【書評】高齢女性の“バディもの”に挑んだ快作!:川上弘美著『スナックふたり』
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川上弘美には二つの世界がある。昨年、国際ブッカー賞の最終候補となった『大きな鳥にさらわれないように』のような、寓意(ぐうい)性やテーマ性の高い作品と、今世紀の初めに刊行されて読者を魅了し、今また海外で多くの読者を獲得している『センセイの鞄』に代表される、居心地のよい世界に読者がどっぷりと浸かり込む作品と。新刊『スナックふたり』は無論後者。たっぷり束のある本を手に取ったとき、私は「やったぜ」と快哉(かいさい)を上げた。
物語の舞台は、歳のいった女性ふたりが営むスナック。
私もスナック通いにかけては人後に落ちぬ自信があるのだけれど、スナックには、銀座とか新宿とか、盛り場に近い場所にある店と、場末といっては何だが、駅前商店街に小さな軒灯を掲げるような店と、二つのタイプがある。その違いは何かといえば、盛り場に近い店はややお色気に傾き、街場の店はママの人柄や居心地の良し悪しが盛衰を分かつ。どこからかお叱りの声も上がりそうだが。
「スナックふたり」は、川上弘美が描くのだから当然、後者なのだが、場所はどのあたりなのか、想像させる描写はない。どちらもママだという司と逸子は、高齢というけれども実際には何歳なのか、最後まで明かされない。それどころか、ふたりのバックボーンやら(過去を含めて)、なぜ一緒に店をやることになったのかやら、ともに独身という以外、ほとんど明かされていない。そこにはきっと作者の深い謀(はかりごと)がある。
物語は全6話で構成される。
司と逸子が営む街場のスナックに、常連たちがとっかえひっかえ疲れを癒しにやって来る中、毎回、新しい客が登場してきて、ささやかな物語が展開される。世にいう短編連作、グランド・ホテル形式が基本構造になっている。その魅力はひと言、高齢を迎えた女性二人が交わす会話の妙。
季節の移り変わりや年齢ならではの人生訓が柔らかく語られてゆくのだが、それが最もさえるのは、二人が常連客やゲストを独特な言い回しで評する場面。店が開く前に、前夜の客やその振る舞いについて交わされる会話は、まさにこの作家の至芸と言っていい。相手を完全に打ちのめすような残酷さはなく、ちょっと辛辣(しんらつ)だけど、でも、歳の功を感じさせる優しさや奥深い人間観察が出汁(だし)のように利いているのだ。
そう、これは作者がどこかで語っていたように、高齢女性の“バディもの”でもあって、二人の信頼関係が醸しだす詩情が作品の大きな魅力となっているのだ。
さらにもう一つ、この小説には重要な特徴がある。
各話に登場するゲストは常に“この世ならぬ存在”つまりは幽霊なのだ。それは例えば、常連客の叔父さんで、歌手を目指しつつ若くして亡くなった人であったり、たまに顔を見せる焼き鳥屋の主人の亡母であったり、みな、なにがしか未練を残したまま世を去らざるを得なかった人たちの霊なのである。世にいう「夢幻能」、亡者が旅の僧に生前の思いを語り、そして舞う、能の世界の構造も備えているのだ。
もちろん、壇之浦に身を投じる平家の公達(きんだち)のような劇的な話ではない。誰でもあるような人生の悔恨であったり、この世に遺してゆく者への思いであったり、あるいは、消えてなくなることができない幽霊の迷いであったり、この作家ならでは、物語にならないようなささやかな話である。
「スナックふたり」で、霊たちは思いの丈を語り、やがて浄化されたかのように消えてゆく。ここは、幽霊たちがあの世に帰ってゆく出口、ターミナルにもなっているのだった。
ここに至って、私は最初に抱いた疑問への答えにたどり着く。
司と逸子の過去がほとんど語られないばかりか、年齢や容貌が描写されることのないのは、「スナックふたり」そのものが“この世ならぬ場所”だからだ。二人の高齢女性が老後を送る夢のごとき世界として構築されているのであって、二人の属性は意図して省かれているのだった。ここは常連客にとっての理想の場所であるばかりか、晩年を迎えた一人暮らしの女性たちの理想の世界でもあった。
いま、スナックの良さが見直されているというか、昭和レトロブームに乗って、若いサラリーマンにもその魅力が理解されるようになったと感じる。ならば、この作品は『センセイの鞄』のような道を歩み、長く読み継がれる作品になるような予感もある。
私自身、本書を読んでいる時間がそのまま、「スナックふたり」のスツールに腰かけて、ママたちのたわいのない話、でも、どこか懐かしい言葉の響きに耳を傾けているような時間だった。なんともいえぬ居心地の良さ。
でも、スナックはたいがい2時間が頃合い。それ以上長居すると、酔ってあらぬことをしゃべったり、翌日に堪えたりする。お金もかかるしね。
ママ、そろそろ、お勘定をお願いします─。
