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伝説のジャズ喫茶「ベイシー」を映画館で体感 星野哲也監督が記録した音、空間、時代、人

Cinema 音楽

映画『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』は、半世紀にわたって世界中からジャズ信者たちが「巡礼」に訪れる聖地「ベイシー」と、そのマスター菅原正二氏の記録。星野哲也監督が追求した音の世界と魅力、困難な作業に挑んだ決意について聞いた。

ジャズ喫茶ベイシーへの旅

はじめに音ありき。そんな言葉が浮かぶ音楽と映像の叙事詩の舞台は、岩手県一関市にある「ベイシー」。早稲田大学のビッグバンド「ハイソサエティ・オーケストラ」出身の菅原正二氏が1970年、郷里に帰り、実家の土蔵を改装して開いたジャズ喫茶だ。名前は、ジャズファンなら誰もが知るピアノ奏者であり、ビッグバンドを率いたカウント・ベイシー(1904-1984)に由来する。

ジャズ喫茶ベイシー ©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ
ジャズ喫茶ベイシー ©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

その世界的なジャズマンが、自分の名を冠した店があると聞きつけてやってきたという。名前だけでは、東京から400キロ以上も離れた東北の小さな都市に、わざわざ足を運ぶこともなかったろう。そこにはプロをうならす圧倒的な音があったのだ。菅原氏はカウント・ベイシー本人から「Swifty」のニックネームを頂戴した。

その名店も今年で50年。星野監督は「いつまでもあると思ってはいけない、記録として残しておかなければ」と感じていた。

「まず音ですね。ベイシーの音は絶対に残しておきたいと。だからこの映画は、音を『録る』っていうところから始めたんですよ。あの音をつかまえるのは本当に厄介な作業だったんですが、録音部が発情して(笑)、張り切ってくれて。ニセモノにはしたくないという思いがあったからね」

マスターの菅原氏がこだわり抜いたオーディオシステムから生まれるベイシーの音を感じてほしい。そんな監督の意気込みが、映画の冒頭から伝わってくる。真っ暗なスクリーンに大音量で流れるのは、『雷鳴下の蒸気機関車』。ジャズではない。1961年に米ミシシッピー州の鉄道で録音されたドキュメンタリー音源で、文字通り雷雨のなか蒸気機関車が疾走する轟音を収録したものだ。このレコードを持ち込んでベイシーの装置で再生し、ビンテージマイクで録音したという。

「何よりベイシーの音がデカいってことに気付いてもらわないといけない。大きい音なのに心地よい、そういうセッティングにしてありますからね。冒頭でお決まりのまったりしたジャズを流す感じは嫌だったんですよ。まず映像なしに、聴覚をドーンと圧倒したかった。ベイシーは遠くにある、遠くに行かないと聴けないんだ、というのを説明調にしないで観客に体感してもらおうと。蒸気機関車の音で時間も空間も超え、気が付いたらベイシーの中にいるというイメージなんです」

巨大スピーカーが鎮座するベイシーの店内 ©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ
巨大スピーカーが鎮座するベイシーの店内 ©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

マスター菅原正二を追いかける

ジャズ喫茶は、生演奏でなくレコードでジャズを聴かせるという、日本で独自に発展した形態の店だ。1950年代に生まれ、60年代に隆盛をきわめた。その後はやや下降気味になるとはいえ、閉じる店もあれば、新たに始める店もあり、いまもなお全国におよそ600軒を数えるという。

老舗と呼ばれる名店の中でも、ベイシーは唯一無二の音響体験ができる店として、ジャズファンの間で語り継がれてきた。その空間ならではの音の迫力もさることながら、それを作り上げた菅原氏の強烈な個性に魅了されて通うようになった人も多いと聞く。

中学生でマイルス・デイヴィスのレコードを買い、ジャズとともにオーディオの世界にも夢中になった星野監督もその一人だ。菅原氏がオーディオ誌「ステレオサウンド」に連載するコラムを少年時代から熱心に読んで過ごしながらも、ベイシーに足を踏み入れたのは30を過ぎてから。知人を通じて、ようやく本人に会うことが叶ったのだった。

星野哲也監督は1965年、福岡県北九州市生まれ。86年に上京して以来、飲食業に携わる。『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』が初監督作品
星野哲也監督は1965年、福岡県北九州市生まれ。86年に上京して以来、飲食業に携わる。『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』が初監督作品

「菅原さんは僕にとって富士山みたいな人。とてつもなく大きな存在で、おいそれとは近づけなかった。本気でやっている人だから、見透かされているような気がして、畏怖の念があるんですよ。僕は元々モダンジャズの方に傾倒していたので、ビッグバンドってあまりよく分かってなかった。でも初めてベイシーでビッグバンドを大音量で聴いたとき、のけ反りましたね。ものすごい分厚い音でね。ちゃんと一つ一つの楽器が聞こえる。こういう音ってあるんだなあって」

菅原氏は単なるオーディオマニアとは一線を画す、音に対する独特の感性と、それを表す言葉を持つ。大音量の向こうに「滝の裏側」の静寂を聴き取るような人だ。また普通の店なら、雑音の元として嫌われそうなドラムセットを店内に平気で置いてしまう。シンバルと低音から高音までのドラムの皮がすべて共鳴すれば、邪魔にならないというのだ。静まり返った空間でジャズを聴いても、心に響く音にはならないということだろう。

©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ
©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

飄々(ひょうひょう)とした語り口から、時として人の世の真理を突くような深遠な言葉がいくつも生まれる。文筆家・菅原正二のオーディオやジャズをめぐるエッセイは、一流の文明批評になっており、人生の指南書としても読むことができる。

「菅原さんが著書に書いているような話を本人にしゃべってもらって、それを拾っていこうと思っていたんです。ところが思うようにいかない。期待するとあまり話してくれる人じゃないんでね。こっちが無防備な状態でいるときに、初めて核心を突いたことを言う人だから。何度も仕掛けましたよ。こう言ってほしいんだろうと、向こうは分かっていて、言わないんです」

会話にもジャズのような駆け引きがあるのだろう。呼吸が合わないとノリは生まれないのだ。

「菅原さんは店の中での佇まいや動きも、絵になっているよね。見られているのを意識しているところは確実にあるんじゃないかな。だから撮影隊が入ると、どうしても構えちゃうし、店も死んじゃうんです。やっぱりお客さんがいて、タバコの煙が流れて、お湯が沸いて、電話が鳴って、そういうものが混在した空間がベイシーなんですよ」

©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ
©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

星野監督はある時から、撮影、照明、録音のクルーを店に入れるのをやめ、コンパクトな機材を持って単身で乗り込み、菅原氏に対峙した。

「一人で行って、僕がオブジェのような、空気のような存在になってから、菅原さんもやっとスポーンと本音を言ってくれるようになる。でも、それだけだとホームムービーになっちゃうので、やっぱり撮影部がビシッと撮った映像も使っていますけどね」

時には、電話の声を拾うことさえあった。

「電話が一番、本音でしゃべってくれるんですよ。古臭いのは嫌いだ、ヒップホップの連中をリスペクトしているとかね。ジャズ喫茶のマスターからは、なかなか聞けない言葉ですよ。昔はよかった、という話になっていかないんですね。気に入った機材をずっと使っているだけで、自分の音は決して古臭くないんだと確信していますから」

ジャズを知るのではなく、感じてもらうために

星野監督は菅原氏の語りを中心に、彼の周辺に集うミュージシャンや文化人の話を織り交ぜながら、音楽や音響の世界を掘り下げていく。そしてその合間には、蓄音機やバイオリンの名器ストラディバリウスが鳴らす音の秘密を探ったり、世界的マエストロ・小澤征爾を引っ張り出してジャズを語らせたりする。音の神秘をどこまでも探究していきながら、行き着くのは常に偉大な名匠たちへの驚嘆だ。

「映画を作りながら、オーネット・コールマンの言葉が頭に残っていました。ジャズメンに聴衆が期待しているのは人間のクオリティなんだと。だから単に音だけではダメだ、人間のクオリティを描かなきゃ、と思っていましたね」

もちろん、ジャズの名手たちによる演奏シーンも見どころだ。その中にはフリージャズのアルトサックス奏者、阿部薫の貴重な映像も含まれる。ベイシーで演奏してからほどなくして1978年に29歳で夭逝した天才が、空から舞い降りて現代の新宿の雑踏を歩いているような、音と映像のオーバーラップが心に突き刺さる。

©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ
©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

星野監督はオーディオとカメラに造詣が深いが、実は飲食業が専門。自身でもバーを経営し、夜の東京で長年にわたり一流の遊び人たちと交流を深めてきた。

「無責任に生きてきましたからね(笑)、監督をしようなんて、これっぽっちも考えてなかったですよ。たくさんの人に支えられて、こうして映画が完成したんです。映画の中で、菅原さんもいろんな人にひれ伏している、と言ってましたよね。孤高の人じゃないんだ、やっぱりただ者じゃないなと思いましたね。自分がこれだけの装置をそろえたのがすごいんじゃない、ミュージシャンの演奏がすごいんだ、ってことを常に言う。それだけでなく、レコードを作った人たちがいるから音楽が聴けるんだと。カッティングした人から盤をスリーブに入れる人まで含めてね」

©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ
©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

だからこそ菅原氏は、単なるBGMとして薄っぺらな音でジャズを流す昨今の傾向を嫌悪し、演奏の臨場感を徹底的に追求し続けるのだろう。

近年のジャズをめぐる状況が芳しいとはいえない中、星野監督を感動させる出来事もあったという。ジャズを題材にした漫画『BLUE GIANT』(石塚真一・作)のイベントが開かれた、東京・南青山のジャズクラブ「ブルーノート東京」でのことだ。

「オーディションを勝ち抜いた高校生バンドが前座で出て、聴衆も若者ばかり。すごい熱気で、『やっとこの日が来たか!』と感激したんですよ。これまでは、おじさんたちが偉そうにふんぞり返って、お前らにはわかるまい的な雰囲気があって、ジャズをとっつきにくくしてきましたからね。若い人たちにも、興味を持ってもらえさえすれば、扉は開くんじゃないかな。いまの時代、便利さが優先されてますけど、何かに興味を持って、感動することが大事だと思うんです。一つのことを長くやる、本気でやってみる、心の底から感動する、そういうことの大事さをこの映画に込めたつもりです」

インタビュー撮影=花井 智子
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)

©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ
©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

作品情報

  • 監督:星野 哲也 
  • 編集:田口 拓也
  • 出演:菅原 正二、島地 勝彦、厚木 繁伸、村上“ポンタ”秀一、坂田 明、ペーター・ブロッツマン、阿部 薫、中平 穂積、安藤 吉英、磯貝 建文、小澤 征爾、豊嶋 泰嗣、中村 誠一、安藤 忠雄、鈴木 京香、エルヴィン・ジョーンズ、渡辺 貞夫(登場順)ほかジャズな人々
  • エグゼクティブプロデューサー:亀山 千広
  • プロデューサー:宮川 朋之 古郡 真也
  • 製作国:日本
  • 製作年2019年
  • 上映時間:104分
  • 配給:アップリンク
  • 公式サイト: https://www.uplink.co.jp/Basie/
  • アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺にて公開中、ほか全国順次公開

予告編

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