【書評】夫婦で日本の近代化に貢献:岡部一興著『ヘボン伝──和英辞典・聖書翻訳・西洋医学の父』

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ヘボン式ローマ字の考案者、米国人宣教医ヘボン博士の最新の評伝。ヘボン夫妻は幕末から明治時代、33年間横浜で暮らし、日本の近代化に貢献した。夫人は、首相や経営者になる人材を育てた。日本を愛した夫婦の物語は人間味にあふれている。

日本語を学び非凡な才能を発揮

ヘボン(1815~1911年)の正式名は、ジェームズ・カーティス・ヘップバーン(James Curtis Hepburn)。ヘップバーンの発音が当時の「日本人にはヘボンと聞こえたのである」。本書では通称の「ヘボン」で表記している。

ヘボンが米国長老教会から日本に派遣されたのは1859(安政6)年10月、夫妻で横浜に居住した。キリスト教の伝道という志をもって来日したが、本書ではヘボンが医師としての医療活動・西洋医学の普及や世界初の和英辞書『和英語林集成』の出版、聖書の和訳、学校教育、プロテスタント教会の建設など幅広い分野で才能を発揮したことを描いている。

ヘボンの尽力で建てられた横浜指路教会の現在の姿(2023年9月9日、横浜市中区尾上町)=評者撮影
ヘボンの尽力で建てられた横浜指路教会の現在の姿(2023年9月9日、横浜市中区尾上町)=評者撮影

ヘボンの大きな功績は自ら日本語を学び、『和英語林集成』を編纂(へんさん)したことだろう。辞書は、日本と英語圏を中心とする西洋とのいわば架け橋の役割を果たした。著者はその意義をこう説く。

第一にはあとから来る宣教師や外国人のために、英語を学ぶ日本人のために、便利な辞書の編纂を思いついた。第二には聖書の日本語訳を手掛ける基礎的作業としての辞書の編纂が不可欠と考えたからであった。日本人にとってこの辞書は、日本人の英語力の向上と外国文化に触れる礎となった。

首相や経営者を生んだ“クララ塾”

本書の特色は、クララ夫人(1818~1906年)の日本での教育活動にも多くのページを割いていることだ。

ヘボン夫妻は1863(文久3)年に「ヘボン塾」を開設した。ヘボンは医学生に最新の医学を伝授した。一方、クララ夫人の塾は「ミセス・ヘボンの学校(Mrs. Hepburn’s school)」と呼ばれ、主に英語を教えた。本書によると、教え子には初代駐英大使、外相などを務めた林董(はやし・ただす)、日銀総裁、蔵相、首相を歴任した高橋是清、三井物産社長で中外物価新報(現日本経済新聞)を創刊した益田孝らがいた。

クララ夫人は日本最初の女子教育にも尽力した。ミセス・ヘボンの学校が前身となって、後にフェリス女学院などが誕生した。著者は「クララは、ヘボンと協力しつつ女子教育を発展させたパイオニアということができる。日本は儒教の影響もあって、女子に教育を施すことが遅れていた」と指摘している。

明治天皇、ハリスら内外要人と交流

ヘボン夫妻の日本滞在は幕末から明治維新と重なった。日本が開国した激動の時代だ。この間、ヘボンは「施療といって、無料で何万もの人たちの診療にあたり、たくさんの日本人の命を救った」。それと並行して、内外の要人たちとも交流を重ねた。

本書によると、ヘボンは日米修好通商条約を締結し、米国公使として江戸(東京)にいたタウンゼント・ハリス(1804~78年)と親交があった。1860年2月、ハリスが病に罹ったときには「薬を処方するために呼ばれ、一週間ほど様子を見た結果、ハリスは、平常の健康に戻った」という。

1872年10月には「明治天皇に『和英語林集成』と聖書を献上」したというエピソードもある。

19世紀の大英帝国の旅行家で、『日本奥地紀行』などの著作で知られるイザベラ・バードは1878年以来、日本を5回訪れ、横浜のヘボン邸にも宿泊した。ヘボン夫妻はバードと箱館から横浜までの船旅でも同船した。

「横浜指路教会」建設が最後の使命

ヘボン塾は、1887(明治20)年に設置が認可された明治学院の淵源ともなった。ヘボン夫妻は、人材養成の観点からも日本の近代国家への発展、グローバル化に大きな影響を与えたが、「ヘボンの日本における最後の使命は立派な教会堂を建てること」であった。

その結実が1892年1月に献堂式が挙行された「指路教会」(現日本基督教団横浜指路教会)である。「その名は、ヘボンの母教会シャイロ・チャーチ(Shiloh Church)から取った」。横浜の目抜き通りにあった赤レンガの教会堂は当時、ひときわ目立ったという。

横浜指路教会の会堂は毎週土曜日に開放、見学もできる(2023年9月9日、横浜市中区尾上町)=評者撮影
横浜指路教会の会堂は毎週土曜日に開放、見学もできる(2023年9月9日、横浜市中区尾上町)=評者撮影

評者が小学生時代、横浜指路教会の教会学校(日曜学校)に通った”皆勤賞”に相当する表彰状(1959年クリスマス)
評者が小学生時代、横浜指路教会の教会学校(日曜学校)に通った”皆勤賞”に相当する表彰状(1959年クリスマス)

本書の著者、1941年生まれの岡部一興氏(弘前学院大学客員教授)は66年12月クリスマスに「ヘボンが創立した横浜指路教会の会員になり、ヘボンの虜となった」。しかし、「本書の目的は、ヘボンを讃美するのではなく、ヘボンが日本にもたらしたものは何であったかを客観的に叙述することにある」とまえがきで記している。

本書はヘボン夫妻の日本での足跡や業績を詳しく辿っているだけではない。信仰心に厚く、高潔で公平無私な夫妻の人柄と夫婦愛をよく伝えている。

【ヘボン夫妻の日本をめぐる生涯】

1815年 ヘボン、米国ペンシルヴェニア州ミルトンで誕生
1840年 クララ・メリー・リートと結婚
1843年 ヘボン夫妻が中国・厦門で伝道、46年に帰米
1859年 ヘボン夫妻がニューヨークを出帆、横浜に上陸
1863年 「ヘボン塾」を開く、クララ夫人は英語を教える
1867年 世界初の和英辞典『和英語林集成』刊行
1887年 日本語旧約聖書の翻訳完了
1892年 「指路教会」献堂式、ヘボン夫妻が横浜から帰米
1906年 クララ夫人死去(88歳)
1911年 ヘボン博士死去(96歳)

『ヘボン伝──和英辞典・聖書翻訳・西洋医学の父』

『ヘボン伝──和英辞典・聖書翻訳・西洋医学の父』

有隣堂
発行日:2023年9月7日
新書:224ページ
価格:1320円(税込み)
ISBN:978-4-89660-243-2

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