【書評】「ガリレオ」最終巻に込められたラストメッセージ:東野圭吾著『永遠の記憶』
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「ガリレオ」の誕生
国民的人気作家、東野圭吾がこの夏、惜しまれつつ世を去った。多くの名作を世に遺したが、その最大のヒット作「ガリレオ」のシリーズ最終巻が、あたかも別れの挨拶(あいさつ)のように、死の直後にファンに届けられた。そんなことはひと言も書いてないのだが、このシリーズをよく知る私は、随所でその思いを深くした。
まずは「ガリレオ」略史を書く。少し長くなるが、この偉大な作家を知る重要なポイントなので、ご容赦を。
スタートしたのは1996年11月、小説雑誌「オール讀物」に掲載された短編「燃える」だった。帝都大の天才物理学者のもとに警視庁捜査1課に在籍する同期生が手にあまる難事件を持ち込み、その科学的推理によって鮮やかに解明されるという連作シリーズは、計5作が書き継がれ、98年に『探偵ガリレオ』として刊行される。
科学以外に関心のない顔をしている物理学者湯川と、職務への意識が高い警察官草薙、2人のやりとりが絶妙であったが、最大の読みどころはトリックを暴いてゆく推理や実証実験の面白さであった。続いて、オカルティックな難事件を扱う第2シリーズがスタートし、2000年に『予知夢』として世に問われる。
当時、この雑誌の編集部に在籍していた私は、東野が作家には珍しい理系を学んだ経歴を持ち、それを生かしたシリーズだと理解していたものの、トリックとその解明に力点が置かれていて、人間ドラマとしてはやや弱い印象をもっていた。いまとなっては不明を恥じるばかりなのだが、作品は目の高いミステリーファンに強く支持される結果となった。加えて、東野はすでにベストセラー作家として各社から大きな期待を持たれており、版元の文藝春秋は「ガリレオ」の長編を希望、依頼する。
そうして誕生したのが05年に刊行された『容疑者Xの献身』だった。出版界の期待を担った本作は06年前期の直木賞を受賞して大きな話題となったことは、記憶されている方も多いだろう。ここまでが「ガリレオ」の第1段階。
この人気に目をつけたのがフジテレビのドラマチームだった。同じ06年に短編集2冊を原作とするドラマシリーズを企画、併せて、原作にはない女性刑事の登場を認めてくれるよう東野に打診する。東野はこれを受け入れるとともに、この年9月にスタートしたシリーズ4作目の短編連作から女性刑事、内海薫を登場させるのである。この内海が最終作で重要な役割を果たすことになる。
こうしてスタートしたドラマ「ガリレオ」は、人気絶頂だった福山雅治を湯川役に起用して大ヒットし、それを受けて08年に『容疑者Xの献身』が満を持して映画化、破格の興行収益を上げて、ガリレオは国民的な人気キャラクターとなるのである。書籍は続々と版を重ね、以降、書き連ねられたガリレオシリーズは最終的に短編集4作、長編7作、都合11作品に上り、その累計部数は1700万部に達する。
人の心も科学だ
そこで本作『永遠の記憶』である。
冒頭、結婚して子育てをしつつ刑事を続けている内海薫が登場し、身に覚えのない人物によってスーパーで刺されて重症を負う。犯人は直後にスーパーから飛び降りて自殺を図った。一命はとりとめたものの重症を負ったまま黙秘し、動機や内海との関係がつかめないまま、捜査は行き詰まる。
ここでいつものようにガリレオ先生が登場するのだが、いつもと違う点があった。シリーズで名コンビを組んできた警視庁の草薙は管理官としてすでに現場を離れており、湯川の前にあらわれた彼は、警察官として“終活”の思いを語るのだった。湯川もまたこれに応じ、捜査に協力してきた“履歴”を回顧するのである。
ここに至り読者ははっきり意識する。時は流れた─そして終幕への助走が始まったのだと。もちろん著者逝去後に刊行された以上、これが最後であると知っている。だが、そういう現実とは別に、冒頭の2人のやりとりに、これまでとは違う“何か”を感知せざるを得ないのである。忍びよる寂寥(せきりょう)──。
物語は、湯川の明晰(めいせき)なる推理によってある人物が浮上。その人物と内海との関係、さらには犯人とのつながりが明らかになってゆく。そこで、背後の人物がたどった残酷な過去、行き場のない怒りと悲しみが描き出され、ミステリーとしての読みどころ十分なのだが、同時に、内海薫の捜査官としての人生、職務への覚悟が鮮やかに浮かび上がってくるのである。そう、ここでもまたシリーズが振り返えられ、長く並走してきた読者は、著者からの明らかなるメッセージを感知するのだ。
ここまでが、第一部「履歴る(たどる)」である。つまり、物語は犯行の全体像が明らかになるだけでは終わらない。それまで黙秘していた実行犯が語り出す第二部「終活る(ふりかえる)」によって、なぜ、他人のために凶行に及ぶことになったのか、犯人がたどってきた人生が明らかにされ、さらに深い場所にある真実、人間の心という「迷宮」へと読者を導いてゆく。本作だけの読者にとっても、完成度の高いミステリーであり、人間の真実に迫ろうとする優れた小説となっているのである。
そして──
最後の最後、やはりあっと驚く仕掛けが用意されていた。犯人が所持していた他人名義の預金通帳に記された名前、それが誰だったかを知った時の湯川の驚きと感慨は、シリーズの読者にとっては、驚愕(きょうがく)以外の何物でもないはずだ。正直、私は迫りくる衝撃に、心臓の鼓動が鳴り止まなかった。シリーズ全体に残されていた謎、いや、湯川の完璧なる推理でも埋められていなかった最後のピースが、ここで明らかにされるのである。
ラスト、湯川が盟友だった草薙にこう告げる。
──僕たちはすいぶんとたくさんの秘密を暴いてきた。そのためには人々の感情など無視したし、君はともかく僕などは、最初からそんなものに興味などなかった。そんな僕に人の心も科学だと教えてくれたのが、あの事件だ──
「人の心も科学だ」。科学を愛し、小説に命をかけた東野圭吾のこれがラストメッセージ、私にはそう受け取れた。
ああ、もうガリレオには会えないのか──。
