伝えたい、中国のリアル : 東京生まれ、北京育ちの私が考える日中相互理解

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中国のシリコンバレーとも呼ばれる中関村では、世界をリードする革新的な技術や、新しいアイデアが生み出され、街中には最新のテクノロジが溢れている―どれだけの日本人がこうした中国のリアルな姿を知っているのだろう。東京で生まれ、北京で育ち、今、東京で日中交流事業に携わる筆者が、高校生を巻き込んでこれからの日中新時代のあり方を探る。

「中国の奇跡」を体感

日本が祖国だとすれば、中国は故郷。脳裏に浮かぶ幼少期の記憶は、冬の風物詩である「冰糖葫芦」(ビンタンフール、サンザシの実やフルーツに水飴をかけ、固めたお菓子)を片手に北京の街中をくぐり抜ける情景。19年に及ぶ北京生活は、東京から来た幼い子供を生粋の北京人へと成長させた。

2000年夏、5歳だった私は両親の仕事の都合で、中国・北京に移住した。幼いながら、テレビで見たことのある天安門広場と、人々が自転車でせわしなく行き交う「だだっ広くて、平べったい」中国のイメージが刷り込まれていたため、東京と大して変わらない風景に驚いたことを覚えている。家の窓からは、高層ビル群や高速道路が見え、北京は大都会だと知った。

移住の翌年の2001年、北京は2008年夏季五輪開催地に決定し、WTO(世界貿易機関、World Trade Organization)への加盟も果たした。そこから、「中国の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げ、北京の都市景観はさらなる変貌を遂げた。特に北京五輪前後は、国全体が活気に溢れ、経済成長が加速し、国際社会の一員として日に日に存在感が増していくのを実感できた。日本のバブル景気後に生まれた私にとっては、貴重な経験となった。

北京での生活が長くなるにつれ、私はすっかり北京での暮らしに馴染み、北京人へと成長していった。大好物は「鹵煮火焼」(ルージューフォーシャオ、北京名物の醤油ベースの豚のモツ煮)や、「北冰洋」(ベイビンヤン、子どもからお年寄りまでみんな大好きな炭酸飲料)、巻き舌音が特徴的な「北京話」と呼ばれる方言もすっかり板についた。

夏になれば「大紅果」(ダーホングォ、サンザシ味のアイスキャンデー)をかじり、レトロな街並みが人気の「南鑼鼓巷」(ナンルォグーシャン、北京市東城区にある街)へと繰り出した。冬には分厚い氷がはる「後海」(ホウハイ、北京市西城区の湖)の天然のスケートリンクで遊ぶのが楽しみだった。気が付けば、北京が大好き、中国という国も好きになっていた。

「外国人」であるという現実

もちろん、「外国人」である現実を突きつけられることもたびたびあった。日本で暮らした時間よりも、北京での生活が圧倒的に長くなり、現地の人と同じ言語を話していても、偏見や差別を逃れることはできない。

高校時代、同じクラスの友人と日本語でおしゃべりしながら買い物をしていた時のこと、通りすがりの店の店員から、「日本鬼子」(日本人の蔑称)と呼ばれことがあった。店員には大して悪意はなかったのかもしれないが、私も友人も長く北京で暮らしていただけに、心に刺さるような出来事だった。逆に、日本に帰国すると、今度はただの一学生なのに、中国への批判や差別を一身に受けなければならないこともあった。

そんな時、私は解決に乗り出すよりも、とりあえず、問題回避することを決め込んだ。アイデンティティに関する機微に触れる質問に対しては、曖昧に答えることにしていた。一方は自分の祖国であり、もう一方は自分の故郷。どちらも、自分にとっては重く大切な存在なのだ。大学に進学後も、「自分たちはどこから来て、どこへ行くのか」という問いに、悶々とし、心の渦が鎮まることのない日々を過ごしていた。

今思えば、これらの疑問も全く無意味なものだった。アイデンティティというのは現代社会の産物であり、重要なのは自分が社会で生活している中で、これらの事象をどう捉えるかということなのだ。

中国のリアルを伝えることこそ我が使命

大学院進学後は、アイデンティティに悩むことは少なくなり、それと同時に自分の中である重要な決断を下すことができた。それは、“日中交流事業”に携わることだった。悩んでいるよりも、行動することで、自分が理想とする方向に導いていけばいい――そんなふうに考えられるようになった。そのためには、中国のリアルな姿を文字で伝えること、そして、何よりも、実際に中国を訪れ、体感してもらうことこそが相互理解に役立つと考えた。

日本と中国は経済的な結びつきを強め、お互いにとって欠くことのできない存在となっているのに、歴史的・心理的な溝は完全には埋めることができてない。地理的にも、文化的にも最も近しい国であるのに、どこか遠い存在なのだ。

今では街には最先端のテクノロジーがあふれ、キャッシュレスが浸透してもはや財布を必要としない中国国民。深センや中関村を中心に日々生み出される新しい技術やアイデア。毎日とまではいかないが、青空が増えてきた北京。必ずしも“嫌日”一辺倒ではなく、日本への旅行をきっかけに日本を好きになった人や、日本文化をこよなく愛する人も少なくない。

どれほどの日本人が、こうした中国の今の真実の姿を知り、向き合っているのだろうか。改革開放時に、日本と中国の国交正常化に尽力してきた人たちはとうの昔に第一線から退き、これからの「日中新時代」を築き上げるのは、今を生きる私たち世代の使命だと思う。

精華大学大学院の卒業式。右から3番目が筆者
清華大学大学院の卒業式。右から3番目が筆者

高校生が中国を訪問するサマープログラムを企画

大学院在学中の2018年、大切な友人である伊藤誠、有満勇人と共に、日本の高校生にリアルな中国を体験してもらうサマープログラムを提供する団体「Dot STATION」を設立した。高校生を中国に招き、「偏見のない目で中国を見る、中国で自分の力を伸ばす、そのためのキッカケを作る」ことが目的だ。団体名は、学生一人ひとりの点(Dot)と点を結び、出発させるプラットフォーム(STATION)にしたいとの思いを込めた。

プログラムには2018、19年の2回で23人の高校生が参加。高校で米国、カナダ、英国などへの留学を経験した学生も多く、世界経済のけん引役となりつつある中国を自分の目で確かめようという好奇心と問題意識に満ちていた。プログラムに参加したことがきっかけとなって、中国の大学へ進学した学生もいる。

日本のメディアではあまり報じられることのない等身大の中国を体験できるよう、「テクノロジー」「起業」「政策」を軸にプログラムを構成。参加者一人ひとりの興味・関心に合わせて、私たち3人の母校である清華大学の研究室などにアポを取り、訪問するオーダーメイド対応もした。

動画サイト「TikTok」で日本の若者にもおなじみの世界最大のユニコーン企業・バイトダンス本社の訪問や、起業家との交流会も開催。在中日本国大使館では、現役の外交官から、日本から見る中国ではなく、中国側から見る日中外交について話をしてもらい、別視点から物事を考える学びとなった。

実は、渡航前には、「大気汚染」「食品偽装」など新聞やテレビの中国報道を見て、悪いイメージを持っていたが参加者も少なからずいた。しかし、プログラムを通じて今まで知らなかった中国の別の一面に触れ、中国への印象を大きく変えるきっかけになったようだ。

私たち自身も「学生」という立場で団体を設立し、広報活動や企業などへのアポイントメント取りなど苦労しながら、プログラム構成を考えた。資金集めのため、クラウドファンディングにも挑戦した。それでも、日本と中国の相互理解を深めたいという熱い思いに共感して、多くの方の支援を得ることができた。何より、たった1週間のプログラムだが、参加者が自分の目で見て、多くのことを感じ成長しているのを実感できたことが何よりの収穫だった。

第1回目の2018年プログラムに参加した高校生が大学へと進学し、2020年第3期目を迎えるDotSTATIONの運営の担い手となっている。設立メンバー3人の思いは、着実に、後輩たちに受け継がれている。

東京で働きながら、懐かしき中国を思う

卒業の間際の2019年春から、日経クロストレンドで中国の若者のトレンドや最新ビジネス事情について記事を連載する機会をもらった。それがきっかけとなって、書籍の執筆依頼を受けた。それが2020年3月1日に上梓した「清華大生が見た最先端社会、中国のリアル」だ。日本人学生の視点で、現代中国の発展ぶりを描き、これからの中国をけん引する若者にスポットライトを当てた。今の中国のリアルな姿を理解することで、日本の若い世代、中国についての思い込みを改め、新たな選択肢を提示したいという思いで、本書を執筆した。

2020年3月に上梓した書籍。新聞やテレビではあまり報じられていない今の中国の姿をリポートしている
2020年3月に上梓した書籍。新聞やテレビではあまり報じられていない今の中国の姿をリポートしている

日中両国は、争うことによってではなく、協力し、協調することで、共に成長することができる―そのことを最も伝えたかった。

2019年7月に卒業後、私は日本へと本帰国し、日本の政府機関で日中を繋げる事業に携わっている。その中でも、やはり故郷・中国を思う気持ちは変わらない。まさに南朝梁の詩人、何遜が詠んだ詩“春色辺城動、客思故郷来”(城に春の訪れがやってきた時、客人は故郷を恋しくなる)のように、東京の街並みを歩きながら、“桜花春意濃、牡丹香四海”(春の訪れと共に、桜の花舞い散る中、牡丹の香りがどことなく漂い、故郷を思い出す)と故郷を思いながら、一句詠んだ。

2019年10月から日本の政府機関に就職。中国要人が来日した際の会議で通訳を務めた
2019年10月から日本の政府機関に就職。中国要人が来日した際の会議で通訳を務めた

科学技術振興機構「客観日本」より

バナー写真 : Dot STATION のサマープログラムに参加した高校生と清華大キャンパスで記念撮影、後列中央で大きく両手を広げているのが筆者(バナー、文中写真のいずれも筆者提供)

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