【書評】官僚や外国首脳と渡り合った最長政権の総理:安倍晋三著『安倍晋三回顧録』

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財務省、外務省、厚労省など中央官庁をなで斬りにし、米中ロなど世界各国の首脳と渡り合ったエピソード満載の書である。これだけ内外の広範囲な回顧録となったのは、著者、安倍晋三元首相が通算3188日の歴代最長政権を担ったからに違いない。銃弾に倒れた元総理の生前、36時間に及ぶインタビューの肉声がよみがえる。

財務省の謀略を疑う

国会で追悼演説を行った野田佳彦元首相は、その最後に安倍氏を「闘い続けた心優しき一人の政治家」と評した。本書から、安倍氏の闘い続けた姿をつぶさに見ることができる。

最長政権を続けた安倍氏は、国内では主要官庁の官僚と闘っていた。新型コロナ感染症が世界で大流行となった2020年、日本国内の検査体制の貧弱さが問題となった。

「厚労省はPCR検査を増やすことに消極的でした。私は厚労省幹部に『民間の検査会社でできているのに、どうして行政検査を増やせないのか』と言いましたが、厚労省幹部の答えは『検査を増やせば、陽性者が増えるだけです』。私は官僚を怒鳴ったことは一度もありませんが、この時ばかりは言葉はきつくなりましたよ。厚労省幹部は私に対して口には出さないけれど、『素人が何を言っているんだ』という感じでしたね」

かつて大蔵省は「霞が関の最強官庁」と言われたが、その後身の財務省と安倍氏の暗闘はすさまじい。消費税率8%から10%の増税を安倍内閣は2度延期した。早期増税を目論む財務官僚は、「谷垣禎一幹事長を担いで安倍政権批判を展開し、私を引きずり下そうと画策したのです。彼らは省益のためなら政権を倒すことも辞さない。けれども、谷垣さんは財務省の謀略には乗らなかった」と記している。

安倍政権を揺さぶった森友学園の国有地売却問題についても、「私は密かに疑っているが、この問題は私の足をすくうための財務省の策略という可能性がゼロではない。財務省は当初から森友側との土地取引が深刻な問題だと分かっていたはず。でも、私の元には土地取引の交渉記録など資料は届けられなかった。森友問題は、マスコミの報道で初めて知ることが多かったのです」と述べている。総理の財務省への不信感は強かった。

トランプ大統領の本音を北朝鮮に隠せ

首相在任期間に延べ196の国や地域を訪れて海外の首脳陣と会談を重ね、「外交の安倍」と呼ばれただけに、実に興味深い秘話やストレートな人物評がつづられている。まず米オバマ大統領。

「仕事の話しかしませんでした。私がジョークを言っても、彼はすぐに本題に戻す。雑談にも応じない。弁護士出身だけあって、仕事の話も非常に細かい。正直、友達みたいな関係を築くのは難しいタイプです」

同大統領の広島訪問(2016年)について、米側は安倍首相の真珠湾訪問をセットで実現しようとした。しかし、安倍首相は「日本の外務省も米国の言いなりだから、真珠湾に行ってください、という話を持ちかけてきた。だけど私はセットでは受け入れられないと反対した」

「真珠湾攻撃は、宣戦布告があったか、なかったかは別として、戦略的な軍の目標地であり、軍隊同士の戦い。一方、広島は軍人ではなく民間人を対象にした無差別攻撃です。だから私は、もし広島にオバマが来るのであれば、その後、我々も別途、真珠湾訪問を計画する、という話をして、米側も理解してくれた」

後任のトランプ大統領とは、1時間を超える長電話もする親しい仲になった。意外なことが明かされる。

「トランプは国際社会で、いきなり軍事行使をするタイプだ、と警戒されていると思うが、実は全く逆。彼は根がビジネスマンだから、お金がかかることには慎重で、お金の勘定で外交・安全保障を考える。例えば、『米韓合同軍事演習には莫大なお金がかかっている。もったいない。やめてしまえ』と言う。

もし、トランプが軍事行動に消極的な人物だと(北朝鮮の)金正恩が知ってしまったら、圧力が利かなくなってしまう。私だけでなく、米国の安全保障チームも、トランプの本性を隠しておこうと必死でした」

「プーチンの理想はロシア帝国の復活」

ロシアのプーチン大統領とは北方領土問題があったので、首相在任中に27回会談した。クールな感じに見えるが、意外と気さくだという。

「4島一括返還の立場を捨てた、などと私(安倍)はさんざん批判された。しかし、4島一括返還を主張することは、永久に北方領土が戻って来なくていい、ということと同義です」

 「彼の理想は、ロシア帝国の復活です。ソ連を崩壊に導いたゴルバチョフ元大統領を失敗者と捉えていた。『なぜこれほどまでに我が国は譲歩し、領土を手放してしまったのか』という想いが、プーチンの頭の中にあったのだと思う。ウクライナの独立も、彼にとっては許せない事柄でした。(2022年のウクライナ侵攻に先立つ)2014年のクリミア半島の併合は、強いロシア復権の象徴だった」

中国の習近平国家主席は強烈なリアリストだと、安倍氏は見ていた。習氏が「自分(習)がもし米国に生まれていたら、米国の共産党には入らず、民主党か共和党に入党する」と言ったことがあった。習氏は思想信条ではなく、政治権力を掌握するために中国共産党に入ったのだと、安倍氏は分析している。

韓国の元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)を巡る裁判で、冷え切った関係になった文在寅・前大統領については特に厳しい。「文大統領は(日本企業に元徴用工への慰謝料支払いを命じた)韓国大法院の判断が国際法違反だと分かっているはずなのだが、反日を政権の浮揚材料に使いたいのでしょう。文大統領は確信犯です。大統領は私の前で、司法の判断に困っている、という顔をする。『何とかします』と言うが、安倍政権の間、何もしなかった」

歴史を巡る戦いで、日本の外交が弱い。「外務省が戦ってこなかったのは事実です。歴史問題は、時が経てば風化していくからやり過ごそう、という姿勢だった。でも、それでは既成事実化してしまう。だから安倍政権になって相当変えました」

歯に衣着せぬ安倍氏の肉声が続くが、悪玉とされた財務省の元幹部が早速、雑誌で反論を展開している。今後、もし外国語訳されて世界の人がこの回顧録を読めば、さらに波紋を広げていくだろう。「闘い続けた政治家」安倍氏は、それも覚悟して政治史、外交史の資料となる証言を後世に残したのだと思う。

『安倍晋三回顧録』

『安倍晋三回顧録』

中央公論新社
発行日:2023年2月10日
四六判480ページ
価格:1980円(税込み)
ISBN:978-4-12-005634-5

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