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香港映画の新たな方向を示す「本土」の物語、『最初の半歩』

Cinema 政治・外交

最近の傑作香港映画を紹介する「香港映画祭2021」が始まり、関西を皮切りに、名古屋、東京などで未公開作品を含む計4作(東京のみ7作を予定)が上映されている。大規模デモから国家安全維持法の導入まで、政治的な激動を経た香港。映画祭の上映作品の一つで、少年野球チームの伝説的活躍の実話をもとに制作された作品『最初の半歩』(原題:點五步)を紹介したい。

「香港のKANO」と呼ばれた作品

2016年に香港で制作された本作『最初の半歩』は、香港の学校で生まれた野球チームの物語だ。野球の経験がほとんどない落ちこぼれの学生たち10人が、野球を熱愛する校長の指導によって実力をつけ、香港の大会で「野球先進地」の米国人や日本人のチームとも互角に戦いながら、人生の転機をつかんでいく。

舞台は英中交渉で香港の返還が正式に決まった1980年代。大国の都合に翻弄される香港と、大人の都合に悩まされる若者たちの苦しみが重なる。それでも諦めずに新しい人生の一歩を踏み出そうとする若者たちは、香港そのものという比喩なのだろうか。

野球映画といえば、台湾でヒットし、香港でも話題を呼んだ『KANO 1931海の向こうの甲子園』がある。日本統治時代の台湾・嘉義市に実在した嘉義農林学校の甲子園での活躍をテーマとする作品だったが、これを受けて本作は「香港版KANO」と評判になった。

ニュータウンを舞台とした実話

かつて野球が、香港の人々を感動させた「事件」があった。映画の設定と同じ1980年代、香港のニュータウン、新界の沙田という街に、野球チーム「沙燕隊」が発足した。映画では青年の設定だが、現実は少年チーム。盧光輝という校長が徹底的なハードワークで鍛え上げ、少年野球大会で優勝を勝ち取った。盧校長は生涯を僻地教育の振興に捧げた伝説的教育者だ。

学生たちを指導する熱血校長。演じるのは先日死去した名優・廖啓智(リウ・カイチー)©香港映画祭2021
学生たちを指導する熱血校長。演じるのは先日死去した名優・廖啓智(リウ・カイチー)©香港映画祭2021

のちに香港のトップである行政長官を務めた曾蔭権(ドナルド・ツァン)氏が当時沙田行政区の幹部で、チームに対して破格の援助を行って道具やユニフォームを揃えたエピソードがある。ツァン氏は後年「私の役人人生で最も忘れられないのが沙燕隊の活躍だった」と振り返っている。いかにこの少年チームの活躍が、当時の香港社会全体を感動させたのかが分かるだろう。沙田に実在する「沙燕橋」はこのときの活躍を記念して命名されたものだ。

「香港の歴史」を語り継ぐために

香港で野球は決して盛んではない。五輪やWBCの予選で日本代表と戦うこともない。そもそも香港は土地が狭いため、広いグラウンドを必要とする野球は物理的に難しい面もある。フィールドスポーツでは英国統治時代以来の伝統が残っているサッカーのほうが人気もあるし、実力もアジアのなかで決して低くない。

それでも野球を取り上げたのは、香港人の記憶に残っている物語を映画化することで「香港の歴史」を示そうという試みだったのだろう。それがこうした香港にしかないテーマを追求する、「本土」にこだわる香港映画の新しい道を示す突破口になったのである。ここでいう「本土」は香港を指す。

雨傘運動と本土思想

香港における「本土思想」とは、香港を自分たちの「本拠地」「故郷」などと考えるもので、「香港は中国と違う」という香港アイデンティティの考え方が根底にある。

映画は2014年の「雨傘運動」の一場面から始まる。民主化要求を掲げた若者たちが79日間にわたって占拠した香港の中心街セントラル。そこを歩く主人公。雨傘運動から香港に広がった「本土思想」が香港社会を大きく変えたことを実感するシーンだ。

監督を務めた陳志発(スティーブン・チャン)は、いま香港のテレビ・映画界でスターになった。本作によって、第36回香港映画アカデミー賞で最優秀新人監督にノミネートされた。まったく前評判が高くなかったが、上映後に口コミで次第に広がり、予想を超える400万香港ドルの興行成績を上げた。陳監督はもともとテレビ局で働く無名のアシスタントだったが、政府の補助金に企画を申請して認められ、本作に人生を賭け、成功をつかんだ形だ。その後は連続テレビドラマの監督を次々と依頼され、CM撮影の仕事も続々と入り、若手有数のクリエーターとして活躍している。

当時、陳志発監督が受けた政府の補助金は「処女作イニシアティブ」と呼ばれるもので、制度が生まれて最初の作品として500万香港ドルの支援を受けている。ほかに、日本で上映された『誰がための日々』(一念無明)や『淪落の人』(淪落人)なども同様に、この補助金の支援を受けている。こうした作品は、いずれも香港では「本土映画」とカテゴライズされる。本土映画の定義はなかなか難しいが、「香港にしかないテーマで、香港を舞台に、香港人を描くために制作された作品」だと私は考えている。そしてこの『最初の半歩』もまた本土映画の一つということができるだろう。

雨傘運動のシーンを映画に入れることについても、陳監督には迷いがあったという。政治的な映画だと受け止められる恐れがあるからだ。しかし、あえてそのシーンは外さなかった。香港メディアの取材に、陳監督はこう語っている。

「どっちにしてもこの映画はすぐ上映期間が終わって誰も気にしないだろうと思っていました。私が目撃した運動の現場は、非常に静かで、穏やかな時間が流れていて、暴力的なことは何もないようなムードでした。この時代にこの状況に巡り会うことはとても貴重なことで、映画にもその記録を残しておきたくなったのです。この作品は1980年代の香港を記録しているものですが、観客に対して、1980年代から2014年になって何が変わったのか、考えてもらいたかった」

「香港人のための映画」で広がる可能性

かつて「東洋のハリウッド」と呼ばれ、アジア最大の映画産業拠点だった香港だが、北京五輪以降は中国映画市場の急速な台頭で、中国に渡っていく映画人が多数派となり、一時は「香港映画は死んだ」と言われた。「死」はいささか大げさだが、カンフーアクション映画から警察映画まで、幅広いジャンルで次々とヒット作を飛ばし、独自の地位を築いた香港映画の黄金期は確かに過去のものになった。

選手たちの躍動するプレーも見どころだ ©香港映画祭2021
選手たちの躍動するプレーも見どころだ ©香港映画祭2021

だが、2014年の雨傘運動から、いわゆる「香港アイデンティティ」が刺激された結果、香港の若手監督たちは「香港人の、香港人による、香港人のための映画」を作り始めた。香港映画のマーケットは決して大きくはないが、かえってこうした香港オリジナルの深みを持った映画が世界から高く評価され、海外にもマーケットは広がっている。

特に、香港が置かれた厳しい政治状況を反映した『乱世備忘』、『時代革命』、『理大囲城』などのドキュメンタリーや、香港の暗い未来を予見した『十年』などの作品、香港社会の矛盾や格差に光を当てた『淪落の人』、『誰がための日々』、そして、今年の金馬奨にノミネートされたホームレスをテーマにした『濁水漂流』(日本未公開)など、社会派の映画が新しい香港映画の潮流として、新たな生きる道を作りつつある。

「失望しても絶望するな」

最後に本作『最初の半歩』に戻ると、最後のシーンに映し出される雨傘運動の現場の壁に掲げられた当時のスローガンが、心に響く。

「失望しても、絶望はするな」

一義的には、不可能と思われた野球の習得に打ち込んだ若者たちに対する言葉ではあるが、同時に、香港映画が直面する現実に対して、あるいは、香港社会そのものに対して、陳監督ら映画製作者からの励ましの言葉にほかならない。

香港映画祭2021

上映作品

最初の半歩|點五步|Weeds On Fire
2016年/95分 監督:スティーブ・チャン 出演:リウ・カイチー、ラム・イウシン、トニー・ウー

酒徒|Drunkard
2010年/106分 監督:フレディー・ウォン 出演:チャン・グオチュー、アイリーン・ワン、ジョーマン・チャン

夢の向こうに|幻愛|Beyond the Dream
2020年/120分 監督:キウィ・チョウ 出演:テレンス・ラウ、セシリア・チョイ

夜の香り|夜香・鴛鴦・深水埗|Memories to Choke On, Drinks to Wash Them Down
2020年/78分 監督:ミンカイ・レオン、ケイト・ライリー 出演:グレゴリー・ウォン、 ラム・イウシン

上映スケジュール

12月11日(土)~12月17日(金) 元町映画館(兵庫)
12月18日(土)~12月24日(金) シネマスコーレ(愛知)
12月29日(水)、30日(木) ユーロライブ(東京)
公式サイト: https://hkfilm2021.wixsite.com/official

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