復」した。しかし、東京転勤後にホームシックになり帰国、ついには合意のもと離婚に至る。著者は結婚を機に「結果的にはその後8年の人生を彼女にもたらすことができたことは良いことをしたと思いたい」と綴っているが、何とも切ない人間ドラマだ。

著者の父親は京都の著名な日本画家だった。父親が亡くなる2カ月前、実家の画室(アトリエ)を訪れ、余命わずかの米国人女性を「見捨てることができず結婚した」経緯を初めて丁寧に説明した。この告白に「君を息子に持って大いに誇りに思う」とつぶやかれた著者は大粒の涙がぽろぽろこぼれたという。

画廊が縁の日本人と生涯の伴侶に

傷心の著者に「再婚の考えは全くなかった」。少年時代から絵が得意で、一時は父の跡を継ぐことも考えた著者の趣味は絵画鑑賞だった。「偶然、東京銀座の画廊で、日本人離れした美しい女性と出会った」。美代子さんである。著者が米国コロラド州の州都デンバーに住友商事の支店を開設するに当たって1979年に結婚、生涯の伴侶となった。

美代子さんは1999年、あと10日の余命と告げられたが、「その脳腫瘍の化学治療、放射線治療の副作用と必死に戦い抜いて」2021年1月に天に召された。その年に傘寿を迎えた著者は本書にこう記している。

闘病手記には「寒椿のように凛として生きたい」と書かれていた。多忙であり続けた僕に一生強く寄り添ってくれた妻に、感謝を込めて本書を捧げたい。

本書は感傷的な回顧録ではない。北米でのビジネス上の失敗談なども率直に著述している。米中両大国の対立やウクライナ危機でグローバリゼーションの是非が問われる今、どのように国際的なビジネスを展開するかのヒントにもなるだろう。

『僕のアメリカ物語 青春と仕事の熱き半生奮闘記』

『僕のアメリカ物語 青春と仕事の熱き半生奮闘記』

サノックス
発行日:2022年10月25日
A5判:162ページ
価格:1650円(税込み)
ISBN:978-4-990-97322-3

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