『限界国家』とは何か:作者・楡周平氏が最新刊について語る

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経済・企業小説で定評のある作家の楡周平氏が、日本の近未来を予測した小説を上梓した。急激な人口減少による少子高齢化と、テクノロジーの劇的な進歩によって、これまでの知識や経験則では生き抜いていけない世の中になるという。日本はどうなるのか。著者に聞いた。

楡 周平 NIRE Shūhei

1957年岩手県生まれ。慶應義塾大学大学院修了。米企業在職中の1996年に発表した国際謀略小説『Cの福音』がベストセラーになる。97年退社し、執筆活動に専念。『朝倉恭介』シリーズや『無限連鎖』などサスペンス小説のほか、『再生巨流』など経済小説を手掛ける。近著に『終の盟約』『食王』『黄金の刻 小説 服部金太郎』『日本ゲートウェイ』がある。

内需依存型経済は2040年代で終わる

「限界集落」ならぬ「限界国家」──。地方の山間部では、極端な過疎化、高齢化によって65歳以上の高齢者が人口の5割を超え、生活が成り立たなくなっている事例が急増している。これを「限界集落」というが、本書の表題は、地方の問題だけにとどまらず日本という国自体が限界を迎えつつあることへの警告である。著者は日本の将来をどう見ているか。

これから迎える危機について、日本人はあまり実感していないのではないかと思います。私が本書で書いたような将来の厳しい状況に、みなさん、「そういうことってあるだろう」と分かっている。しかし、テクノロジーの進歩による産業構造の変化について、「いつか来る」くらいの感覚で漫然と構えていて、何も備えていない。少子高齢化の弊害についても同様です。でも、来るものは必ず来る。たいていは、かなり直前になってから騒ぎ始め、そこで「なんとかしなきゃ」となるのだけれど、そのときに慌てても、もはやどうにもならない。そんな現状を危惧して書いたのがこの作品です。

『限界国家』(双葉社)
『限界国家』(双葉社)

物語は、年老いた有力財界人が世界最大級の米国コンサルティング会社の日本支社を訪ねるところから始まる。彼は日本の行く末を憂い、20年、30年後の日本がどういう姿になっているのか調査してほしいと依頼する。危機意識のもとになっているのが少子高齢化だ。人口動態統計によれば、2040~50年の間に日本の人口は1億人を割って9700万人となり、さらに60年には8600万人台になると予想される。依頼を受けて、シニア・パートナー職にある女性幹部と若手社員が専門家からヒアリングを開始する。そこで浮かび上がってくる深刻な問題の数々。地方の過疎化と内需型経済の破綻、人工知能(AI)の進化による職業寿命の短命化、移民の問題、伝統文化の崩壊、人材の海外流出──。

日本の人口減少は避けられない。これからは世界へ出て行かなければ生きていけなくなるでしょう。でも語学ができないでは駄目。みなさんどうやって生きていくのか、若い人なら、どういう学校に入るのがよいのか、また職業の選択をするに当たって、長期的ビジョンを立てて考えていかなければならない。そのときに一番参考になるのが人口動態統計です。

人口減少というのはとても恐ろしいもので、特に日本のような国で言うと、GDPの7割が内需であって、日本は内需依存型の経済です。そういう国では人口が市場規模そのものですから、人口がどんどん減っていけば、当然、市場規模はシュリンクしていくわけです。内需依存型経済は2040年代で終わりを告げる。そうなったときに、どこに活路を見出すのか。ところが、そういったことが全然論じられてこなかった。政治の世界もそうですし、産業界も同様です。

1億人の人口を維持していくためには、合計特殊出生率でいうと2.07が必要です。つまり、1組の夫婦から2人ちょっと以上の子供が生れなければならない。ところが今の日本は1.2まで落ちている。1組の夫婦から1人ちょっとしか生まれていない。2.0を割った時点で、これはものすごく深刻な問題になると本当は気が付かなければならなかった。いまの産業市場規模を維持したいのなら、人口が減らないためにどうしたらよいか、真剣に議論しなければならなかったのです。

職業寿命がどんどん短くなっていく

これから先、少子化を食い止める手立てはあるのか。登場人物のひとりは「子供をもつかどうかなんて個人の自由なんだし、ライフスタイル、所得、住環境と様々な要因があってのことだから、そう簡単に改善されるわけがない」と言う。著者の見立ては悲観的である。

いまさら、やれ少子化対策だと言ったところで、時すでに遅し。岸田政権では対策としていろいろな子供手当を打ち出していますが、はっきり言って、そんなお金をもらったとしても子供を産もうとは思わない。なぜなら、この何十年という間に、子供がいてもせいぜい1人で成り立つようなライフスタイルが日本中で出来上がっているからです。いま平均的なサラリーマンの所得でどれだけの間取りのマンションが買えるかというと、2LDKがせいぜいでしょう。夫婦の寝室と、子供部屋が1つ。それで精一杯です。さらには教育費も相当かかる。それが現状なのに、いまさら複数人の子供を育てられますか、ということなんです。

それともうひとつ気になるのが、いまの親世代の価値観です。いまだにいい学校を出て、いい会社に入るのが人生の成功、安定が確約されると考えている。これからもその会社が存続し、社員であり続けることができるというのが大前提になっていますが、これは大変な間違いで、いま、そういう会社はありません。

一流企業と言われるかつての重厚長大産業や金融機関では、どんどん社員が減っていって、もう40代で転籍あるいは子会社への出向というのが当たり前になっている。まして、これから先、AIの進化で仕事がなくなり、職業寿命がどんどん短くなっていくのです。大企業に入ったところで全然安泰ではなくなる。途中で会社を放り出されて、手に何の技術もなければ失業するしかありません。

では、自営ならよいのか。本書でも書きましたけど、いまでも我が子を医者にしたいと考える親が大勢いる。だけど医者なんて患者がいなければ経営が成り立たない。これから先、地方で開業したって、地方には人がいないから、業として成り立たないのでみんな都市部に出て来る。すると患者の争奪戦が始まる。あと30年のうちに必ずそうなっていく。希望が持てるのは農業、漁業といった第1次産業。人がいる限り、食べていかなければならないですから。しかし、いい大学を卒業して、いい会社に入る、これで人生安泰だな、あるいは医者になってよかったなと思っているようなら大間違い。ちょっと考えればわかることです。

既存ビジネスがつぶす新規事業

本作プロローグで、著者は登場人物の言葉を借りて「思考が昭和の時代で止まっている(略)そんな人間たちが政治、経済の中枢の座にしがみついているんだから、日本が衰退するのも当たり前」と書き、旧来の政治家、財界人の責任を鋭く問う。これまで経済成長を支えてきた企業は凋落(ちょうらく)していくのか。

年初になると、よくテレビのニュースで経済団体の年始の名刺交換会の光景が映し出されますが、お年寄りばかり。こういう人たちが日本の経済界、産業界を引っ張っていけるのかと思うと心配になる。政治家の世界も同様です。彼らの大票田は高齢者だから、高齢者に受ける政策しかやろうとしない。だから政治が世の中をリードすることもありえない。もう日本の社会のポジションが、高齢者の既得権化してしまっているのです。会社の経営の仕組みもそうなってしまっているので、時代の変化に対応できるようなダイナミズムが生れてこない。

とくに、大企業であるからこそ一番難しいのが「適材適所」という概念です。よく社内から優秀な人材を集め、新規事業開発室というものを作るけど、大企業は既存のビジネスで儲けを出してきた。そこに安住しているので、誰かがよいアイデアを出して新規事業を立ち上げようとしても、旧来型の人と必ずぶつかる。「その新規事業が軌道に乗るまで何年かかるのか」「それまでうちの会社はどうやって利益を出していくのか」と反対が出るのです。

そういう現象が今起きているのが自動車産業です。電気自動車(EV)の流れが来ると分かっていても、それをやり始めたら傘下の会社、下請け、孫請けはどうなるのか、という議論が必ず出る。そこに、ベンチャーにとってはつけ入る隙が満載なわけです。確立されたビジネスモデルを崩したら大きな市場を手に入れることができる。アメリカのテスラや中国のEVメーカーの成功をみればよくわかる。中国ではEV車が40万円で買える。日本の自動車メーカーは競合できるのでしょうか。事を複雑にしているのはディーラー網です。テスラにはディーラーなんてない。全部直販で、消費者はインターネットを通じて電子決済で購入し、引き渡し所に行って、その場で乗って帰ってくるだけです。ディーラーに金を落とさなくていいし、販売促進費もいらないわけです。

今後、自動車産業では大量の失業者が出るでしょう。僕はかつてフィルム会社にいましたが、携帯電話にカメラが搭載され、業界全体が衰退していった過程をみてきたのでよく分かる。フィルム業界では、インターネット時代を早くから予見していました。しかし、全国に販売店網ができあがっており、フィルム代、現像代、プリント代というように、3度おいしい商売なので大変もうかっていた。それで利益が上がっていただけに、既存のビジネスモデルを崩すことができなかったのです。日本の自動車業界も、EV化に出遅れたおかげで、10年経ったら、おそらくトヨタ以外にどこが残っているのかという話になるのではないか。

「僕はフィルム会社にいたから携帯電話にカメラが搭載され、業界が衰退していった過程をよく見てきた」(撮影:花井智子)
「僕はフィルム会社にいたから携帯電話にカメラが搭載され、業界が衰退していった過程をよく見てきた」(撮影:花井智子)

日本という国の形を維持していくのは不可能

本作のヤマ場は、物語の後半、コンサル会社の仲介で、調査の依頼主であるオールド財界人と、21歳の若手ベンチャー経営者とが対峙する場面である。この若手起業家は、メタバースとNFTで時代の最先端を走り、利益を上げている。彼は「日本に限定したビジネスをやるつもりはないんです。ネットの世界に国境の概念は存在しませんからね」と言い放つ。この新旧経営者が日本の現状と将来について論争していく場面が本作の最大の読みどころである。

ユニコーン企業(大成功したベンチャー企業)になれるのは、ごく一部しかない。では他の人たちは不幸になるのかと言えばそんなことはなくて、ビジネスを作ったところには、必ずそれにつながる新しいビジネスが出来てくる。例えばインターネットによって、アップルという会社があったから、グラフィックスのツールが出来上がって、アイコンが生まれて、いろいろなアプリの会社や、これまでになかったビジネスが出来上がっている。誰もがスティーブ・ジョブスにはなれないけれども、十分な成功といえるような富をつかむ人たちが出て来ています。なにも、誰もがベンチャーの世界で成功しないと生活できないかといえばそんなことはない。ただ、漫然と有名企業に入らなければいけないというような価値観にしがみついていたのでは駄目だということなんです。

もはや親の世代の知識、経験則では時代の変化に追いつけなくなっている。若手起業家との対話を通じて、オールド財界人はこう悟るのだ。「日本という国の形を維持してくのは不可能だし、そんな考えをもつこと自体、意味がないことだとね……」

本作は、これから直面する問題をわかりやすく提示してくれる。どう対処していくべきか。若い世代には是非読んでもらいたい一冊だ。

バナー写真:インタビューに応じる楡周平氏(撮影;花井智子)

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