映画『ベル・エポックでもう一度』:「あの時のあの場所」へ、時間旅行が教えてくれること
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ぜいたくなオーダーメイドの時間旅行
フランス語で「美しき時代」を意味するベル・エポック。一般には、普仏戦争が終わってしばらく経った19世紀末から、第1次世界大戦が勃発するまでの平和と繁栄、進歩の時代を指す。この映画では、舞台となるカフェの名前だ。
主人公は60代後半のイラストレーター、ヴィクトル。かつては売れっ子だったが、頑固者で時代についていくのを拒み、仕事にあぶれて、妻マリアンヌからも愛想を尽かされている。そんな姿を見るに見かねた息子のマクシムは、父に「時間旅行」への招待状をプレゼントする。
これは、マクシムの友人、アントワーヌが興した独創的なビジネスで、自分が行きたい時代と場面を指定すると、映画の撮影現場さながらにセットを作り込んでキャストを配し、再現してくれるというサービス。富裕層向けの手の込んだ体験型エンターテインメントだ。
最初は気乗りしなかったヴィクトルだが、妻に家から追い出されてしまい、失われた時への旅を受け入れる。注文したのは1974年5月16日、リヨンにあるカフェ「ベル・エポック」の店内。自分が人生最大の恋と出会った時間と場所だ。
用意された当時流行の服に身を包み、一歩そこへ足を踏み入れると、事前に自作のイラストとともに伝えておいた思い出の場面が、実にリアルに再現されている。あの時のあの場所で、運命の女性との再会を果たしたヴィクトルは、次第に彼女と過ごす濃密な時間にのめり込んでいく......。
ドラッグに溺れた早熟の天才が映画監督に
監督は、これが2作目となる42歳のニコラ・ブドス。フランス人なら誰もが知る人気コメディアン、ギィ・ブドスを父に持つ。幼い頃、家のサロンには、伝説の女性歌手バルバラや、フランスきっての反逆的ミュージシャンとして知られたセルジュ・ゲンズブール、薬物中毒でスキャンダルの女王だった作家のフランソワーズ・サガンら、浮世離れしたスターたちが出入りしていたという。
10歳でたぐいまれな知能を持つ天才児と判定され、早くから文学書に親しんだニコラ。絵やピアノに加えて文章でも才能を発揮し、12歳で最初の戯曲を書いたが、学校から早々にドロップアウトするなど、規格外の若者に育った。ドラッグに溺れてうつに苦しみ、20歳の時には自殺を図ったこともあった。その状態から抜け出す力を与えたのは、文章を書くことだったという。
24歳で劇作家デビューし、やがて演出家、コラムニスト、作家、俳優として多才ぶりを発揮する。2017年には『ムッシュー・エ・マダム・アデルマン』(日本未公開)で映画監督に初挑戦。デビュー作にして監督・脚本・準主演の3役を務め、劇中の楽曲まで自ら手掛けた。この作品で主役を演じ、脚本を共同執筆したドリア・ティリエは、引き続き『ベル・エポックでもう一度』にも重要な役で出演している。公私にわたるパートナーだったが、本作公開前に破局を迎えたようだ。
才能あふれる自信家のブドスには、時に挑発的な言動もあり、フランス人の好き嫌いは分かれる。テレビの出演が増えた2013年には、雑誌の読者アンケートで「嫌いな人物」の14位(ヴォワシ誌)、「抱かれたい男」の5位(パリマッチ誌)に選ばれたこともあった。
フランス映画の大スターたちが競演
『ベル・エポックでもう一度』は2019年11月の第2週にフランスで公開され、その週の観客動員数で、4週連続トップを走っていた『ジョーカー』を抜く1位を記録した。ニコラ・ブドスの監督2作目というだけでは、ここまでの注目は集めなかったろう。最大の誘引力は、興味をそそられるストーリー設定と、ダニエル・オートゥイユとファニー・アルダンが熟年夫婦を演じるというキャスティングにあったに違いない。
フランスのトップ俳優であり続けるオートゥイユが、ヴィクトルというフランス人の多くが好みそうなキャラクターを演じる。古き良き時代の精神と手仕事を愛し、スマホやカーナビを毛嫌いし、利便性に飛びつく現代人の軽薄さを嗤(わら)う、信念と美学のアーティストだ。
一方の妻マリアンヌ役に、トリュフォーをはじめとする巨匠たちの数々の名作に出演してきた大女優アルダン。最新テクノロジーを味方に付け、今をさっそうと生きる精神分析医だ。後ろ向きの男たちを置き去りに数歩先を闊歩する、これもまた、フランスの女性たちから共感を呼びそうな自立したマダム像ではないか。
魔女のようなアルダンの怪演と、それに気圧されるオートゥイユの引き技が絡み合う、夫婦の緊迫した攻防が序盤の見どころだ。しかし、いくらひねくれているとはいえ、愛すべきところのある夫に妻が容赦なく浴びせる言葉や仕打ちは、笑ってしまうほどひどい(これぞフランス的コメディー)。観客は自然とヴィクトルに肩入れするようになる。居場所を失ったのを機に、思い切り羽を伸ばして過去へと飛び立つヴィクトルとともに、自由と解放の時間が始まる。
ヴィクトルの冒険と並行して、舞台裏にひそんで「時間旅行」を綿密に演出するアントワーヌの私生活も、物語の展開に入り込んでくる。彼は関係がうまくいかない恋人のマルゴを、ヴィクトルの「運命の女性」役に起用するのだ。アントワーヌを演じるのは、オートゥイユより2回り若い世代のトップ俳優、ギョーム・カネ。マルゴ役は前述した監督の元恋人、ドリア・ティリエだ。
アントワーヌは、ブドス監督の思いが乗り移ったかのように、マジックミラー越しに見るマルゴに夢中だ。マルゴはその視線を意識しながら、ヴィクトルを誘惑する。ヴィクトルは虚構であると知りながら、一瞬の夢に没入していく。こうして現実と虚構が、現在と過去が交差し、舞台の裏と表が転回しながら、新たな時が作り出される。ヴィクトル自身も含めた「時間旅行」の役者たちは、湧き上がる感情に揺さぶられ、用意されたシナリオを裏切り、物語を想定外の方向へと動かしていくのだ。
「あの時のあの場所」に戻れるとしたら? そんな楽しい空想から始まり、その幻が消えて現実に戻る。そのとき私たちは、ヴィクトルらとともに、ごく当たり前のことをしみじみとかみしめ、再び立ち上がるだろう。美しい過去は何度でも振り返ってみることはできるが、生きるのは今しかないんだと。
作品情報
- 監督・脚本・音楽:ニコラ・ブドス
- 出演:ダニエル・オートゥイユ、ギョーム・カネ、ドリア・ティリエ、ファニー・アルダン、ピエール・アルディティ、ドゥニ・ポダリデス
- 製作年:2019年
- 製作国:フランス
- 上映時間:115分
- 配給・宣伝:キノフィルムズ
- 公式サイト:https://www.lbe-movie.jp/
- 6月12日(土)、シネスイッチ銀座ほか公開