【書評】菊池寛と芥川龍之介、直木三十五の交流を描く快作:門井慶喜著『文豪、社長になる』

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日本でメディアにもっとも注目される文学賞は芥川賞と直木賞である。本書は、その生みの親、文豪にして出版文化の一翼を担う「文藝春秋」を創設した菊池寛(1888~1948)の生涯を、ユーモアあふれる筆致で活写した評伝的小説だ。菊池寛を知らない、いまの若い世代にも是非読んでもらいたい。

芥川龍之介の口添えがきっかけだった

直木賞作家の門井慶喜氏は手練れ(てだれ)である。本作では、菊池寛の人物像と当時の文壇事情を豊富なエピソードを踏まえて生き生きと描き出している。物語は芥川龍之介と直木三十五との交流を軸に進んでいくのだが、まず前半では菊池寛(ひろし・有名作家になって後、「かん」と呼ばれるようになる)が作家として世に出るまでの悪戦苦闘ぶりが面白い。

彼は香川県高松市の生まれ。「寛はけっして美男ではなかった。頭そのものが大きい上に肌の色が浅黒、目が細く、鼻が太い」、中学校では「炭団(たどん)」(炭の粉末を固めた燃料)と、あだ名をつけられていたが、成績優秀で図書館に入り浸り、片っ端から本を読みあさっていたという。

菊池寛(共同)
菊池寛(共同)

中学卒業後に上京、紆余曲折を経て第一高等学校(一高)に入学。同級生に4歳年下だった芥川龍之介がいた。26歳のとき、寛は「都落ち」して京都帝大の英文科に進み、芥川らと同人誌を発行。ともに夏目漱石の門下生となっていたが、芥川の作品は漱石の激賞を受け、新進気鋭の作家として注目を集める一方で、寛はパッとしなかった。仕方なく、糊口(ここう)をしのぐため「時事新報」紙の社会部記者をしていたものの、くすぶっていたのである。

世に出るきっかけをつくってくれたのは芥川だった。彼の口添えで寛は「新人作家の檜舞台」である「中央公論」に小説を発表することになったのだ。すでに名声高い芥川をモデルにして「無名作家の日記」という暴露物の私小説を書く。これが当たった。毎号、同誌で執筆するようになり、代表作が「恩讐の彼方に」(大正8年1月号)である。

同年2月、寛は芥川の誘いでともに大阪毎日新聞の客員となり、寛が長期連載した華族社会を舞台にしたメロドラマ的な小説「真珠夫人」が爆発的なヒット。舞台化もされ人気を博す。純文学の芥川と違って、新聞記者時代の見聞を素材にした彼の作品は、「ほかの書斎派の作家とは、どだい仕込みが違うのである。寛は自然に書くことができた」。俗なだけに大いに大衆受けし、流行作家の地位を不動のものとした。このあたり、久米正雄、直木三十五らの交流を交え、文壇事情も興味津々に描かれる。

株式会社になった文藝春秋と芥川・直木賞の創設

物語後半の読みどころは、社長業としての奮闘ぶりである。雑誌『文藝春秋』が創刊されたのは1923年(大正12年)のこと。懐豊かになった寛は、当時の小石川区(文京区千石)に大きな家を構え、文士仲間、編集者、新人作家も大勢出入りするようになっていた。なかに学生時代の川端康成もいた。多忙のため若手の面倒を見切れなくなった寛は、自ら雑誌を創刊することを思いつく。「文壇や雑誌社や新聞社は注目するだろう。寛はいちいち彼らの作品を読むことなく、しかし十把ひとからげにして売りこんでやれる」という、もくろみだった。

巻頭に芥川が文章を添え、川端、横光利一、今東光ら若手が寄稿。創刊号3000部はたちまち完売。以後、順調に部数が伸びる。4年後には時事的な話題も取り入れた総合雑誌へと発展し、売れない作家だった直木三十五は、ゴシップ欄を担当して評判を取った。やがて杜撰(ずさん)だった経理を改め、文藝春秋社を株式会社とし、菊池寛は「社長」と呼ばれるようになったのである。

文藝春秋とはどういう会社であったのか。著者は、社員の働きぶりをユーモラスに描写しつつ、こう記す。

軟派にして硬派、粋にして野暮、真剣でありかつ遊び半分(略)この大人が童心に帰っているような会社の社風も、同時に完成しつつあった。

個人的には、こうした社風は今日まで受け継がれているように思う。昭和2年、芥川が自殺(享年35)。この頃、直木も小説を猛然と書き、薩摩藩のお家騒動に材をとった新聞連載「南国太平記」(昭和5年)の大ヒットで流行作家の仲間入りを果たす。その直木も長年の不行跡(ふぎょうせき)がたたり、昭和9年病没(享年43)した。寛は芥川、直木に支えられて地位を築いた。翌年、芥川賞と直木賞を創設。

ひょっとしたら自分は、賞に託して、ひとつの夢を見ているのかもしれない(略)受賞者がもしも二十年、三十年と活躍すれば、そう、そのぶんだけ、あまりにも命みじかくして死んでしまった畏友(いゆう)ふたりの魂への埋め合わせができる。

ここから先は、戦時協力で菊池寛が果たした役割、戦後の会社解散と公職追放、新生・文藝春秋の誕生へと著者の筆は進んでいく。本作に登場する多数の作家のうち、今日では日本文学の研究者以外には忘れ去られた人々が多いかと思う。しかし、ネットもテレビもまだ存在しない、小説を読むことが大衆の最大の娯楽であった頃、文壇は覇気に満ちた若者たちで活気にあふれていた。著者は、そうした時代の様相を痛快に描き切っている。

『文豪、社長になる』

『文豪、社長になる』

文藝春秋
発行日:2023年3月10日
四六版:351ページ
価格:1980円(税込み)
ISBN:978-4-16-391667-5

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