【書評】米大統領による制裁、国際社会の「法の支配」崩壊への警鐘:赤根智子著『戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない』

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2026年のノーベル平和賞は、国際刑事裁判所(ICC)の元裁判官ナビ・ピレイ氏が受賞した。それから数時間後、トランプ米大統領はICCを制裁対象に指定したと発表。「法の支配」を揺るがす暴挙を予見して、現職の赤根智子所長はかねて自著の中で強い懸念を訴えていた。

所長就任直後、米による制裁に直面

「私たちの活動には、戦争の災禍などに苦しむ世界中の被害者たちの希望が託されていることを忘れないでほしい。この人たちの希望の灯りを消してはならないのです」。ICCのトップである赤根所長は、2025年刊行した著作『戦争犯罪と闘う』でこう記述している。

23年7月、赤根氏はロシアから指名手配された。きっかけは、当時ICC予審部門の裁判官だった赤根氏らが、ウクライナから子どもを連れ去った戦争犯罪にプーチン大統領が関与したと信じる合理的な理由があるとして、逮捕状を出したことだった。

日本で検察官としてのキャリアを積んだ赤根氏は、18年3月からICCの裁判官(18人の所属で任期は9年)を務め、24年3月に裁判官の互選によって所長に就任した。ここで直面したのが米国による経済制裁である。

同年11月、ICCはパレスチナでの戦争犯罪の容疑でイスラエルのネタニヤフ首相に逮捕状を出した。これに反発したトランプ大統領がICCへの制裁を可能にする大統領令に署名。首相を告発した検察官が最初の制裁対象者となり、その後、8人の裁判官が追加対象となった末に、26年8月、所長の赤根氏まで指定された。

ここまでは個人が対象だったが、ノーベル平和賞を契機に、ついにICCそのものが狙い撃ちされたのである。

「ICCはつぶされたも同然」

対象となった個人は、ICC本部があるオランダ以外の銀行口座が使えなくなり、米国国内の資産凍結、渡航禁止、米国企業との取引禁止が科せられる。組織全体が対象になるとどうなるか。赤根氏は本書でこう書いている。

「世界中のあらゆる銀行や企業がICCとの取引をストップさせる可能性があります。職員に給与が払えなくなり、組織のあらゆる機能がマヒするかもしれない。ウクライナやアフリカに設置している捜査や公判のための事務所にも送金できなくなるでしょう。ICCのICTシステム(注・情報通信技術)はアメリカ企業によるものですから、これが維持できなくなり、電子データの保管にも問題が生じるかもしれません」

こうした制裁が実行されれば「もはやICCはつぶされたも同然になります」と赤根氏は危惧していたが、それが現実のものになったのである。加盟締約国はこれまで米国の制裁に反対してくれたのか。赤根氏は嘆いている。

「日本を含め、締約国の動きが鈍いことは本当に遺憾です。大国が思うがままに行動し、ICCをつぶすようなことを許してしまえば、国際社会における『法の支配』は崩壊してしまう可能性が高い。それだけの危機にあるという認識が、締約国の間できちんと共有されていないと感じます」

「ICC擁護に団結してほしい」

ICCは、第二次世界大戦後のニュルンベルグ裁判や東京裁判、その後の旧ユーゴスラビア、ルワンダ内戦の国際刑事法廷などの経験を積み重ね、2002年に発足した。

国際司法裁判所(ICJ)が「国家間の紛争」を取り扱うのに対し、ICCは戦争犯罪や人道に対する犯罪に関わった「個人」の刑事責任を裁く機関である。締約国は125の国と地域。米ロ中は参画していないが、米国は創設には積極的に関わった経緯がある。裁判官、検察官を含めた職員数は約1000人。

活動経費となる分担拠出金では、全締約国の中で日本が1位となっている(25年度予算で約46億円。分担率は約14.7%)。本書を読めば、ICCという組織やこれまでの活動実績がよくわかる。そしてまた、法曹家として国際社会の平和に取り組んできた一人の日本人女性の真摯(しんし)な足跡でもある。

赤根氏は、ICCは「普遍的に認められた国際法の諸規範を実施することで、国際社会の利益にかなう役割を果たしている」「世界中で残虐行為が続き、多くの人の命が脅かされる中、必要不可欠な存在として機能している」「私たちは、どんな状況でも、法律のみを遵守し、独立性、中立性を保ちながら判断する」「世界中のすべての国に対して、ICCを擁護するために団結してほしい」と記す。

国際刑事裁判所は、創設以来、「世界から『法の支配』が消えることにもなりかねない」最大の危機を迎えている。赤根所長は、「『法の支配』は日本ではよく口にされる言葉であるが、単にお題目として唱えるだけでは、大きな脅威の前に崩れ去るような危うい存在かもしれない」と訴えるのだ。

「そうなれば、法の支配ではなく、力が支配する世界となってしまう。国際的な法秩序の守り手として、私たちは何としても踏みとどまらなくてはならないのです」

『戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない』

文藝春秋
発行日:2025年6月20日
新書判:224ページ
価格:1045円(税込み)
ISBN:978-4-16-661496-7

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