2025年の文学賞受賞作:年末年始の読書にお勧めする話題の1冊
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日本人初の英ダガー賞受賞
「ダガー賞」は英国推理作家協会主催の世界最高峰といわれるミステリー文学賞だが、その翻訳部門で『ババヤガの夜』(王谷晶、河出書房新社)が受賞した。日本人作家としては初の受賞。日本では2020年に刊行されたハードボイルド小説である。
主人公の依子は、幼い頃より祖父に格闘技をみっちり仕込まれ、暴力好きな女性に育っていく。強面(こわもて)の男と流血もいとわないけんかに明け暮れる毎日だ。ある日、依子は大勢の暴力団員に絡まれ、徹底的に叩きのめされて組長の豪邸に拉致される。
東京都内で武闘派として知られる組長には、溺愛する一人娘がおり、依子はお嬢さん学校に通う娘のボディーガードを依頼される。彼女には許嫁(いいなずけ)がおり、父親が兄弟杯をかわした別の暴力団組長だったが、この男は残忍な殺害方法を楽しむサディストだった。
依子と娘とは、次第に気心が通じるようになっていくのだが、あることがきっかけで窮地に立たされる。ここからの展開が、ことごとく読者の意表を突いていくが、それは読んでからのお楽しみ。「キルビル」など、スーパーウーマンが躍動するバイオレンス映画が大ヒットする欧米だからこそ、評価された作品であるのだろう。
直木賞受賞作に「透明で清らかな読後感」
2025年上半期は直木賞、芥川賞とも異例の「受賞該当作なし」との結末となった。両賞とも受賞作がなかったのは27年ぶりだ。どの候補作も決定打に欠けたようで、芥川賞選考委員である小川洋子は「どの作品を推すか決められないまま臨んだ」とし、直木賞選考委員の浅田次郎は「相対評価で考えても受賞作としてマルを付けられませんでした」と語っている。そこで今年1月に発表された2024年下半期の受賞作を紹介しておきたい。

2025年上半期の芥川賞、直木賞は「該当作なし」と発表された(時事)
直木賞の『藍を継ぐ海』(伊与原新、新潮社)の著者は、東京大学大学院理学研究科で地球惑星科学を専攻、博士課程を修了。本作は5つの短編で構成される。
標題の「藍を継ぐ海」の舞台は、アカウミガメが産卵に訪れる徳島県の海岸だ。元漁師の祖父と二人で暮らす中学2年の沙月は、条例で保護されている砂浜に産みつけられたウミガメの卵をこっそり持ち出して、ひとりで育てようとする。それはどういう理由からなのか。
海岸から沖に出ると、深い藍色の黒潮の流れがまるで川のように見えるという。ウミガメは海流に乗ってアメリカ大陸沖まで旅をして、何十年もかけて生まれた浜に帰ってくる。物語には自然科学の知識がさりげなく盛り込まれる。
選考委員の林真理子の選評はこうだ。
「登場人物たちの多くは、小さなたくらみや疑問を持って現実の中で生きているのであるが、それがいつしか科学の大きさの中に包括され、ささやかな幸福を得ていく。その結果、なんともいえない透明で清らかな読後感が残る」
芥川賞は「血の滴り」と「博覧強記」
芥川賞の受賞作、『DTOPIA(デートピア)』(安堂ホセ、河出書房新社)。南の島で「デートピア」という名称の恋愛リアリティショーが開催された。ミスユニバースの白人女性のハートを射止めるために、世界各国から集まった10人の男性が競うという恋愛ゲームだ。その中に一人の日本人・井矢汽水(いやきすい)がいる。
ところが、「ここには黒人が一人もいない」というミスユニバースの発言から、ゲームは波乱の展開となる。さらにはこの島に井矢と関係深い「モモ」がやってくることで、物語はさらに錯綜(さくそう)する。井矢とモモには複雑な過去があった。人種とジェンダー問題を取り込んだ意欲的な作品である。
選考委員の小川洋子の選評が、この作品の性格を物語っている。「気休めの感傷など寄せ付けない、冷ややかな血の滴りを浴びるような体験だった。安堂さんにしか作り出せない小説世界がある、と確信できた」
もう一つの芥川賞受賞作は『ゲーテはすべてを言った』(鈴木結生、朝日新聞出版)だ。著者は西南学院大学外国語学部から修士課程で英文学を研究する大学院生であり、21世紀生まれで初の芥川賞作家となった。
主人公の博把統一(ひろばとういち)は、ドイツの文豪ゲーテ(1749-1832)の研究では第一人者の学者である。ある日、家族と食事したイタリア料理店で、食後に出てきたアールグレイのティーバッグに、ゲーテのものとされる名言が印刷されているのを見つけた。
タイトルの由来は、誰が言ったかわからない名言でも「ゲーテいわく」と付け加えておけばこと足りるというもの。なぜならゲーテは「すべてを言った」とされるからである。しかし、料理店の名言が気になった統一は、それが本当にゲーテのものだったのか、八方手を尽くして出典を探そうとする。そこに落とし穴が──。
選考委員の平野啓一郎はこう評している。
「私は若い作者の博覧強記と一種の老成に、大きい才能の出現を感じた」「多様性と情報の真贋(しんがん)という今日的な問題に独自にアプローチしており(略)『世界文学』の巨大な書庫と現代社会との間の窓が開け放たれ、その風通しを良くしたことは、本作の手柄であろう」
「何を信じて生きていくべきか」
本屋大賞に選ばれたのは、『カフネ』(阿部暁子、講談社)である。カフネとは、ポルトガル語で「愛する人の髪にそっと指を通す仕草」であるそうだ。それがこの物語の大切なモチーフである。40歳の薫子は、法務局に長年勤める国家公務員で、今は一人暮らし。離婚した弁護士の元夫との間に子供はいない。
ある日、薫子が最も愛していた年の離れた弟が突然死した。弟は遺言書を残しており、姉を執行人に指名していた。若くしてそれなりのお金があり、3分の1を別れた恋人・せつなに譲るとある。不愛想な彼女は受け取りを拒絶した。
そこから母子家庭や、親の介護に疲れた人のための家事代行会社で働くせつなと、薫子との奇妙な関係が始まる。ある行きがかりから、薫子は休日ボランティアで彼女の手伝いをする。せつなは、すご腕の料理人(数々の料理を作る描写が秀逸!)で、几帳面(きちょうめん)な薫子は掃除洗濯を得意とし、互いに反発しながらもペアで仕事をこなす。
不妊治療で挫折したことがトラウマの薫子や、天涯孤独なせつな、家事代行を必要とする人々、それぞれが抱えきれない傷を背負っており、誰かを頼りたいと願っているが言葉にできない。弟は若くしてなぜ遺言書を残したのか。本当に突然死だったのか。せつなとはどうして別れたのか。数々の謎が、最後にストンと収れんし、読後感は心温まるものだ。こういう小説が今年一番読まれた(最後の今年の年間ベストセラー参照)ということに、筆者は安堵(あんど)した。
吉川英治文学賞の『方舟を燃やす』(角田光代、新潮社)の読みどころは、昭和から平成、令和のコロナ禍へと続く時代を通し、2人の男女の人生を綴りながら「何を信じて生きていくべきか」を突き詰めていくところにあるだろう。本作の登場人物は、われわれの身近にいる等身大の庶民だ。
鳥取県の田舎で生まれ育った飛馬は、1997年7の月に恐怖の大魔王が人類を滅ぼすとした「ノストラダムスの大予言」が大流行した頃、小学生だった。彼にとっては、地震の予知で地元の人々を救った祖父が英雄であり、人の役に立つことがしたいと思っていた。
一方、戦中戦後、貧困の中で育った不二子は結婚し、子供を授かったときに家族の健康を第一に願っていた。ある日、加工品や肉を拒否し、野菜中心の自然食品を推奨する料理研究家との出会いが彼女に影響を与え、生活に取り入れていくが、それがもとで夫や子供たちは次第に離反していく。自分が正しいと信じ、その人のためになると思って実践していたことなのに──。
東京の大学を卒業し、区役所で働いていた飛馬は、「こども食堂」の活動を通じて不二子と知り合う。育児放棄された子供を巡って周囲と摩擦が絶えない。やがてコロナ渦でSNSの情報に翻弄(ほんろう)される不穏な日常に突入していく。
旧約聖書に記された「ノアの方舟」は、大洪水が起こるとの神の啓示を受けたノアが、大きな方舟に家族とすべての動物のつがいを乗せて難を逃れる物語だ。自分だけ助かる道を選ぶのか。本作の登場人物の一人は、「私だったらみんなと流される方を選ぶ」と言う。『方舟を燃やす』の意味は重い。
ミステリー系で3冠受賞の1冊
「このミステリーがすごい! 2026年版』(宝島社)の第1位に選ばれた『失われた貌』(櫻田智也、新潮社)は、「週刊文春ミステリーベスト10 2025」国内部門、「ミステリが読みたい! 2026年版」(ハヤカワミステリマガジン)国内篇でもそれぞれ1位となっている。
J県媛上(ひめかみ)市の山中で男性の変死体が発見された。顔面がつぶされ、両手首は切断、歯は全部抜かれ、身元が特定できない。J県警媛上警察署捜査係長の日野雪彦が捜査に着手する。
同じころ、隣の駒根市のアパートの部屋で、大家の変死体が見つかった。居住者は、恐喝罪で服役から出所してまもなくの元私立探偵だが、行方をくらましている。通報者は、出所者支援NPO代表の女性だった。さらには身元不明遺体が発見された日の前日、隣県で夫が妻を刺し殺した事件が発生していた。
こうした事件の数日前、媛上市の公園で母子家庭の小学生の男子児童が不審者に声をかけられる「前兆事案」があり、母親から媛上署に通報があった。
一見、無関係に見える事件が、次第につながっていく。背景にあるのは、愛憎もつれる暗い男女の人間模様だ。2013年にデビューした作者は、その動機を描き切る。複雑な筋立てを巧みに織りなし、あぜんとさせる結末まで一気に読ませる手腕は見事なものだ。
新潮ドキュメント賞を受賞したのは『僕には鳥の言葉がわかる』(鈴木俊貴、小学館)。著者は1983年東京都生まれ。東京大学准教授。動物言語学者である。
著者の主要な研究対象は、日本全国どこにでもいる小鳥のシジュウカラ。鳴き声のレパートリーは驚くほど多く、観察しているうちに、そのひとつひとつに驚くべき意味があることを発見した。たとえば小鳥は互いに餌の在りかを教え合い、天敵が現れれば注意を喚起する。そうした事例を、温もりのある筆致で紹介してくれる。鳥には鳥の言葉があるのだ!
同賞はその年の優れたノンフィクション作品に授与される賞だが、主催する新潮文芸振興会事務局は受賞理由として「一般の人が見逃しがちな鳥の生態を独創的かつ画期的な方法で調べあげた世界的な大発見を、ドキュメントとして見事に描いた」と評価する。
著者は、「本書は私の18年以上にわたる鳥語研究の集大成。フィールドワークの楽しさや発見の興奮を余すところなく詰め込んだ一冊です。老若男女に楽しんでいただけるよう、工夫して執筆しました」と語っているが、人と自然、鳥とののかかわり方に思いをはせることで心が豊かになる好エッセイである。
今年の年間ベストセラー
最後に出版取次大手の日本出版販売による今年の年間ベストセラー(単行本フィクション部門)を紹介しておきたい。1位『カフネ』(「本屋大賞」受賞作)、2位『変な地図』雨穴(双葉社)、3位『謎の香りはパン屋から』土屋うさぎ(宝島社)、4位『近畿地方のある場所について』背筋(KADOKAWA)、5位『マスカレード・ライフ』東野圭吾(集英社)となっている。
2025年の主な文学賞一覧
【英ダガー賞】
『ババヤガの夜』(王谷晶、河出書房新社)
【芥川賞】
(2024年下半期)
- 『DTOPIA(デートピア)』(安堂ホセ、河出書房新社)
- 『ゲーテはすべてを言った』(鈴木結生、朝日新聞出版)
(2025年上半期)
該当作なし
【直木賞】
(2024年下半期)
- 『藍を継ぐ海』(伊与原新、新潮社)
(2025年上半期)
該当作なし
【本屋大賞】
- 『カフネ』(阿部暁子、講談社)
【吉川英治文学賞】
- 『方舟を燃やす』(角田光代、新潮社)
【このミステリーがすごい!】
- 『失われた貌』(櫻田智也、新潮社)
【新潮ドキュメント賞】
- 『僕には鳥の言葉がわかる』(鈴木俊貴、小学館)
バナー写真:(左から)ダガー賞、直木賞、芥川賞(右の2冊)を受賞した各作品
