【書評】北朝鮮はなぜ日本人を拉致したのか:渡辺周著『消えた核科学者 北朝鮮の核開発と拉致』

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北朝鮮による拉致事件の解明は、北の核開発により政府間交渉が途絶え、長らく頓挫したままだ。本書は、北朝鮮はなぜ日本人を拉致したのかという視点で取材を進めたドキュメントである。しかも、行方不明者の中に核関連の技術者がいたという衝撃的な事実が明らかにされている。

「北にもっていかれたな」

2012年夏、朝日新聞記者だった著者は、東京電力福島第一原発事故の取材で動燃(動力炉・核燃料開発事業団、現日本原子力研究開発機構)OBの科学者に取材した際、奇妙な話を聞かされる。

この人物が動燃に勤務していた1972年のこと。同僚でプルトニウム製造係長だった竹村達也氏が、東海村にある独身寮から突然失踪したという。彼は著者に「竹村さんは、北朝鮮に拉致されたかもしれない」と告げる。

そう思う根拠は何か。当時、茨城県警勝田署(現ひたちなか署)の刑事が事情を聞きに来たが、品行方正な竹村氏には失踪する理由が見つからない。すると刑事は「北に持っていかれたな」と言ったというのだ。

当時はまだ拉致事件は表沙汰になっていなかったが、その科学者によれば、今になってみると刑事の言葉が気にかかる。大阪府出身の竹村氏は、阪大工学部を卒業後、動燃に入社し、プルトニウム燃料の製造を学ぶため米国に派遣留学されたエリートだった。折しも、北朝鮮の核開発が国際問題になっていた。拉致された竹村氏は北の核開発に関わっていたのではないか──。

北朝鮮はなぜ日本人を拉致したのか

その情報がきっかけで、著者は取材を開始した。本書は、著者が朝日の記者だった頃からフリーランスに転じた後も本件の取材を続けたドキュメントが読みどころである。著者は竹村氏の同僚や大学の同窓、捜査を担当した茨城県警、大阪府警を訪ね歩くが、ことの真相を追い求めていく謎解きのプロセスが興味を引く。

「北朝鮮はなぜ日本人を拉致したのか」──。本書が興味深いのは、著者が拉致の目的に焦点を当てた点である。2002年に小泉首相が北朝鮮を電撃訪問した際、金正日総書記は拉致を認め、その理由として、北朝鮮のスパイにするため、または北の工作員が日本人に成りすますための日本の文化・語学教育が目的だったと明らかにした。だが、本当に目的はそれだけだったのか。

日本政府が認定した拉致被害者は17人だが、警察庁によれば疑わしい失踪者は約870人にのぼる。なかには医療従事者や機械工、印刷工が複数含まれており、その職能が北に利用された可能性があることはかねてより指摘されてきた。しかし、本書の問題提起は「核開発に利用されたのではないか」という日本の安全保障にも関わる重大な嫌疑である。

科捜研の鑑定は「同一の可能性がある」

しかも、核開発に関与させられた疑いのある日本人は、竹村氏だけではなかった。2009年4月、北朝鮮は長距離弾道ミサイルの発射実験を行った。このとき、朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』は、金正日総書記が科学者と写った集合写真を掲載したが、その中に1982年に失踪した日本人と似た人物がいたのである。

その人物は当時23歳で、関東学院大学卒業直後、自動車部品メーカーの入社式を控えていたのに失踪した。彼は工学部機械工学科計測制御室研究室で「ロボットアーム」の研究をしており、その技術は「原子炉の燃料棒を出し入れする際に使われる。原発には必要不可欠な技術だ」という。科学捜査研究所の鑑定では本人と新聞の顔写真とは「同一の可能性がある」というものだった。

さらには1983年、福井原発の点検作業と修理を担当する23歳の工員が謎の失踪をとげ、88年には鳥取県で35歳の精密機械工が行方不明になっている。

本書で明らかにされたこうした事実は、何を意味するのか。著者は、取材を進めるにつれ、北朝鮮の核開発に関わる重大な疑念が存在するにもかかわらず、捜査当局による行方不明者事件の捜査はまったく進展していないことも明らかにする。むしろ、日本政府にとって不都合な真実は隠蔽(いんぺい)されてきたのか。

著者はどこまで真相に迫ったか。われわれはその闇の深さに愕然(がくぜん)とすることだろう。拉致と日朝交渉の経緯に関心のある読者には、類書として朝日新聞元ソウル特派員の鈴木拓也著『当事者たちの証言で追う 北朝鮮・拉致問題の真相』(朝日新聞出版、2024年2月28日刊)を推しておくが、両書を読むと、拉致問題の全容解明はほど遠いといわざるをえない。

『消えた核科学者 北朝鮮の核開発と拉致』

『消えた核科学者 北朝鮮の核開発と拉致』

岩波書店
発行日:2023年11月29日
四六版:215ページ
価格:2200円(税込み)
ISBN:978-4-00-061618-8

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