【書評】帝国劇場を舞台に織りなす人間模様を描く:小川洋子著『劇場という名の星座』

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小川洋子の最新刊は、帝国劇場を舞台にした短編連作だ。公演を支える裏方のスタッフから、ある理由と目的を抱いて劇場に足を運ぶ観客まで。劇場という非日常の凝縮された世界に集う人間模様を、著者はぬくもりのある筆致で描き切る。

「さようなら、ホタルさん」

「皇居内濠(うちぼり)に面し、丸の内のオフィスビル群に紛れるようにして建つビルの中で、闇と光により作り出された異界が、これほど生々しく渦巻いていると、誰が想像できるだろう」と小川洋子は書く。

帝国劇場は、1911(明治44)年3月に開場した。65年に解体されて翌年9月に複合ビルとして生まれ変わる。私たちが目にしていたのはこの劇場だ。その後、2022年に建て替えが発表され、25年2月をもって休館。新しい劇場は30年に完成予定である。

本作は帝国劇場を舞台にした8つの短編で構成されている。冒頭の作品「ホタルさんへの手紙」を紹介してみよう。

74歳で亡くなった父親の遺品整理を一人娘の沙和子がしていると、机の引き出しから『屋根の上のヴァイオリン弾き』のパンフレットが見つかった。1978年冬に帝国劇場で上演された際のもので、主役テヴィエは森繁久彌である。彼女は父親が観劇する姿を想像できなかった。父親は全盲だったからだ。ページの間から、差出人が帝国劇場案内係と書かれた封書と12月17日の日付のチケットが滑り落ちた。

帝国劇場にはお客様を席に案内する「案内係」がいる。座席番号と配置を暗記した新人女性は、暗闇の中、ペンライトの小さな明かりを頼りに、遅れてきた老婦人を演目途中の適切なタイミングで席に導いていく。終演後、老婦人は新人に感謝の気持ちを込めて「さようなら、ホタルさん」とあいさつした。

78年12月の昼公演で、ホタルさんは60代半ばの白杖の男性の左腕を取り、席まで案内した。「休憩時間と終演後にまた参ります。お買い物やお化粧室など、必要がございましたら何でもおっしゃってください」。終演後、ホタルさんが迎えに行くと、男性は涙を流していた。

沙和子は早くに母親を病で亡くし、父親と二人暮らしだった。彼女は短大卒業後、栄養士になる。視力を失った父親は早期退職し、専門の施設に入った。78年11月、沙和子は36歳の時に結婚した。

全盲の父親は、沙和子が結婚した翌月に、なぜ、『屋根の上のヴァイオリン弾き』を見に行ったのか。パンフレットを見ているうち、その理由が分かった沙和子は、読むのをためらっていたホタルさんから父親への手紙を開いた。

この一編で、ページをめくる期待は高まるだろう。全編、「謎」と「不思議」が織りなす小川洋子の世界が堪能できる。

人はなぜ劇場に足を運ぶのか

「例えばパリのオペラ座やウィーンの国立劇場のような、これ見よがしな華麗さとは無縁で、むしろ謙虚な品を醸し出している。外壁の赤褐色は、大地の色を想像させ、つい頬を寄せてみたくなる」と小川洋子は書く。

各短編で著者が愛情のこもった目線を注ぐのは、スポットライトを浴びる役者ではなく、「案内係」「幕内係」「稽古ピアノさん」「エレベーター係」「楽屋係」「通訳係」といった裏方のスタッフたちである。

興味津々、どういう仕事なのかは読んでみてのお楽しみだが、それぞれが公演の成功を願い、献身的に地道な職務をこなしていく姿に感銘を受ける。彼ら彼女らの仕事ぶりを通じて、帝国劇場の建築物としての構造や、上演に至るまでの舞台裏が知れるのも興味深い。

それと同時に、著者は観客に目を向ける。人はなぜ劇場に足を運ぶのか。本作には『屋根の上の~』から『風と共に去りぬ』『モーツァルト!』『ミス・サイゴン』『レ・ミゼラブル』など何度も再演された人気作品が、各物語のエピソードの重要な背景になっている。それぞれに登場する訳ありの観客は、その演目に何がしかの思い入れを抱いて劇場を訪れていた。

著者は、劇場を人生の縮図と見ているのか。私たちは今の居場所(劇場)で、何らかの役割を演じている。それが主役であろうが裏方であろうが、星座を構成する貴重でかけがえのない存在ということになるのであろう。

ちなみに著者は2022年に短編集『掌に眠る舞台』を出版しているが、収録作品それぞれが「舞台」を共通テーマとして、虚構と現実とを行き来する人間模様を描いている。「帝国劇場」と『レ・ミゼラブル』にまつわる幻想的な一遍も含まれているので、ぜひ、こちらの短編集もあわせ読まれることをお薦めしたい。

『劇場という名の星座』

集英社
発行日:2026年3月10日
四六判:288ページ
価格:1925円(税込み)
ISBN: 978-4-08-770038-2

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