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アマゾンの秘境へ、太田光海が挑んだ新しい映像人類学の冒険 映画『カナルタ 螺旋状の夢』

Cinema 環境・自然・生物

かつての「首狩り族」が暮らすアマゾン熱帯雨林の村へ、日本人の人類学者が単身乗り込み、彼らと生活を共にしながら、日常の細部を映像に収め、異色のドキュメンタリーに仕上げた。「未開」というステレオタイプや「やらせ」を徹底的に排し、部族の「等身大の現在形」を記録した『カナルタ 螺旋(らせん)状の夢』。太田光海監督に話を聞いた。

太田 光海 OTA Akimi

1989年東京都生まれ。映像作家・文化人類学者。神戸大学国際文化学部を卒業後、フランス・パリに渡り、社会科学高等研究院(EHESS)で人類学の修士号を取得。同時期に共同通信パリ支局でカメラマン兼記者として活動した。英国マンチェスター大学グラナダ映像人類学センターに在籍中、アマゾン熱帯雨林の村に約1年間にわたり滞在し、成果を映像作品にまとめ博士号を取得。その初監督作『カナルタ 螺旋状の夢』が2021年10月2日より日本で劇場公開。

私たちは一人ひとり、課題を抱えて生きている。しかし日々それにかまけ、人類が力を合わせて取り組むべき喫緊の課題については、目を向けずに過ごしている。中でも最重要なのが地球環境だ。

北極圏の氷河、海洋のサンゴ礁、アマゾン川流域の熱帯雨林が危機に瀕していることが報じられ、私たちはこれが地球全体の問題であると知りながら、破滅がどこまで深刻に差し迫っているか、いまだ気付くことができずにいる。地理的に遠い地域だからこそ、リアルな映像を通じて現状を知ることがますます重要になってくる。

そんな中、アマゾンに暮らす人々に密着し、映像に記録した日本人がいる。映画『カナルタ 螺旋状の夢』の太田光海監督だ。エクアドル南部、かつて「首狩り族」と呼ばれて恐れられたシュアール族の村をたった1人で訪れ、1年以上にわたって生活を共にしながら撮影した。

村のリーダー的存在、セバスティアン・ツァマライン ©Akimi Ota
村のリーダー的存在、セバスティアン・ツァマライン ©Akimi Ota

しかしこれは、いわゆる「ネイチャードキュメンタリー」ではない。1人の研究者が自らの学問的関心に沿って発見していったものの記録であり、その考察を映像に練り上げた作品なのだ。かつてフランスの海洋学者であるジャック=イヴ・クストーが、のちに映画監督として名を馳せるルイ・マルと手を組んで深海の神秘に迫った『沈黙の世界』(1956)というドキュメンタリーがあったが、太田光海はこれを地上に置き換え、単独でやってのけたと言ってもいい。

東日本大震災の衝撃波

日本の大学で、文化一般を学問研究の対象とする「カルチュラル・スタディーズ」を専攻した太田は、卒業後フランス・パリに渡り、社会科学高等研究院(EHESS)で人類学の研究を進める。テーマは、フランス都市郊外とサッカーの関係。移民家庭出身の若者が、なぜサッカー選手を志すのか、郊外に共通するカルチャー的背景とともに探っていく研究だった。

その一方、芸術の都パリで写真文化に触れ、カメラを使って他者と向き合うアプローチに関心を抱く。共同通信パリ支局でカメラマン兼記者として働くうち、フォトジャーナリズムの道に進もうかと考えたこともあった。同時期にシネマテークに通い、過去の名作をはじめ、あらゆるジャンルの映像作品を「浴びるように」鑑賞したという。このように都市文化に親しんだ若い研究者の関心が、なぜアマゾンへと向かったのだろう。

「フランスで自分が外国人として暮らす中で、移民や少数者の疎外といった、社会における人と人の関係に焦点を当てて考えてきました。そのときに東日本大震災と福島第一原発事故が起こった。それ以降、人間同士のことをこれ以上調べても、限界があるような気がしてきてしまいました。それよりも人類が地球上で、人間以外の生物、もしくは生物でもないようなものと、どのような関係を結べるのかという可能性に、より興味が湧いてきました」

パリ、マンチェスターからアマゾンへ

人と自然の関係を考えるうち、人類学の巨人クロード・レヴィ=ストロースに師事したフィリップ・デスコーラの著作に刺激を受け、彼がフィールドワークを行ったアチュアル族らのいるアマゾンへと照準を定めていく。人類学と映像制作をクロスさせた世界でもユニークな研究機関、英国マンチェスター大学グラナダ映像人類学センターに籍を置き、アマゾンに滞在しての映像制作を博士号の研究とする計画を立てた。

「地球、自然との向き合い方を知るために、自給自足生活を送っている部族を研究したいという思いがありました。アマゾンを選んだのは、西洋によって最初に植民地化された土地の先住民を対象とすることで、人類史の深いところに到達できるような気がしたからです」

カナルタとは「よく眠り、夢を見て、真の意味で自分が何者かを知るべきとき」にシュアール族の人々が言う言葉 ©Akimi Ota
カナルタとは「よく眠り、夢を見て、真の意味で自分が何者かを知るべきとき」にシュアール族の人々が言う言葉 ©Akimi Ota

エクアドルでは、コーディネーターも付けず、現地で情報収集しながら、少ないツテを頼りにたどり着いたのが、シュアール族の村だ。アマゾン熱帯雨林の西端にあたる同国の南部、人口1万人ほどの小さな町から車で3時間くらいの奥地にある。そこで出会ったのが、映画の「主人公」となるセバスティアンとその妻パストーラ。村のリーダー的存在だ。

太田は彼らと慎重に対話を重ね、迎え入れられた。食事を共にし、「チチャ」という口噛み酒を飲み交わして信頼関係を築いていきながら、森で生きる術を教わり、集落の一員となって暮らす。いきなりカメラを回すなどということはせず、常にレンズを向けていたわけでもない。

セバスティアンの妻、パストーラ・タンチーマ。チチャづくりのため、茹でたイモを噛んでいる ©Akimi Ota
セバスティアンの妻、パストーラ・タンチーマ。チチャづくりのため、茹でたイモを噛んでいる ©Akimi Ota

「結局、カメラを回していたのは、合計で35時間だけ。撮っている瞬間に『これだ!』と思った場面は、後で見直しても映像に力が宿っていました。そういう柱となるシーンがいくつかあって、その前後に何を入れるか考えながら編集を進めました。おのずとテーマの1つになったのが、人間と植物の関係性です」

パストーラは茹でたイモからチチャをつくる。よく噛んでから吐き出したイモをまぜ、発酵させる根気のいる作業だ。男たちはこれを飲んで、仕事に精を出す。ヤシの葉を大量に刈り取って束ね、屋根をふいていく。シャーマンの家系であるセバスティアンは薬草を吟味し、村人の病気やケガの治療に用いる。

ヤシの葉を運ぶ男たち ©Akimi Ota
ヤシの葉を運ぶ男たち ©Akimi Ota

「描きたいものが初めから決まっていたわけではなくて、実際に暮らしてから見えてきました。人間も人間以外のものもフラットに共存している。人間が自然から奪うのでも、自然に翻弄されるのでもない。互いに影響し合い、流動的でもある関係です。よく言われる自然との共生といえばそれまでですが、もっとディテールに着目したかった」

太田の研究にとって、ディテールにこそ価値があり、それを描けるのが映画であると考えていた。カメラはこうして、森の生活のさまざまな場面を淡々ととらえていく。

「ディテールとは例えば、彼らが食べ物について、どんな言葉で語るかです。その日に何が食べたいとか、この食べ物はこんな味がするとか、この魚のこの部位が好きだとか。家族や友人と何気なく交わす、取るに足らない会話こそが重要だと考えました」

仕事をする男たち。チチャを飲んでは休み、軽口を叩き合う ©Akimi Ota
仕事をする男たち。チチャを飲んでは休み、軽口を叩き合う ©Akimi Ota

新しい人類学のアプローチを探る

全編を通じて草木の緑が色鮮やかだが、最新のドローン映像による雄大な美しい風景が出てくるわけではない。昭和のテレビ番組なら好んで取り上げそうな、いわゆる「未開民族」の儀式も登場しない。

「未開社会という視点では語り尽くされているし、80年代以降、人類学者の間でそのように人間を扱う視点は批判されてきました。人類学は儀礼とか神話体系を論じてきましたが、そのようにシステムを彼らの社会に投影して論じる態度は、“上から目線”ではないのかと。だから、それをいったん脇に置いて、もっと彼らの日常から出てくる言葉や、しぐさといった細かいことに目を向けてみよう。そういう意識で彼らと生活を共にしました」

実際のところ、いわゆる「儀式」は、太田が滞在する間、まったく行われなかったという。その代わり、セバスティアンが幻覚性の植物を服用して“ヴィジョン”を見るときに、それに類する「脱自」の体験が垣間見える。しかし彼は、それを明晰な言葉で語ってみせるのだ。

畑にふさわしい場所を探し歩き、近くの仲間を呼び集めるセバスティアン ©Akimi Ota
畑にふさわしい場所を探し歩き、近くの仲間を呼び集めるセバスティアン ©Akimi Ota

「僕が徹底的に意識したのは、彼らが素朴に発する言葉に耳を傾けよう、その姿を撮ろうということでした。儀礼的なことも、おそらく昔はもっと行われていたと思いますが、いまはそうではないんです。もし特別に依頼してやってくれたとしても、それは現在の等身大の彼らではない。一方で、セバスティアンがヴィジョンを語るシーン。あれはリアルだし、彼らの世界観が表れている。神話の世界が彼らの日常にとって、昔ほど重要性を持っていないかもしれない。でも彼がヴィジョンについて語る中に、神話的なエッセンスが息づいています。現代の文脈でそれを語る姿をそのまま見せたかった」

「なりたい自分」が見つからない人へ

マンチェスター大学で博士号を取得した後、ヨーロッパに残って、映像の道へ進むつもりでいたがコロナ禍で帰国を決意。およそ10年ぶりに日本での生活に戻った太田に、この映画が日本人に何を訴えかけられるか訊いてみた。

「日本も自然を切り崩して経済に利用することで災害に見舞われ、さまざまな危機を生み出してしまっていますよね。ですから、単純に自然が発している“コトバ”、そういう力をもう少しじっくり見つめ直してもいいんじゃないか。それはこの映画を通して伝えたいことで、鮮明に表れていると思います」

©Akimi Ota
©Akimi Ota

『カナルタ 螺旋状の夢』が映し出すセバスティアンとパストーラの言葉や身ぶり、まなざしは、日本人が失いつつある、植物と共に生きる知恵を思い出させてくれるだろう。それと同時に、今回彼らからの学びを世に伝えた太田光海という人物もまた、画面の外から強烈な存在感を放っている。自らの関心事を見定め、自らの意志で行動し、体験を通じて思考を重ね、作品という形にした太田の姿勢は、多くの若者に勇気と示唆を与えるに違いない。これからを生きる若い世代へのメッセージで結んでもらおう。

「徹底的に自分らしくあることを目指してほしいです。単純に将来どんな仕事がしたいかではなく、もっと深いところで、自分が存在している状態そのものにゆっくりと目を向けて、自分が自然体のまま生きたら何がしたくて何ができるか、根源的な自己と向き合ってほしい。同じように、いろいろなものをゼロ地点に戻し、まっさらにしてフラットな状態で見てみる。例えば、いま自分が向かっている机、その木材もどこかから切り倒されてきたものです。この世界を作り出している、さまざまな素材や、自分が吸っている空気、環境、そういうものと直(じか)の関係をすでに結んでいるんだ、ということに気付いてほしいですね」

インタビュー撮影=花井 智子
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)

©Akimi Ota
©Akimi Ota

作品情報

  • 監督・撮影・編集・録音・プロデューサー:太田光海
  • 出演:セバスティアン・ツァマライン、パストーラ・タンチーマ
  • 製作年:2020年
  • 製作国:日英合作
  • 上映時間:120分
  • 配給:トケスタジオ
  • 公式サイト:https://akimiota.net/Kanarta-1
  • 10月2日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー!

予告編

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