【書評】大使が見た侵略戦争の実相:松田邦紀著『ウクライナ戦争と外交』

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ロシアがウクライナへ全面侵攻する前から3年間にわたって駐ウクライナ日本大使を務めた松田邦紀氏が、外交の最前線での奔走を振り返りつつ、侵略戦争の本質と日本にとっての意味合いを深く考察した。外交の舞台裏についての証言、冷静な分析に基づく記述は、貴重な歴史資料となっている。

トラブルシューター

2021年6月。駐パキスタン日本大使として、隣国アフガニスタンで勢力を拡大していたタリバンの状況を注視していた著者は、東京の外務省からウクライナへの赴任を打診された。すでに戦争の可能性が示されていたが、赴任を即断する。危険や不測の事態が多い任地を経験してきたトラブルシューターとしての自信がなせる業だった。

一方で著者の脳裏をよぎったのは、アフガン戦争で敗北した国の指導者のことだった。米軍撤退、タリバン政権の樹立と、アフガンの混乱の陰でほくそ笑みながら、新たな冒険主義的行動に出るのではないか…。この懸念が単なる「予感」によるものではないことは、本書を読み進めると分かってくる。随所に示された著者の冷徹な情勢分析に触れるうちに、基礎に裏打ちされた「見立て」であったことが理解できるのである。

そして、ロシアがウクライナ侵攻に踏み切った22年2月24日。この日の朝を振り返る筆致は静かで、興奮はない。すでになすべき準備はしていたのだろう。公邸近くで爆発音がする中、首都キーウの市中視察に出ようとした著者が館員に押しとどめられるシーンには、ユーモア感さえ漂う。腹が据わっている。

日本の有形無形の支援

首都を巡る攻防戦といった戦況、大使館業務の一時国外退避、岸田文雄首相(当時)のキーウ電撃訪問など、戦時下での外交の舞台を詳述していく。中でも多くのページを割いたのが、あらゆる形で行われる日本のウクライナ支援についてだ。

避難民サポート、エネルギー、地雷探知・除去、財政、果ては文化交流など、幅広い日本の支援に言及し、政府はもとより地方自治体、民間団体、個人の援助に対して、ウクライナの人々から感謝の言葉が繰り返されたとことを伝える。日本の支援が「非武器」に限定されることに、著者は後ろめたさを全く見せない。「支援は拙速を旨とすべし」との信念を貫き、果断にやれることをやっていく。欧米各国の軍事支援に比べれば地味でささやかかもしれない。だが、「日本人の優しさや共感」が伝わったと証言する。

日本外交が果たした役割についての記録には、当事者ならではのエピソードがちりばめられている。広島で開催された先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)など大舞台の陰で、日本が戦争終結に向けて地道な外交努力を重ね、ウクライナをはじめとする各国から高い評価を受けたことを浮き彫りにしていく。だが、決して一大使としての尽力を誇示することはない。

国際社会を生き抜く指針

この戦争の本質を「国際秩序そのものへの挑戦」と断言する論旨は、本書の全体を貫いている。ロシアによる暴挙を国際社会が容認すれば、別の国が新たな暴挙に出る可能性は否定しきれない。著者は、戦争終結を巡って「ウクライナ抜きでウクライナの将来を決めること」に強い警戒感を示し、国際社会がウクライナに圧力をかけて和平を実現しようとすれば、新たな侵略を生みかねないと危惧する。

「今日のウクライナは、明日の東アジアかもしれない」。侵略戦争に関して岸田氏が発した言葉は、まさに著者の問題意識と相通じる。ただ、事態は発言の当時より深刻になっている。北朝鮮がロシアに武器、弾薬を供給したほか、部隊を派遣して事実上参戦している現在、著者は岸田氏の言葉を受けて「今日のウクライナは、明日の東アジアである」と警鐘を鳴らす。

今回の戦争では、ドローンに代表されるように最新の科学技術が次々と投入され、戦争の在り方が変わりつつある。また、パラダイムシフトは戦場だけでなく、経済、国際秩序など多方面に及ぼうとしている。大国ロシアを相手に、ウクライナが激動する軍事、外交などあらゆる領域でいかに戦っているのか―。具体例を挙げながらの解説は、専門知識がない者にも分かりやすい。戦争でつまびらかになった各国のスタンスにも注目しており、今後の日本の外交、安全保障の在り方を考えるうえで、大いなるヒントになるだろう。

2024年10月の離任に先立ち、著者はゼレンスキー大統領の接見を受け、勲章を授与された。「私1人の名誉ではなく、日本と日本国民への感謝だと受け止め、大変光栄に思った」。著者は、ニッポンドットコムのインタビューにこう語っている。本書は、ウクライナの人々から厚い信頼を勝ち得た外交官の貴重な「戦記」であるだけでなく、先の大戦終結から80年がたって大きく変容しつつある国際社会で、日本がどう生き抜いていくべきかを示す指針となっている。

『ウクライナ戦争と外交 外交官が見た軍事大国の侵略と小国の戦略』

時事通信社
発行日:2025年5月1日
四六判:256ページ
価格:2200円(税込み)
ISBN:9784788720176

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