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短編小説を映画にするということ:『草の響き』斎藤久志監督に聞く、不遇の作家・佐藤泰志への思い

Cinema

北海道函館出身の作家、佐藤泰志の小説を映画化するシリーズ第5弾は、短編を原作とする『草の響き』。病んだ心を走ることで癒していく主人公を東出昌大が演じた。監督の斎藤久志に、「映画と時間」を中心に話を聞いた。

斎藤 久志 SAITO Hisashi

1959年生まれ。高校在学中より自主映画制作を始め、85年に『うしろあたま』がぴあフィルムフェスティバル入選。長谷川和彦氏に師事すると同時に『はいかぶり姫物語』を監督。92年、2時間ドラマ『最期のドライブ』(長崎俊一監督)で脚本家デビュー。Vシネマ『SMAP /はじめての夏』(93)、『夏の思い出〜異・常・快・楽・殺・人・者〜』(95)の監督を経て、97年に『フレンチドレッシング』で劇場監督デビュー。他の監督作に『サンデイ ドライブ』(98)、『いたいふたり』(2002)、『スーパーローテーション』(11)、『なにもこわいことはない』(13)、『空の瞳とカタツムリ』(18)など。『「物陰に足拍子」よりMIDORI』(廣木隆一監督、96)『カオス』(中田秀夫監督、00)など、脚本作も多数。

函館を舞台にした名シリーズ

『草の響き』は、作家・佐藤泰志が1979年に発表した同名の短編小説を映画化した作品だ。佐藤は5度にわたって芥川賞の候補に挙げられながら、いずれも落選の無念を味わい、90年に41歳で自ら命を絶った。

やがて作品はすべて絶版となったが、没後17年たった2007年にクレイン社より「佐藤泰志作品集」が刊行。この一冊の本が佐藤の郷里・函館でミニシアター「シネマアイリス」を営む菅原和博氏の手に渡り、遺作となった短編連作集『海炭市叙景』の映画化(熊切和嘉監督、2010)へとつながる。

その後、この「シネマアイリス企画」はシリーズ化し、『そこのみにて光輝く』(呉美保監督、13)、『オーバー・フェンス』(山下敦弘監督、16)、『きみの鳥はうたえる』(三宅唱監督、18)と相次いで佐藤泰志作品の映画化が実現していく。絶版となっていた小説集も、大手出版社から次々と復刊された。

今回、シリーズ第5弾となる『草の響き』で菅原プロデューサーから声を掛けられたのは、斎藤久志監督だ。

主演に東出昌大を迎え、『草の響き』の撮影に臨む斎藤久志監督(右端)© 2021 HAKODATE CINEMA IRIS
主演に東出昌大を迎え、『草の響き』の撮影に臨む斎藤久志監督(右端)© 2021 HAKODATE CINEMA IRIS

「なんで僕だったのかいまだに分からないですね。思い当たるのは大阪芸大出身だってことぐらいなんですが。過去4作品がすべて高評価を受けているのに僕でいいのかと。僕の映画って、今までお客さんが入っていないので(笑)、菅原さん大丈夫かなと。だから僕のテーマの最初は菅原さんに後悔させないってことでした」

心を病み、ひたすら走る男の話

東出昌大演じる主人公の和雄は、心を病んで仕事ができなくなり、精神科にかかって医師から走ることを勧められる。やがて無心で走るのに夢中になり、決まったコースの途中でたむろしている少年たちと、いつしか一緒に走って心を通わせるようになる…。

原作は文庫版60ページ余の短編で主人公は「彼」、名前すらない。三人称が用いられてはいるが、物語の語り手と「彼」はきわめて近い。精神科で治療を受け、ランニングを療法に取り入れたのは、佐藤泰志自身の体験に基づいている。

東京暮らしで心を病み函館に戻ってきた和雄(東出昌大)© 2021 HAKODATE CINEMA IRIS
東京暮らしで心を病み函館に戻ってきた和雄(東出昌大)© 2021 HAKODATE CINEMA IRIS

「短編だし、主人公のモノローグで書かれていてあまり話がないんですよ。ただ彼が走っている。これまで映画化された4作は、どれも中編から長編で、全部を映画に盛り込めないほど内容がある。『草の響き』はそこが違います。このシリーズは函館で撮るというのが条件なんですが、原作の舞台は八王子。ただ舞台を置き換えればいいというものでもない。田舎から東京に出てきて病んでいくという設定を、函館でそのまんまはできないなと。そこから考え始めました」

舞台を函館にすること以外に、菅原プロデューサーからの要望はただ一つ。「アメリカン・ニューシネマ」をイメージして、というものだった。過去4作は、監督の平均年齢が約37歳(公開時)と若いが、今回60代の齋藤監督に白羽の矢が立ったのは、そのあたりを肌の感覚で分かる人、ということだったのかもしれない。

「あとは監督の好きなように、と言われた。これは怖いですよ。むしろ、こうしてくれって言われる中で、プロデューサーと意見がぶつかり合う方がやりやすい。アメリカン・ニューシネマと言われても広いですよね。もっと具体的な発注があれば、それに向かって走るだけでいいわけですから」

妻に脚本の執筆を託す

斎藤監督は、入手できる佐藤の小説をすべて読んだ。その中からいくつかピックアップした作品を脚本の加瀬仁美にも読んでもらい、起伏の少ない物語をふくらませる参考にしてもらったという。加瀬と組むのは3度目だが、彼女と結婚してからは初になる。

「今回は商業映画で、普通ならこんなに自由に作れることはないんですよ。めったにない機会なので、また一緒にやってみようかなと。こういう話なので、客観的に女性の視点が入った方がいいだろうとも思ったし。妊娠中でつわりがひどかったので、さすがにすべて読むことはできないので、この話に参考になるであろうと『黄金の服』『大きなハードルと小さなハードル』『海炭市叙景』とかを読んでもらいました」

病気の和雄を支えながら心に寂しさを抱える妻・純子を奈緒が好演 © 2021 HAKODATE CINEMA IRIS
病気の和雄を支えながら心に寂しさを抱える妻・純子を奈緒が好演 © 2021 HAKODATE CINEMA IRIS

原作と大きく異なるのは、主人公に妻がいるという設定。妻・純子(奈緒)との関係が、和雄が再び立ち上がろうとする物語の一角に置かれることになる。

「最初のプロットの段階で妻は登場していましたね。狂っていく主人公の主観では映画として成立しにくく、客観的に彼を見る他者ということで妻になったんだと思います。それと、佐藤さん本人が自律神経失調症と診断されたときには奥さんがいた。そして長女が生まれ、就職が決まったタイミングで睡眠薬による最初の自殺未遂を起こして、函館に帰っている。それを参考にしました」

主人公と一緒に走る少年たちは、原作では「暴走族」。70年代にはよくいたが、現代の設定としては難しい。そこで原作にも登場するスケートボードを使い、スケボー少年の彰(Kaya)、友人の弘斗(林裕太)、その姉の恵美(三根有葵)という設定に変えられ、3人の輪郭もより細かく描き込まれた。

札幌から函館に引っ越してきた彰(Kaya、右)は、弘斗(林裕太)とその姉・恵美(三根有葵)と知り合う © 2021 HAKODATE CINEMA IRIS
札幌から函館に引っ越してきた彰(Kaya、右)は、弘斗(林裕太)とその姉・恵美(三根有葵)と知り合う © 2021 HAKODATE CINEMA IRIS

「初稿にはあったけど、なくなったシーン(彰のアパートが出てきて父と母が登場する)もあります。それを入れると、そのために家を借りなきゃいけない、配役を決めなきゃいけないということになってきますから、その分だけお金がかかるので断念した。それと、撮ったけど落としてしまったシーン(プールで恵美と彰と弘斗が3人でいるシーン)もあります。全部あればもう少し3人のドラマが見えていたかもしれませんが、結果的にはこれでよかったのかと」

映画にとって「適正な尺」とは?

短編小説の映画化というと、今年公開された濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』を思い出す。原作の村上春樹の同名小説は文庫版で約50ページ。それでも他の短編から要素を加えるなどして、通常の映画より長い、ほぼ3時間の作品になった。斎藤監督に、映画の長さ、いわゆる「尺」についても聞いてみた。

「脚本は200字詰め原稿用紙に書きます。それが1枚30秒と考えられている。つまり240枚あれば120分の映画になる。もちろん監督の撮り方次第で変わってくる。僕の撮り方だと、枚数に比べて普通よりも長くなりますね」

彰(右端)は転校先の学校で陰湿ないじめに遭う © 2021 HAKODATE CINEMA IRIS
彰(右端)は転校先の学校で陰湿ないじめに遭う © 2021 HAKODATE CINEMA IRIS

映画館が上映プログラムを組みやすいのは90分前後だろう。近年のハリウッド映画の主流は2時間だ。しかし中には、6時間超の作品をあえて世に問う監督も存在する。

「『草の響き』の脚本で想定されたのは90分前後でした。撮影したものを全部つないだら2時間を超えたので、どこを切ろうか考えて、結果116分になった。適正な尺というのは人によって全然違う。内容によると思うんです。4時間の映画にはおそらくその意味がある。編集段階で菅原プロデューサーからは2時間切ってくれと。鈴木(ゆたか)プロデューサーからは出来るだけ90分に近づけようと。その意見に僕も賛成だった。今まで作ってきた映画より入り口を広げることがテーマでもあったので。しかし最後の詰めでこれ以上切れなくなった。それが正しかったどうかは分からないですね。もうちょっと短かったら傑作になったという意見もありました」

映画における「時間」

ここからは、映画論の講義のように、具体的な作品を例に挙げながら解説が続く。映画の中の時間と観客が体験する時間がほぼ同じ『真昼の決闘』(フレッド・ジンネマン監督、1952)。ワンシーンワンカットの71の個々の時間の連なりで構成された『71フラグメンツ』(ミヒャエル・ハネケ監督、1994)…。

「映画というのは、時間なんですよ。2時間という尺の中で1日を描けるし、100年でも1万年でも飛べるんです。映画が小説と決定的に違うのは、1本の映画は時間の流れの連なりでできていて、観客がそれを体感するようになっている」

心の折れた和雄を友人の研二(大東駿介)が病院へ連れていく © 2021 HAKODATE CINEMA IRIS
心の折れた和雄を友人の研二(大東駿介)が病院へ連れていく © 2021 HAKODATE CINEMA IRIS

『草の響き』では、和雄の友人、研二(大東駿介)が冷えたメロンを手土産に家に訪ねてくるシーンがある。普通なら次の瞬間には、切ったメロンが出てきて食べているカットになってもおかしくないが、ここでは純子がメロンをキッチンに持って行き、切って皿にのせて持ってくるまでの時間が、そのまま和雄と研二の会話に使われている。

「例えば、あるワンシーンの中に、『喪服を脱いで私服に着替える』と台本のト書きに書かれていたとしたら、それは撮るんですよ。普通、ちゃんと服を着替えるのに5分くらいかかりますね。脚本を書いた人に聞くでしょう、『これは5分ここに尺を使うつもりで書いてるの?』って。だけど僕は書いてあれば、そのまま着替えを撮りますよ。だって書いてあるんだから。その5分を使う意味があるんだろうと理解する」

「普通なら、部屋に入ってきて、ふーっと息をついて、次の瞬間には着替え終わっていてもいいんですよ。それを脚本で書くときはシーン内に『×  ×  ×』と書いて表記する。そうすれば着替えている間は見せないということになる。でも着替えているときのしぐさや表情に、何か感情をのせるんだったら、そこを撮る必然が出てくる。一つの時間の連なりの中に何かをつかまえようとするのが映画の作業なんだと思います」

長回し、ロングショット、移動撮影

『草の響き』にはそのような長回しのシーンがいくつもある。

「あの時間が必要だったんですね。意味や物語だけで映画はできていないんですよ。東出の表情が時間を経て変わっていくことの方が、しゃべっているセリフの情報よりも、伝わるのが映画だと思っています。どうしてもそっちにウエイトを置きますね。例えば『アラビアのロレンス』(デヴィッド・リーン監督、1962)のトップシーン。ロレンスが砂漠の向こうから延々と近づいてくるのをただ見ている。その時間を体感することが、気持ちよかった。それが映画なんだって思った原体験があるので」

函館の広々とした景色を背景に、走る和雄をとらえたカメラの動きにも注目したい。

「これは走る映画なので、必然的に移動する。それがまず前提としてありますね。これまで僕は基本的にカメラを動かさないやり方で、カメラマンの石井(勲)さんとは何本も一緒に仕事をしていますけど、今回に関しては、そういう話し合いをした記憶もないですが、まあ動くだろうなと。ロングショットを使ったのは、顔の表情だけではなく、動きやその場所の空気感をどうやってつかまえるか、ということですね」

函館湾の人工島「緑の島」での撮影風景 © 2021 HAKODATE CINEMA IRIS
函館湾の人工島「緑の島」での撮影風景 © 2021 HAKODATE CINEMA IRIS

「映画って、すべてを監督が決めているわけではないんですよ。監督によって違うでしょうけど、僕の場合、カメラのサイズに関してはカメラマンが決めるんです。こういう画(え)を撮ってくれとは一言も言っていない。石井さんが選択した画ということです。現場でどう撮っているか、そこまでチェックしていませんよ。どう映っているかは、後で見ないと分からない。いい!って思うときと、えー?って思うとき、両方あります(笑)。何がいいのか、正直言うと、何年やっても分からないですね」

35年にわたり、映画を撮ってきた斎藤監督。男の主人公を描いたことがあまりなかったくらいで、これまでの作品づくりと大きく変わったところはないという。ただ、今回のような「完全合宿ロケ」は初めての経験だった。

「泊まり込みで撮影期間中ずっと家に帰らない、これはとてもいいですね。ずっと映画のことだけ考えていればいいからね。東京で撮っているときは、新宿で解散して電車乗って家に帰るわけですよ。それがホテルに帰って、飯食って寝りゃいい。朝起きたらまた飯食ってバスに乗れば、そのまま現場に行けますからね。これは楽でした」

東出昌大主演、『草の響き』の斎藤久志監督
東出昌大主演、『草の響き』の斎藤久志監督

佐藤泰志の「静まらない心」に向けて

この文中に名前を出した村上春樹と、佐藤泰志は同じ1949年生まれ。デビューの時期もほぼ同じだ。方や毎年ノーベル賞候補にも挙がる大作家、方や失意の先に死を選び、長い間忘れ去られた作家。毎日走っていたのも共通しているが、村上が規則正しく仕事をするためだったとしたら、佐藤は劇中の和雄のセリフの通り「狂わないように」走り続け、そして書き続けたのだろう。

「今回、佐藤さんの作品をこれだけ読んで、彼の人生についても調べましたから、思い入れは生まれてきますよね。奥さんと娘さんが試写に来てくださったんですけど、娘さんは終わった後、泣いていました。生前、佐藤さんと親交があった福間健二さんにも、よかったと言ってもらえた。この2人からの反応が何よりもうれしかったですね。自分がやりたいものを作るというよりは、佐藤さんに向かって作ったところはありましたから」

映画監督で詩人の福間は、佐藤泰志が死後忘れられてしまった間にも、地道な紹介を続けて、再評価に貢献した人物だ。原作の『草の響き』で唯一名前を持つ研二のモデルでもある。その福間をして、佐藤泰志が抱えていた「簡単には静まらない心」がこの映画によみがえっていると言わしめた。

映画で東出昌大演じる和雄は、研二や妻の純子に支えられながら、失った自信をどこまで取り戻せるのだろうか。走り続けることはできるのだろうか。

「東出が出ると言ってくれた瞬間に、映画が動き出した。彼にやってもらってよかったですね。単純にダメな男じゃなくて、女性に対する優しさを内面に持っていますから。寒い外から帰ってきて、身重の妻に足の爪を切ってと言われ、まずストーブで自分の手を温めてから足に触れるような気遣いができる男ですよ。あれは彼が勝手にやったんです。OKを出すかどうか迷いました。東出としては、全然自然な行動だと思いました。それをすんなり受け入れる奈緒も。だけど和雄としてこれはやっていいのかって。そうでありながら、結局は自分のことで精一杯、そういう男が和雄だと考えるとありなのかなと。その振幅は、東出だから成立しているところはありますね」

© 2021 HAKODATE CINEMA IRIS
© 2021 HAKODATE CINEMA IRIS

取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)

© 2021 HAKODATE CINEMA IRIS
© 2021 HAKODATE CINEMA IRIS

作品情報

  • 出演:東出 昌大、奈緒、大東 駿介、Kaya、林 裕太、三根 有葵、利重 剛、クノ 真季子、室井 滋
  • 監督:斎藤 久志
  • 脚本:加瀬 仁美
  • 撮影:石井 勲
  • プロデューサー:鈴木 ゆたか
  • 企画・製作・プロデュース:菅原 和博
  • 原作:佐藤 泰志 『草の響き』(『きみの鳥はうたえる』所収、河出文庫刊)
  • 配給:コピアポア・フィルム、函館シネマアイリス
  • 製作国:日本
  • 製作年:2021年
  • 上映時間:116分
  • 公式サイト:https://www.kusanohibiki.com/
  • 10月8日(金)より新宿武蔵野館・ヒューマントラストシネマ有楽町/渋谷ほか全国順次公開!

予告編

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