守れないルールに縛られる日本人

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日本人が規律正しい国民性であることは世界に知られているし、日本人もそのことを誇りに思っているようなフシもある。しかし、中には「いったい何のために?」というおかしなルールも少なくない。日本に暮らす日中翻訳のエクスパートから見た、ルールに縛られすぎている日本人。

ドレス・コードならぬ “マスク・コード”

コロナ禍のために、今や、マスクなしではどこにも出かけることができなくなった。最初は白の不織布のマスク一択だったが、「生活必需品」となったことで、素材や色・柄のバリエーションが増えて、洋服とのコーデを楽しむ人もいる。

ところが、「仕事の時には黒などのダーク系の色マスクは禁止」とか「葬儀に出席する時には黒マスクでなければならない」などといった「マスク・コード」を言い出す人が現れて、ネットで炎上騒動となった。

実際にマスクについてのルールを決めた企業もあったようで、内心は「マスクぐらい好きにさせてよ」と思いながらも、上司の顔色をうかがって、表面的には従うという話も聞く。まだ、マスクが品薄だった4月に「マスクは白のみ」と校則で決めた学校もあったそうだ。母親が苦労して作った手作りマスクまで禁止され、わざわざ値段のつり上がったマスクを買わなければならなかったのはお気の毒なこと。

日本人は「上司や会社にそむいてはいけない」という強迫観念があるのか、上司の意向に合わせたマスクを選ぶような例はいくらでもある。

緊急事態宣言中で飲食店の営業時間が制限されていた時期のこと。居酒屋で「緊急事態が明けたら、思う存分飲めますね?」とテレビのリポーターに尋ねられた客が、「どうなんでしょう?上司から居酒屋は感染リスクが高いと言われたら、遅くまで飲んでいるわけにはいかないですよね」と答えていた。

日本企業の管理職世代は、朝から晩まで働きづめが当たり前で、家には居場所がなく、会社にこそ自身の存在意義があると考えるワーカホリックな人が多い。だから、政府が推奨するテレワークにも大反対。日本人の友人は、緊急事態宣言中でもそんな上司から出社を強要されたと愚痴をこぼしていた。

オフの時までルールで縛られたくない!

とある日本旅館に泊まった時、チェックインカウンターのところにきれいに畳んだ色とりどりの浴衣が積んであった。宿泊客は自分の好きな色柄を選べるようになっていて、私は「これこそ、日本のおもてなし!」とウキウキした。フロント係の女性は何かの本を暗唱するかのように館内ルールを説明していたが、私はどの浴衣にしようかあれこれ見比べていてほとんど上の空だった。部屋のテーブルにも館内ルールの説明が置いてあったので、目を通してみると、チェックイン・アウトの時間や禁煙などについての一般的なことが書いてあるだけで、わざわざフロントで読み上げる必要があるのかと疑問に思ってしまった。

館内ルールで唯一、気になったのが「旅館内で行動する時には浴衣とスリッパ着用のこと」と書かれていたことだ。浴衣を選んだ時のウキウキした気分が一気に冷めてしまった。会社には一定の決まり事が必要だと思うが、オフの時にまでいちいち決められるのはガッカリだ。朝食の時に、本当に宿泊客が、規則通りに浴衣を着ているのか観察してみると、初日の金曜日はやや年配の人が多かったこともあり、皆、浴衣姿だった。私も、空気を読んで浴衣を着ていた。ところが土曜日、日曜日になると、Tシャツなどカジュアルな服装の人も多く、ホテルのスタッフも注意をせずに見て見ぬふり。だったら、そんなルールはなくしてしまえばいいのに…。

ヨーロッパで休暇を過ごした時に、日本の旅行会社が主催する現地ツアーに参加した。朝から晩までの長時間のコースだったが、充実した内容で非常に楽しく、ガイドさんと現地の年配のドライバーさんには心から感謝していた。ところが、ツアーの最後のホテルに戻る直前、ガイドさんが「降りる時には運転手さんにお礼を言って下さい。きっと彼は喜びます」というのだ。お礼は感謝の気持ちがあって自分から言うものであり、人から指図されて言うものではない。一瞬、私は理解できず、同行していた日本人に「このガイドは人をばかにしているの?」と聞いてしまった。すると彼女は、「会社のマニュアルにそう書いてあるのでしょう。マニュアルを守らなければ、職務怠慢になっちゃうからね」と冷めたように言っていた。

日本人だってヘンなルールにはウンザリしている

日本では、どんな小さなことにもマニュアルがある。マニュアル通りにしておけば効率は上がるし、一定の品質は保てる。でも、決まり事があまりにも多すぎるのはどうかと思う。

「いったいなんのため?」と言いたくなるような、全国各地の意味不明な校則を集め、イラスト入りで皮肉まじりに解説している『ヘンな校則』という本が秀逸だ。ある学校には「毎日楽しいイベントの気分で登校しましょう」という校則があり、イラストでは生徒が「先生、お菓子持って行っていいですかー?」と質問している。別の学校の「先生が教室に入る時には拍手で迎える」との決まりについては、「先生、拍手してあげるから、小テストの回数は減らして下さい」と生徒が言い返すコメントが添えられていた。日本人だってヘンなルールにはウンザリしているのだろう。

「おかしい」と思うのなら、そんなルールはなくせばいいのに、どうしてそのままにしておくのだろう。年功序列制度は崩壊しつつあるが、前例を踏襲しないことには抵抗感があり、上司や先輩が作ったルールを変えるのは容易ではないということなのか。

長年の決まり事を変えるには莫大なエネルギーが必要で、ある程度の覚悟がなければ、「まぁ、このまま我慢しておけばいいか」と流されてしまいがちだ。もちろん、勇気をもって改革する人もいる。東京のある中学校の校長は、就任後に校則を全廃して大きな議論を巻き起こした。校則の廃止は決して放任を意味するのではない。規則に従う人間をつくるのではなく、人格や個性、多様性を尊重し、自立した人間を育てる教育をするという覚悟だったのだ。

規則でがんじがらめにすれば、個人の主体性は制限されてしまう。個人の自由や個性が重んじられる社会がよい社会であるとすれば、時代遅れのルールはやがては淘汰されていくでしょう。

(原文は中国語)

バナー写真 : PIXTA

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