【書評】東芝の「T」はTSMCの「T」になれなかった:クリス・ミラー『半導体戦争』

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『半導体戦争』は米国で刊行直後からベストセラーとなり、日本、韓国、台湾でもこの春、ほぼ同時に発売され、大きな話題を呼んでいる。「半導体」と戦争が結びつくのは不思議ではない。かつてオイルショックをもたらした石油をめぐる国際社会の争いはまさに「石油戦争」と呼ぶのにふさわしかった。当時、石油は「産業の血液」と呼ばれた。本書で著者が「『1980年代の原油』と化した半導体」と指摘するように、今は半導体こそ産業の血液なのである。

クリス・ミラーは、経済史の専門家で、エール大学で歴史学の博士号を取得している。だが、あえて彼の過去の論文などとは違う手法でこの本を書いた。「アカデミック・ジャーナリズム」と呼ばれる手法であり、本書はアカデミズムの知的研究を、ジャーナリズムの手法で表現したものだ。全ての発言や事実には索引がつけられ、アカデミズムの手法で情報を整理している。それでいて、一つ一つの章は短く、エキサイティングなエピソードであふれており、読み手を飽きさせない工夫が凝らされている。

私自身はジャーナリズムの立場からアカデミズムの知見を取り入れて、作品を書く仕事をしている。ミラーとは逆の立場だが、「アカデミック・ジャーナリズム」を実践するという点では似ているので、ミラーが考えていることがよく分かった。「半導体」というテーマが、地政学的な問題となって経済を超えた世界的課題になるなか、誰にでも手に取ってもらう方法で書く必要を感じたからだろう。

この本には世界各地の読者に読んでもらうことができる「普遍性」がある。その普遍性は内容の普遍性に加えて、手法の普遍性によるところも大きい。その意味では、本書をアカデミズムとジャーナリズムの中間に置いたミラーの試みは成功した。

半導体の歴史を俯瞰する

アカデミズムの立場からは専門性について、半導体の専門家からは細部について、それぞれ批判の声はあるかもしれない。しかし、何事も、当事者の見方と、第三者の見方は異なるものである。クリス・ミラーは半導体をめぐる歴史について、大きな絵を描いてみせた。過去に誰も成し遂げられなかったことだ。日本でも台湾でも韓国でも、それぞれの立場から半導体の歴史を描いた著書はあった。だが、本書のように世界を舞台にした半導体の歴史を俯瞰(ふかん)的に描き切った本はなかった。

ミラーは、3月から4月にかけて、プロモーションのため、シンガポール、台湾、日本、韓国、香港を渡り歩いた。私は、3月に台北滞在中、ミラーとTSMCの創業者、張忠謀(モリス・チャン)が対談した出版社「天下雑誌」社主催のシンポジウムに出席した。ミラーはTSMCの「T」は台湾のTだが、モリス・チャンが若い頃から米国でキャリアを積んだテキサス・インスツルメントのTにならなかったのは米国人として残念だ、というジョークを飛ばした。米国が、モリス・チャンという逸材を台湾に奪われたことを皮肉ったものだ。

私はそれを聴きながら、TSMCの「T」が東芝(東京芝浦電気)のTになる可能性だってあったのだと気づいた。

「日本のメーカーはPCの隆盛を見逃した」

日本人としてこの本を読むことには苦痛を感じない人はいないだろう。私も含めて、ある種の屈辱や後悔の気持ちがあふれてくるのを禁じ得ない。本書が描き出すように、日本が米国を追い越し、世界のトップを走っていた瞬間があった。1970年代から1980年代にかけてのことである。本書の真ん中あたりが日本を扱った部分になり、筆者が「パックス・ジャポニカ」という章を立てているところだ。だが、2000年以降を扱った本の終盤になると、日本はほとんど登場せず、台湾、米国、韓国が主役となる。

私は1968年生まれで、日本が一番いい時期を感じながら成長した、いわゆるバブル世代だ。いま大学で教えているが、2000年以降に生まれたZミレニアム世代の学生たちとの最大の違いは、将来に対する楽観と悲観の差である。個人の価値観には、国家や社会の在り方が大きく影響する。日本が将来を楽観した時代に育った私は常に楽観的で、理想主義者であるし、日本が将来を悲観する時代に育った彼らは常に悲観的で、現実主義者だ。そうした原因も、本書を通して、日本の半導体の成長戦略の失敗にあったことを実感させられた。

当時の東芝、NEC、富士通は、世界から嫉妬される対象だったのである。日本は米国から嫉妬された。そして、そのことに無自覚だった。そして、いくつかのミスを犯している。ミラーは「日本の半導体メーカーが犯した最大のミスが、PCの隆盛を見逃したことだった」と述べている。日本の半導体の優位性は、1990年代のバブル崩壊のころにはあっという間に失われていた。

いまの台湾は、当時の日本の鏡写しだ。世界は台湾を嫉妬しており、台湾の成功をねたんでいる。その地位を米国も含めていかに奪うのか考え始めている。台湾は、日本と同じ轍(てつ)を踏んではいけないことを、この本から台湾人は学ぶだろう。

日の丸半導体の復活は20年先

この原稿を書いている最中に、東芝の買収のニュースが流れた。かつて東芝は半導体で最強の企業であった。その半導体を復活させるためのプロジェクトが何度も持ち上がり、ホンハイの郭台銘も出資を検討したことで話題になった。しかし、東芝はTSMCになれなかった。日本政府はTSMCの熊本進出には4600億円を払ったが、東芝救済には1円も出さないだろう。東芝は解体され、企業自体も消滅する可能性が高い。

日本はいま半導体大国の復活を目指している。日本政府や国会議員から私に対して、台湾の成功の秘密を解説してほしい、という依頼もときどき入る。もちろん喜んで知見を提供するのだが、結局は、「TSMCには張忠謀がいたが、東芝にはいなかった」としか答えようがない。東芝にはサラリーマン上がりの経営者しかおらず、日本の通産省(現経済産業省)も国会議員も半導体の戦略性に気付くのが遅かった。

東芝はTSMCになれなかった。それは日本が半導体王国になれなかった理由とも通じる。日本が半導体大国に戻るには20年はかかる。20年後の復活を期するためにも、本当に本書を読むべきなのは日本人である。

『半導体戦争 世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』

『半導体戦争 世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』

ダイヤモンド社
発行日:2023年2月14日
四六判552ページ
価格:2970円(税込)
ISBN:978-4478115466

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