【書評】グローバル・ティーを楽しむ:田中哲著『もっとおいしい紅茶を飲みたい人へ』

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半世紀近く紅茶の研究、実務に携わってきた日本人専門家による入門&教養書。地球上でコーヒーより飲まれている紅茶の奥深い世界に誘い、飲み方のコツも伝授している。写真が多く、初心者から愛好家まで目でも楽しめるティーブックだ。

インドが中国を凌ぐ世界一の生産

「紅茶」(英語でBlack Tea)は、生(なま)の茶葉に含まれる酸化酵素の働きで完全に発酵させた全発酵茶に分類される。「緑茶」は摘まれた生葉をすぐに蒸気や釜炒りで加熱して酸化酵素を失活させた不発酵茶。「烏龍(ウーロン)茶」は発酵を少なめに調整した半発酵茶と呼ばれる。

緑茶、烏龍茶、紅茶とも発酵度合いが違うだけで、植物学上は同じ茶樹からつくられる。学名は「カメリア・シネンシス」(Camellia sinensis)。ツバキ科の常緑樹だ。温帯性で灌木(かんぼく)の「中国種」と、熱帯性で喬木(きょうぼく)の「アッサム種」の2種がある。アッサム種は葉も大きい。

インドの首都ニューデリーの紅茶専門店には「ダージリン」の日本語表記も(1989年4月8日)=評者撮影
インドの首都ニューデリーの紅茶専門店には「ダージリン」の日本語表記も(1989年4月8日)=評者撮影

本書によると、茶全体の生産量は中国が世界一でインドは第2位だが、紅茶に限ればインドが中国を凌(しの)ぐ。2020年の世界の茶全体の生産量は約627万トンで、このうち紅茶が最も多く、55%を占めている。紅茶は世界中で「水に次いでたくさん飲まれている」のだ。同年の紅茶生産ランキングはインド、ケニア、中国、トルコ、スリランカ、インドネシアなどの順になっている。

「紅茶といえばイギリス」のわけ

著者、田中哲(たなか・さとし)氏は1978年に東京大学農学部を卒業後、「日東紅茶」で知られる三井農林に入社。研究開発、原料購買、海外生産地での交渉などを経験、2012年に執行役員に就任した。17年に日本紅茶協会常務理事、現在は名誉顧問で、紅茶鑑定士の資格も持つ。紅茶のエキスパートだけに、本書の記述は分かりやすい。巻末の「紅茶を巡る旅」と題した一連のエッセーも含蓄がある。

本書は紅茶を巡るさまざまな“謎”を解いている。例えば、なぜ「紅茶といえばイギリス」が有名なのかとの設問には「イギリスがインド、セイロン、ケニアなどの植民地で紅茶産地開拓と生産をすすめ、世界に広げてきた歴史がある」と解説。さらに次のように補足している。

19~20世紀のイギリス王室にとって、お茶の輸入による税収は国の重要な財源であり、国内財政資金として鉄道や道路建設にあてられたうえ、地球上で大英帝国の領土拡大のための戦費としても必要であったといわれています。

「アフタヌーンティー」に象徴される英国の喫茶文化はヴィクトリア朝時代(1837-1901年)に始まり、紅茶はやがて「国民飲料」となった。英国は20世紀、“紅茶の帝国”でもあった。紅茶産業は英国経済を支え、世界規模の取引はロンドンの茶市場が牛耳った。

評者は1998年6月、ロンドンの紅茶&コーヒー博物館(The Bramah Museum of Tea & Coffee)を訪ねたことがある。大英帝国の紅茶の歴史に関する展示に加え、中国茶、インド茶、そして日本の茶文化のコーナーもあった。

英国の首都ロンドンの紅茶&コーヒー博物館のブラマー館長(1998年6月7日)=評者撮影
英国の首都ロンドンの紅茶&コーヒー博物館のブラマー館長(1998年6月7日)=評者撮影

「日本人の参観者も多い」と、エドワード・ブラマー(Edward Bramah)館長は話していた。同博物館はその後、閉館となり、ブラマー氏も2008年に76歳で他界した。しかし、ロンドンは紅茶世界の中心地であることに変わりはない。著者自身も1994年以来、ビジネスで「数多く訪れることになった」と本書で述懐している。

世界三大銘茶キームンは蘭の香り

カメリア・シネンシスの原種は中国の雲南省からチベット、ミャンマーにかけての山岳地帯に自生していたとの説がある。茶と人類との歴史は数千年に及ぶ。中国では有史以前から飲まれてきた。

ヨーロッパと茶の出合いは17世紀になってからだ。オランダがまず中国茶を輸入、英国では宮廷から喫茶が広まった。当時は緑茶が主流だった。しかし、ヨーロッパ人には発酵した茶の方が好まれたため、中国の製造業者がその需要に合わせていった結果、紅茶が誕生した。

英国では19世紀、庶民も紅茶を飲むようになり、中国産だけでは需要に追いつかない状況になった。こうした中、インド北東部のアッサム地方に遠征していた英国スコットランド人のブルース兄弟が1823年、野生の大型茶樹を発見した。これがアッサム種だ。

アッサム種茶樹の大規模な栽培が始まり、「インド産紅茶」が世界デビューした。アッサム種は“インド洋の真珠”と称されたセイロン島(現スリランカ)に持ち込まれ、紅茶の一大産地へと変貌を遂げた。英国の植民地だったことでアッサム種を20世紀初頭に移植されたケニアは今や、世界第2位の生産量、第1位の輸出量を誇る。

茶貿易をめぐる清国(中国)とのアヘン戦争(1840-42年)を経て、アッサム茶を手に入れていた英国は紅茶の中国依存から抜け出した。アッサム種の発見は、世界の紅茶地図を大きく塗り替えたのだ。

現在、中国種の紅茶はアッサム種に押されがちだが、世界三大銘茶の一角を占める逸品は健在だ。19世紀後半に中国安徽省祁門(キームン)県で開発された「キームン」である。本書では香りは蘭(らん)の花にたとえられると紹介している。英国王室では2022年9月8日に96歳で天に召されたエリザベス女王の誕生日(4月21日)にロイヤルファミリーがキームン紅茶を飲む慣例があった。

中国の安徽省祁門県の銘茶「キームン紅茶」の茶畑(1998年12月30日)=評者撮影
中国の安徽省祁門県の銘茶「キームン紅茶」の茶畑(1998年12月30日)=評者撮影

インドの「ダージリン」とスリランカの「ウバ」も世界三大銘茶だ。本書によると、ダージリンは中国種が起源のものが多く、その香りから「紅茶のシャンパン」と評される。ウバは「豊かでストロングな渋みと、メンソールのような香気成分」が特徴だ。

和紅茶は世界市場で渡り合えるか

本書では日本国内でつくられる「和紅茶」も取り上げている。1990年代から再開された和紅茶づくりは「緑茶ができるほとんどの県で有名な生産者が自信作を生み出しており、海外の品評会で表彰されるほど」になった。アッサム種に由来する品種もある。ただ、和紅茶の生産量はごくわずかだと指摘する。

日本国内の紅茶の消費量(輸入された紅茶)は、近年では年間1万5000tから最大2万tほどです。和紅茶の生産量については正確な統計はありませんが、年間100~200t(推定)ほどで、全体のせいぜい1%程度と考えられます。

日本はかつて国策として紅茶の生産・輸出を奨励したことがある。明治政府は1874(明治7)年に奨励策を発表、元幕臣の多田元吉らを清国(中国)とインドに派遣、紅茶製造法を習得させた。輸出用紅茶の製造には成功し、多田は「日本紅茶の祖」とも称されるが、英国が仕切るインド産紅茶などに太刀打ちできなかった。

紅茶は英中印を軸にしたグローバル・ティーともいえる。日本の紅茶の歴史は比較的浅い。だが、令和の和紅茶は海外でも注目を集め始めている。今度こそ世界市場で渡り合うことができるだろうか。

【紅茶のグローバル史】

1600年代 中国からヨーロッパへの茶の輸出が始まる
1662年 ポルトガルから嫁いだキャサリン王妃が英国の宮廷に喫茶の風習を持ち込む
1773年 アメリカで茶への課税をめぐり「ボストン茶会事件」
1823年 英ブルース兄弟、インドでアッサム種の茶樹を発見
1830年代 インドでアッサム種の紅茶生産を開始
1840年 英国と清国(中国)が茶貿易をめぐり「アヘン戦争」
1866年 セイロンでアッサム種の紅茶生産を開始
1874年 明治政府、国策として紅茶の生産・輸出を奨励
1887年 日本、紅茶の輸入を開始
1904年 アメリカでアイスティー登場、ティーバッグ商品化
1927年 日本初の国産ブランド「三井紅茶(現日東紅茶)」発売
1971年 日本で外国産紅茶の輸入が自由化
1990年代 日本の各地で和紅茶の生産再開

『もっとおいしい紅茶を飲みたい人へ WHAT A WONDERFUL TEA WORLD!』

『もっとおいしい紅茶を飲みたい人へ WHAT A WONDERFUL TEA WORLD!』

主婦の友社
発行日:2023年3月31日
A5判:208ページ
価格:1760円(税込み)
ISBN:978-4-07-454267-3

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