【書評】現代文学をけん引する作家の代表的シリーズが20年の時を経てよみがえった!:桐野夏生著『ダークネス』
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エドガー賞はアメリカ探偵作家クラブが主催する世界的な文学賞で、日本作品の候補入りは『OUT』が初めてのことだった(ちなみに2例目は東野圭吾の代表作『容疑者Xの献身』)。残念ながら受賞とはならなかったものの、一流ホテルで開催される発表セレモニーに、桐野は黒のドレス姿で出席して会場を沸かせた。その西欧的な容姿にとても似合っていたと、同席した版元の編集者は語っている。
その桐野のキャリアの出発点となったのが、1993年に江戸川乱歩賞を受賞した『顔に降りかかる雨』である。鮮烈な作品世界や、女性主人公のキャラクターが好評を得てシリーズ化され、翌年の『天使に見捨てられた夜』から2002年『ダーク』まで、計5作が上梓されてきた。
23年ぶりにミロが戻ってきた
先の『OUT』での国内ブレークに続き、1999年の『柔らかな頬』で直木賞を受賞し、以降、純文学色の強い作品も交えてトップランナーを続ける桐野だが、作家にとってデビュー作は特別なもの。あえて言えば、その後の創作すべての萌芽があるといってもいいだろう。
そのデビュー作シリーズが、20年以上の時を経てよみがえった。前作『ダーク』のあまりに凄絶なラストからして、多くのファンはこれでシリーズ完結、もう孤高の女探偵村野ミロには会えないだろう、そう思っていたはずだ。
だが、ミロは戻ってきた。長い長い沈黙の時を終え、読者の前に帰ってきた。その世界は『ダークネス』──。ミロは、何をしていたのか。
60歳になった元女探偵は、潜伏先の沖縄で、愛する夫のジンホが出獄する日を待っていた。前作で、義父の村野善三を死に追いやり、その内縁の妻である久恵や、義父の盟友だったヤクザの鄭に追われることになったミロは、韓国人ジンホの助けを得てソウルに逃亡する。そこで命の恩人を深く愛したミロだったが、ジンホが追手の襲撃からミロを守って下半身不随となり、ようやく2人で日本に逃れてきたものの、ジンホが追手の2人を殺害して、20年の刑を受けたのだった。
ミロの絶望はこれだけでは終わらない。逃亡劇の最中、鄭とつながりのある山岸にレイプされたミロは、怒りのあまりに山岸を殺害してその兄(もちろん闇の世界の住人だが)からも追われる身となり、さらには、レイプによって妊娠までさせられてしまっていた。だが、苦渋の末、ミロはこの罪の子を産むことを選択し、幼子を抱えて遠く沖縄の地に身を隠したのだった。
ここまでが前作『ダーク』である。
それまでも、社会の闇や闇社会の暴力性、社会に抑圧され続ける女たちの怒りが鮮烈に描かれ、女性版ハードボイルドに止まらず、社会派ミステリーとしても高い評価を受けてきたシリーズだった。だが、『ダーク』の激烈な描写や展開により、人間に潜む怒りの凄まじさ、心の闇の深さをえぐり出す姿勢がより鮮明となり、ミロは脱皮したとまで評された。
本作は、ジンホの出所を間近に控えたミロを追うところから始まる。息子のハルオは20歳、医学部に通う大学生となっている。追手の眼を逃れるために社会性を遮断し、息子にも過去を一切明かさずに生きてきたミロだったが、出所を控えてジンホとの面会を解禁してしまったことから、再び、闇の向こうへとパンドラの箱を開けてしまう。
出生の秘密を知ってしまったハルオはショックのあまりに離反してゆき、出所後の人生を供にするはずだったジンホも、捨てた元の家族のもとに帰ることを希望するのだった。すべてを失いつつあるミロへ、久恵や山岸兄らが憎悪をたぎらせて迫りくる展開が、深く重いタッチで描かれてゆく。未来を見失ったハルオが、みずから伯父である山岸兄のもとに身を寄せ、騙されて瀕死の深手を負わされたことを知ったミロは、自分の人生を支配し続けた「悪」への復讐をかけ、敵地へと向かってゆく──。
ここに至り、読者は今作の大きなテーマが立ち現れるのを知る。どんなに愛し愛された相手でも、時の流れが人を変え、人はいつか去ってゆく、そのあらがいようのない現実である。こうしてミロはまた一人になる。
桐野作品の大きなテーマの一つは、女性が甘受させられる社会的な抑圧と、それに対する女たちの怒りと反発であろう。その激しさが時に主人公たちを過激な行動へと導き、作品世界は人間のダークな側面が強調されたミステリやハードボイルドへと傾斜してゆく。それが端的に表れているのがこのシリーズであり、その意味でも代表作と言える。
一方で、社会や人間を鋭くみつめる桐野の視線は高度に現代性を帯び、独自の尖った作品世界を産んでゆく。2020年に刊行され大きな話題となった『日没』など、その好例だろう。世界から注目される女性作家の、桐野はいまも中心にいる。
