田中泯の踊りにいかに拮抗し得るか 映画『名付けようのない踊り』の犬童一心監督に聞く
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田中泯との出会い
国内外問わず、大舞台や野外で3000回ものダンス公演を行ってきた田中泯。57歳の時に山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』(02)で俳優として映画デビューを果たすや、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞をはじめ、数々の賞に輝いた。以来、映画やドラマに欠かせない名優としても活躍している。
犬童一心監督の『メゾン・ド・ヒミコ』にも、妻子を捨てゲイ専用の老人ホームをつくる卑弥呼役で登場し、鮮烈な印象を放っている。二人の運命的な出会いは、2004年日本アカデミー賞授賞式の会場。犬童監督が脚本を手掛けた『黄泉がえり』(塩田明彦監督)が優秀脚本賞にノミネートされ、前年度の最優秀助演男優賞受賞者であった田中泯もプレゼンターとしてそこにいた。
「名だたるスターが居並ぶなか、会場で一番かっこよくて目立っていたのが田中泯さんでした。居心地が悪そうに隅っこに座っていたから、てっきり映画関係者だと思っていたんだけど、まるでそこだけスポットライトが当たっているようだった。その時からすでに泯さんの“居方”は特別だった気がしますね」
『メゾン・ド・ヒミコ』で柴咲コウの父親役を演じられるのはこの人しかない! と惚れ込んで田中の家まで出演交渉に行ったという。
「泯さんから『演技はできないけど、ただ一生懸命そこに居ることはできる』と言われたんです。元をただせば僕は、泯さんが俳優なのかさえ知らずに声をかけたわけで、最初から彼のたたずまいにひかれているんです。『メゾン・ド・ヒミコ』では、泯さんが暗闇から現れて、柴咲さんがいる部屋に入ってくるカットから撮ったんですが、その瞬間、ものすごいものが撮れたぞという実感がありました」
一緒に仕事をした俳優が出演する舞台を観に行くことはほとんどないという犬童監督。例外は野村萬斎の狂言と田中泯のダンスで、繰り返し観に行く。
「二人とも肉体の感受性と言語能力がものすごく高いんですよ。自分の肉体を使って表現していることと、頭の中で考えていることが、互いにリアクションし合っている感じがする。僕は、肉体と言葉がちゃんと響き合っている人にひかれるのかもしれません」
場踊りの時間を再現する
2017年、田中から「ポルトガルのアートフェスティバルに出演するので、一緒に行きませんか?」と誘われ、ならばとカメラを回し始めたのが、結果的に今回の作品につながった。
だが、その場の匂いや気配をも自らの肉体に取り込んで踊る田中泯の〈場踊り〉は、ただ単にカメラで記録しただけではその感触は掴めない。田中自身、「一回性の花火のようなもので、決して同じものにはならない」と話している。
田中泯の踊りの魅力、哲学、生き様をスクリーンで体感してもらうには、まず技術と画質の高さが必要だと確信した。劇映画のカメラマンと組んで4K撮影の機材でおよそ2年にわたる長期撮影を敢行する。
「その場所に行って帰ってくるまでに費やす時間の全てが、泯さんの踊りの時間だと感じた。その感覚を再現できさえすれば、何とか映画になるんじゃないかと思ったんです。ただ、僕は普段、泯さんの踊りを見ながら目をつぶって全く違うことを考えることがある。こういうある種の退屈さや重さみたいなものは、体感時間が長くならないと生まれない。何か別の要素を入れて、踊りを見ている時のあの感じに近づけようと、アニメーションを入れることにしました」
2017年から19年にかけて国内外で披露されたダンス公演の断片に、田中の子ども時代の記憶を再現した映像が加わる。フィルムに絵を直接鉄筆で刻む〈シネカリ〉と呼ばれる技法を駆使し、名手・山村浩二が表現した詩情あふれるアニメーションだ。田中自身のナレーションが、独特の余韻と彩りをもたらしている。
「山村くんと泯さんは、ジャンルこそ違えども、アプローチや精神性がすごく似ている。彼のアニメーションなら、泯さんの踊りに拮抗(きっこう)できるに違いないと思って、子ども時代のシーンはすべて山村くんにお任せしたんです。シネカリも泯さんのダンスと同じく一回性で、やり直しがきかない。今どき誰もやらない手法です。おかげで相当お金がかかってしまった(笑)」
ダンス公演、アニメーションの場面とともにこの映画を構成するのが、田中泯が身体作りのために畑仕事に精を出す日々の姿だ。こうして全編を通じ、効率性を追求する現代社会と逆行することで見えてくる、かけがえのない時間が映し出されている。
「普段ならこんな面倒くさい映画の作り方は絶対しないし、もう少し見やすく工夫したかもしれないけど、今回は僕が再現したい“重さ”に近い、ちょうどいい退屈さを探って2時間弱の映画にしたんです。最近はみんな、観客に飽きられるのが怖いから、退屈な場面を切りまくる。でも、僕が大好きな『ダーティハリー』(ドン・シーゲル監督、1971)のような優れたアクション映画は、“ダレ場”と見せ場の配分が絶妙なんですよ。見せ場の連続だと退屈しないかもしれないけど、ダレ場の後に見せ場がやってくるあの高揚感も生まれない。泯さんの踊りを僕なりのグルーヴ感で再現したこの映画にも、映画館でしか体感できない良さがあるんじゃないかと思うんです」
音声から見える踊り
『名付けようのない踊り』はバリアフリー上映も予定されている。対応する劇場では、聴覚や視覚に障害のある人も、スマートフォンの専用アプリを使用して、個々に字幕や音声ガイドで映画を楽しむことができる。犬童監督には、この音声ガイド版によって気付かされたことがあった。
「正直なところ、視覚障害のある人に田中泯さんの踊りを感じ取ってもらうのは、かなり難しいだろうなと思っていたんです。でも僕がモニター試写会でヒアリングした限りでは、ちゃんと伝わっているぞという感触があった。というより、むしろそっちの方が泯さんの踊りが正しく伝わっているんじゃないか、という衝撃さえありました」
例えば、こんな場面だ。ポルトガルの巨大な岩の横に、着流し姿の田中泯が立っている。そしてゆっくりと右腕を上げていく。そこに流れるのは波の音だけ。そしてカットが切り替わり、波打ち際に立つ田中泯が、ゆっくりと両腕をクロスさせていく――。
「僕はCMもテレビドラマもたくさん撮ってきているから、こういう画(え)は、どんなアングルで、どんなレンズで撮ればカッコよく見えるか瞬時に分かる。今回も例によって無意識にそういう発想で撮っていたと思うし、実際にそれを観た人もカッコいいと感じると思うけど、視覚障害のある人には僕の小手先のテクニックは通用しない。見えていない人が音と音声ガイドで想像しているものの方が、僕が撮った映像よりも、はるかに田中泯の踊りを的確に表しているんじゃないかと。逆に可能性すら感じられた」
「今まで考えたこともなかったけど、よく考えてみるとあの望遠レンズの使い方って、実にありきたりだよなあ。なぜそれを俺はカッコいいと思ってしまうんだろう……って、全部自分自身に返ってくるんですよね。『ああ、自分は過去の記憶やこれまで培ったテクニックを総動員して田中泯の踊りに拮抗しようとしていたんだ』と、改めて気付かされたんです」
取材・文=渡邊 玲子
撮影=花井 智子
作品情報
- 脚本・監督:犬童一心
- 出演:田中 泯 石原 淋 中村 達也 大友 良英 ライコー・フェリックス 松岡 正剛
- アニメーション:山村 浩二
- 音楽:上野 耕路
- 製作:「名付けようのない踊り」製作委員会 (スカイドラム テレビ東京 グランマーブル C&I エンタテインメント 山梨日日新聞社 山梨放送)
- 配給:ハピネットファントム・スタジオ
- 制作プロダクション:スカイドラム
- 製作国:日本
- 製作年:2021年
- 上映時間:114分
- 公式サイト:https://happinet-phantom.com/unnameable-dance/
- 1月28日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿バルト9、Bunkamura ル・シネマ 他にて全国公開