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阿部寛出演のマレーシア映画『夕霧花園』:日本の戦争はアジアにどう記憶されていくのか トム・リン監督に聞く

Cinema

阿部寛が、第二次世界大戦後のマレーシアで、スパイの嫌疑をかけられる日本人庭師を演じた映画『夕霧花園』(ゆうぎりかえん)。日本軍の占領下で兵士たちによって心と体に深い傷を負わされた女性が、複雑な感情に引き裂かれながら、仇敵と思われた日本人を愛してしまう。戦争の加害と「ゆるし」について、新たな視点で描き出した台湾のトム・リン監督にオンラインでインタビューした。

トム・リン(林書宇) Tom LIN

1976年、台湾生まれ。世新大学で映画を学んだ後、カリフォルニア芸術大学院に留学。2005年の短編映画『海岸巡視兵(原題:海巡尖兵)』で国内の映画賞を数々受賞した。08年、初の長編映画『九月に降る風(原題:九降風)』は台北電影賞の審査員特別賞、金馬奨ではオリジナル脚本賞を受賞。11年には台湾でベストセラーを記録した絵本『星空』を映画化し、高い評価を受けた。16年の『百日告別』は、2015年の台北電影節のクロージング作品として上映され、金馬奨ではオリジナル脚本賞にノミネートされた。

『夕霧花園』は、マレーシア人の作家タン・トゥアンエンがブッカー賞にノミネートされた小説『The Garden of Evening Mists』が原作。台湾のトム・リン監督が映画化した。物語はマレーシアを舞台に、第二次世界大戦中、戦後の1950年代、そして1980年代と3つの時間軸を往き来しながら展開する。

主人公は、マレーシア史上2人目の女性裁判官となったユンリン。順調にキャリアを積み、連邦裁判所判事のポストを手に入れようとしていた。ところが、およそ30年前の交遊関係のせいで、その前途に暗雲が立ち込める。ユンリンはかつて、マレーシアのキャメロン高原にひっそりと暮らす中村有朋という日本人に造園の手ほどきを受けたことがあった。皇室に仕えた経歴を持つ庭師であった彼に、日本軍のスパイだった疑いが浮上したのだ。ユンリンはかつて有朋と一緒に働いた「夕霧花園」を再び訪れ、遠い記憶を呼び起こしながら、疑いを晴らすための証拠を集めていく。

およそ30年ぶりにキャメロン高原を訪れたユンリン(シルヴィア・チャン)を、父マグナスから土地を受け継いだフレドリックが迎える ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT  ALL RIGHTS RESERVED
およそ30年ぶりにキャメロン高原を訪れたユンリン(シルヴィア・チャン)を、父マグナスから土地を受け継いだフレデリックが迎える ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED

マレーシアの国土のうち、主要な部分を占めるマレー半島南部は、かつてポルトガル、オランダの植民地支配を受けた後、18世紀末からはイギリス領となり、「ブリティッシュ・マラヤ」と呼ばれた。太平洋戦争が開戦すると、2カ月で日本軍に占領され、終戦までその軍政下に置かれた。

ユンリンには戦争中、妹とともに日本軍に捕えられ、過酷な強制労働に苦しめられた過去があった。そのとき年若い妹は慰安所に連れて行かれ、日本兵の性奴隷にされた末、非業の死を遂げてしまう。妹を救い出せなかった無念は、戦後もユンリンの頭から消えることはなかった。

戦後、英領マラヤで戦犯法廷のアシスタントとして働くユンリン ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT  ALL RIGHTS RESERVED
戦後、英領マラヤで戦犯法廷のアシスタントとして働くユンリン ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED

有朋が造園を手掛ける「夕霧花園」の土地を所有するマグナスとその妻(中央)。息子フレドリック(左端)は訪ねてきたユンリンに一目ぼれする ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT  ALL RIGHTS RESERVED
有朋が造園を手掛ける「夕霧花園」の土地を所有するマグナスとその妻(中央)。息子フレデリック(左端)は訪ねてきたユンリンに一目ぼれする ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED

1950年代、再びイギリスの統治となったマラヤで戦犯法廷のアシスタントとして働くユンリンは、偶然手に取った戦犯除外リストの中に、中村有朋のファイルを見つけて彼の経歴に興味を抱く。亡き妹が果たせなかった日本庭園を造るという夢を、代わりに遂げたいという願いが湧き出したのだ。意を決してキャメロン高原に有朋を訪ねたユンリンだが、造園の依頼はすげなく断られる。しかし見習いとして庭造りを学ぶことは許された。有朋の厳しい指導の下、重労働に明け暮れるユンリン。日本人に対する複雑な思いを胸に秘めながら、寡黙で謎めいた有朋に惹かれていく......。

不愛想で理不尽な要求をする有朋(阿部寛)に最初は反発するユンリン。やがてその思考の奥深さに魅了されていく ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT  ALL RIGHTS RESERVED
不愛想で理不尽な要求をする有朋(阿部寛)に最初は反発するユンリン。やがてその思考の奥深さに魅了されていく ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED

庭造りに関する有朋の深遠な言葉には、つらい人生に処する叡智が込められていた ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT  ALL RIGHTS RESERVED
庭造りに関する有朋の深遠な言葉には、つらい人生に処する叡智が込められていた ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED

今の時代に過去の戦争を描く意味

戦時中から戦後にかけての歴史を背景に、不思議な運命が出会わせた男女。加害側の慙愧(ざんき)と被害者の遺恨を越えて2人をつなぐのは、日本庭園に込められた時間と空間をめぐる深遠な思想だ。その中には、不条理と残酷さに満ちた人生に、平安をもたらす秘密が隠れているのだった。そんな単純ならぬ心理劇に、かつて日本軍が東南アジアのどこかに財宝を隠したという伝説をめぐる、サスペンスの要素も絡んでくる。

こうした重層的な物語を、3つの時間軸を交差させながら、どのように描こうと考えたのか。トム・リン監督は脚本家と1年以上かけて検討を重ね、何度も練り直したという。

「原作に描かれたさまざまな要素を、たった2時間の映画の中に盛り込むのはとても難しい。しかも観客に分かるように描かねばなりません。マレーシアはさまざまな出身の人々で構成された社会です。その人たちに、複雑な時代背景や、登場人物たちの心情を理解してもらわなければならない。物語をどう展開させるか、非常に頭を使いました。特に大事だと考えたのは、ヒロインが何を求めているかでした。これを観客に理解させることができれば、ほかの要素もついてくるだろうと」

『夕霧花園』撮影中のトム・リン監督 ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT  ALL RIGHTS RESERVED
『夕霧花園』撮影中のトム・リン監督 ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED

マレーシアが外国に統治されていた時代を描く上で、マレーシア人でも、日本人でも、イギリス人でもなく、台湾人が監督したところにこの作品の特徴がある。ただし、映画化を企画したマレーシアの映画会社は、実はまず国内の制作チームにオファーを出したそうだ。しかし上がってきた脚本は、人物の描写に偏りがあったという。

「登場人物たちを対等に見ることができるという点で、台湾人である私が有利な立場にいたのは間違いありません。映画化が決まって、私たちは多くのマレーシア人に話を聞きました。戦争を経験した人々は当然、当時について良い思い出はありませんでした。台湾の場合と違い、日本のマレーシア統治は第二次大戦中のわずか数年間で、占領政策など何もなかった。だからマレーシア人にとって、この時代は嫌な思い出しかないんですね。しかし戦後、日本の文化に理解を深めていくと、矛盾した気持ちが生じてきたというんです。良い思い出はないが、日本の良いところにも気付いていったと」

抗日ゲリラ戦を戦ったマラヤ共産党が戦後、イギリスの統治に抵抗する武装闘争を展開 ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT  ALL RIGHTS RESERVED
抗日ゲリラ戦を戦ったマラヤ共産党が戦後、イギリスの統治に抵抗する武装闘争を展開 ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED

監督が原作を読んで強い印象を受けたのも、まさにこの点だった。戦争の忌まわしい記憶だけで、人々が長い年月をかけて築いてきた文化や伝統の価値まで否定することはできない。過去の戦争について描きながら、現代の人々にどんなメッセージを発するか、そこに表現者としての資質が問われるのだ。

「私の作品を観て嫌な気持ちになって帰ってほしくありません。だからといって、観客が良い人に同情し、悪い人を憎んで満足するだけのような、そんな映画を撮るわけにもいかない。過ぎ去った時代について、今この時代に描くべき意味は何かと考えました。人間は歴史というものを決して忘れてはいけない。でも同時に、歴史にこだわり過ぎて、進むべき方向を見誤ってもいけません。それには、自分の感情を乗り越えなければならない。憎しみや恨みではなく、相手を受け入れ、ゆるすことです。登場人物たちは、時代に翻弄された人々です。どうにもならない状況に置かれながら、愛を通じて、互いに理解を深めていく。ここがとても重要なテーマです。だからこそ、これを映画化することに意味があると考えたのです」

日本兵の蛮行で身も心も傷ついたユンリンに対し、有朋は思いがけないこと提案する ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT  ALL RIGHTS RESERVED
日本兵の蛮行で身も心も傷ついたユンリンに対し、有朋は思いがけないこと提案する ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED

阿部寛という無二の存在

戦争という難しいテーマをめぐり熟慮を重ねたトム・リン監督だが、キャスティングは直感に任せたところがあったようだ。中村有朋役については、真っ先に阿部寛を思いつき、「ダメもと」でオファーを出したという。

「以前から、私は阿部寛さんの大ファンでした。彼の出演したテレビドラマや映画をたくさん観てきて、大好きな俳優だったんです。映画の話が来て、原作を読んでみると、中村有朋という人物は、日本人男性としてはかなり独特な印象でした。阿部寛さんも日本人の俳優の中で、身長や体型、顔立ちなど、とても独特じゃないですか。彼が英語を話せるか、受けてくれるかは分からないけど、とにかくオファーしてみようと。そうしたら検討してくれて、OKをもらえました。私たちにとって、とても光栄で、ラッキーでしたね」

監督の表情からは、この配役に対する満足と自信が十分に感じられたのだが、こちらがどう思うか、試すように逆質問された。寡黙で感情を表に出さず、孤独な影を感じさせ、ストイックに信念を貫く人物…。確かに、それを阿部寛ほどの重厚な存在感で体現できる日本人俳優は、ほかになかなか思いつかない。

「彼の演技にはいくつもの層があって、奥が深く、特に目で演技できるところが素晴らしい。コメディーを演じていても、ただおかしいだけでなく、悲しみも表現できる。そこが俳優としての魅力だと思います。他人との間にちょっと距離を保ちながらも、相手に安心感を抱いていることを感じさせる。そのあたりが今回の中村有朋にぴったりでした。私はこの映画で、人と人の間にさまざまな葛藤があったとしても、理解しようとする気持ちで乗り越えることができる、ということを伝えたかった。彼はそれを表現できる人でした」

中村有朋を演じた阿部寛の独特の存在感が際立つ ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT  ALL RIGHTS RESERVED
中村有朋を演じた阿部寛の独特の存在感が際立つ ©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED

取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)

©2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT  ALL RIGHTS RESERVED
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作品情報

  • 出演:リー・シンジエ、阿部 寛、シルヴィア・チャン、ジョン・ハナー、ジュリアン・サンズ、デビッド・オークス、タン・ケン・ファ、セレーヌ・リム
  • 監督:トム・リン
  • 脚本:リチャード・スミス
  • 原作:タン・トゥアンエン
  • 撮影:カルティク・ビジェイ
  • 美術:ペニー・ツァイ・ペイリン
  • 衣装:ニーナ・エドワーズ
  • 製作:Astro Shaw & HBO Asia
  • 製作年:2020年
  • 製作国:マレーシア
  • 上映時間:120分
  • 提供:マクザム、太秦 
  • 配給:太秦
  • 公式サイト:yuugiri-kaen.com
  • 7月24日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開

予告編

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