【書評】生成AIを作品に取り込んだ話題の芥川賞受賞作:九段理江『東京都同情塔』

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小説に生成AIを使ったことで注目を集めたのが、2024年1月に発表された芥川賞受賞作だ。架空の近未来「トーキョー」を描き、エンタメ性がありながらも、われわれを取り巻く社会の欺瞞(ぎまん)や歪みを鋭く批評する観念的な作品でもある。あらためて内容を紹介しておきたい。

新宿御苑の敷地に高層タワーの刑務所

2020年、コロナ禍のなかで東京五輪が強行開催された。そのために建設された新国立競技場は、巨額な総工費に猛烈な批判が起こったものの、最終的にはザハ・ハディドの設計案が採用され完成した。その数年後、隣の新宿御苑の敷地に高層タワーの刑務所を立てる計画が持ち上がる(念のため、現実では五輪は21年に延期され、新国立競技場は隈研吾の設計に変更されている)。

主人公である建築家の「牧名沙羅」は、ザハの「流線形の巨大な創造物」を、「負のレガシーのようなものにはなり得ない。なぜなら圧倒的に美しいから」と高く評価している。37歳にして著名となった彼女は、その刑務所の設計を手掛けることになった。閃(ひらめ)いた高層タワーの名称は「シンパシータワートーキョー」である。

バベルの塔の再現。シンパシータワートーキョーの建設は、やがて我々の言葉を乱し、世界をばらばらにする。

これが本作の書き出しである。

「全性別トイレ」は「ジェンダーレストイレ」

物語は架空の設定に基づく近未来を描いたものだが、いくつもの観念的な問題を提起している。ひとつは「言葉」の在り様である。主人公は「日本人が日本語を捨てたがっている」と考えている。彼女は日本語をカタカナに置き換えることが気に入らない。

事務所の名前も「牧名沙羅設計事務所」でかまわないのに、秘書から国際コンペで通りがよいからと助言されて「サラ・マキナ・アーキテクツ」とする。かつてホールの設計でトイレの区画を「全性別トイレ」としたら、「ジェンダーレストイレ」と修正された。彼女は思う。母子家庭の母親=シングルマザー、配偶者=パートナー、第三の性=ノンバイナリー、犯罪者=ホモ・ミゼラビリス等々いくつもの例を挙げ、

外来語由来の言葉への言い換えは(略)不平等感や差別的表現を回避する目的の場合もあり、それから、語感がマイルドで婉曲になり、角が立ちづらいからという、感覚レベルの話もあるのだろう。迷ったときはひとまず外国語を借りてくる。すると、不思議なほど丸くおさまるケースは多い。

カタカナになることで日本語本来の意味が曖昧になっていく。「シンパシータワートーキョー」はどうなのか。彼女は「刑務塔」でもよいと思っているが、いまは名称よりも器(うつわ)そのものを設計することが最優先だから、ひとまず「時流に沿う」ことにしたのである。

犯罪者ではなく「ホモ・ミゼラビリス」

物語は主人公のモノローグで進行していくが、もうひとり重要な登場人物がいる。彼女がつき合っている15歳年下の男の子の「東上拓人」だ。彼は表参道の高級ブティクに勤める姿形の整った22歳の店員。ショーウインドーの「マネキンよりもはるかに美しいフォルム」に惹かれた沙羅は、思わずショップに足を踏み入れ、拓人に声をかける。彼女は本心では深い関係になりたいと思っているものの、なにかと理屈をこねて踏み出せない。いまでいう「こじらせ女子」のキャラクターだ。

物語中盤、この拓人の視点で沙羅の人物像が描かれるくだりがある。彼は「シンパシータワートーキョー」の名称を「おそろしくダサい」と彼女に言い、「東京都同情塔」と口にする。拓人には冗舌な批評家の沙羅が「病んだかわいそう」な女性にしか思えず同情的だ。彼にとってタワーは「ただの金のかかった無意味なコンクリートの塊」にしか見えないのだ。沙羅と拓人との関係性がどうなるのか、2人のやりとりが読者の興味を引っ張っていく。

作者が描く架空の日本は、犯罪者に寛容な社会となっている。タワーに収容される受刑者は、犯罪者ではなく「ホモ・ミゼラビリス」と呼ばれる。このカタカナ用語が、この物語のキーワードだ。彼らは生まれ育った環境によって犯罪者にならざるをえなかった同情すべき人々で、むしろ被害者である。

そうした言説は、「マサキ・セト」と名乗る「幸福学者」が広めたもので、彼は犯罪者に対する偏見や差別は「まずは言葉から変えていく」と提唱し、タワー建設を構想するのである。ここでは彼らは被害者として平等に扱われ、快適な生活が約束されている。

AIの言葉を使う必然性

この作品が注目を集めたのは、芥川賞受賞の記者会見で、作者が「全体の5%は生成AIを利用して書いた」と発言したことである。「AIを使って小説を書いた」と誤解されかねないので、彼女はこう言葉を補っている(月刊『文藝春秋』3月号)

小説内で生成AIが出てくる場面ではAIの言葉を使う必然性がありましたし、実際によい効果が生れたと考えています。しかし、小説の構想や、生成AIが登場しない場面の地の文と会話文、AIに言葉や思考が侵食されていく人物造形などはすべてオリジナルです。

作中、主人公はパソコンで生成AIに質問を投げかける。そうした場面に出てくるAIの答えに、作者がそれを使ったと分かるようになっている。「どこに使われたのか見分けるのも含めて、楽しんでいただけたら」と作者は語っているが、沙羅はAIについてこう思う。

訊いてもいないことを勝手に説明し始めるマンスプレイング気質が、彼の嫌いなところだ(略)いくら学習能力が高かろうと、AIには己の弱さに向き合う強さがない。無傷で言葉を盗むことに慣れきって、その無知を疑いもせず恥もしない。

おそらく作者の考えがそうなのであろう。マンスプレイングとは、相手を見下すとか自信過剰といった意味合いだが、生成AIを小説のなかに取り込んで、その問題提起をしている点でも本作は斬新である。

近未来はユートピアかデストピアか

2030年にタワーは完成する。それは地上71階建ての巨大な円柱である。最上階の眺望は素晴らしく、下界の人々の生活を一望できる。受刑者は好きな服を着て、そこでコーヒーを飲みながら本を読み、DVD鑑賞で自由な時間を満喫できる。ここでは皆が平等で、男女が一緒に生活しているのだ。

当然、凶悪犯罪者を優遇するのかという反対運動も起こり、はては爆破予告まで現れる。設計した牧名沙羅もSNSでバッシングにさらされる。それによって沙羅の職業人生にもある変化が──。

「シンパシータワートーキョー」に象徴される近未来は、ユートピアかディストか。本作はジョージ・オーウェルの『1984年』または多和田葉子の『献灯使』『地球にちりばめられて』に似たテイストをもつ作品であるといえば、分かりがよいであろうか。

『東京都同情塔』

『東京都同情塔』

新潮社
発行日:2024年1月17日
四六版:144ページ
価格:1870円(税込み)
ISBN:978-4-10-355511-7

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