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空気は読めないが耳は超敏感 異色の主人公が謎に挑むフランス発のサスペンス映画『ブラックボックス:音声分析捜査』

Cinema

人気俳優ピエール・ニネが旅客機の事故原因をボイスレコーダーの音声から探る分析官を演じた『ブラックボックス:音声分析捜査』。日本公開のフランス映画にはあまり類を見ない本格サスペンスだ。実在の国家機関である航空事故調査局に徹底取材してリアリティを追求しながら、意外な展開で最後まで息をつかせない作品に仕上げたヤン・ゴズラン監督に話を聞く。

ヤン・ゴズラン Yann GOZLAN

1977年生まれ、フランス・オーベルヴィリエ出身。パリ第8大学で映画を学ぶ。2003年、初の短編『Pellis』でヴィルールバンヌ短編映画祭にて審査員賞を受賞し、映画監督としてのキャリアをスタート。07 年には『Écho』でジェラルメ国際ファンタスティカ映画祭短編映画賞を受賞。10 年には初の長編『CAGED 監禁 』がスクリームフェストホラー映画祭で作品賞、監督賞等 5 つの賞に輝く。『パーフェクトマン 完全犯罪』(15)、『バーン・アウト』(17)に続く4作目、『ブラックボックス:音声分析捜査』が21年にフランスで公開。(photo : ©Philippe Quaisse Unifrance)

フランスのサスペンス映画というと、日本に入ってくる数は少なく、あったとしても心理劇に寄ったものが多いという印象ではないだろうか。それゆえ、ヤン・ゴズラン監督の『ブラックボックス:音声分析捜査』は新鮮だ。ある事件が起こり、主人公が背後に隠された謎を解いていくという、スタンダードなサスペンスの形式にのっとっている。それでいて、舞台設定や主人公のキャラクターには、見慣れたハリウッド映画とはまったく異質な独特の感触がある。

物語は、航空機の事故原因を調査するフランス航空事故調査局(BEA)で働くマチュー(ピエール・ニネ)が主人公。並外れて鋭敏な聴覚をもつマチューにとって、「音声分析官」の仕事は天職と言える。その代わり仕事に妥協を許さず、自分の能力を信じるあまり、上司や同僚の意見を無視して独断に陥りやすい。

上司であるポロック(オリヴィエ・ラブルダン、右)はマチューの「耳」を高く評価しながら、視野の狭さを危惧している © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions
上司であるポロック(オリヴィエ・ラブルダン、右)はマチューの「耳」を高く評価しながら、視野の狭さを危惧している © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions

ある日、最新型の旅客機がアルプス山中に墜落した。上司はいつもなら現場に同行させるマチューをなぜか調査から外してしまう。回収したブラックボックスを上司がBEAに持ち帰り、データを取り出すようすを、マチューは隣室からガラス越しに恨めしそうに眺めるしかなかった。しかしその後、上司が謎の失踪を遂げ、マチューは局長から調査報告をまとめるよう命じられる。やがて調べを進めるうち、さまざまな疑問が浮かび上がる…。

ポロックの失踪後、レニエ局長(アンドレ・デュソリエ、左)から事故の調査報告書をまとめるよう指示されるマチュー © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions
ポロックの失踪後、レニエ局長(アンドレ・デュソリエ、左)から事故の調査報告書をまとめるよう指示されるマチュー © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions

音声分析官にたどり着くまで

監督は、2010年に『CAGED 監禁』(日本では劇場未公開)で長編デビューした44歳の俊英、ヤン・ゴズラン。本作が4本目だが、これまでいずれもサスペンスやアクションなど、われわれがイメージするフランス映画の王道とは違うジャンルで勝負してきた。

「フランスではあらゆるジャンルの映画が作られ、公開されていますが、確かにサスペンスは敬遠されがちです。英米に比べると数が少なく、興行的にも振るいません。私は自分の作品がサスペンス映画と呼ばれることに抵抗はないですが、最初からそのジャンルで撮ろうと思って脚本を書いたわけではありません。今回はまず、航空の世界を描きたいという強い思いがあったのです」

ヤン・ゴズラン監督 ©Philippe Quaisse Unifrance
ヤン・ゴズラン監督 ©Philippe Quaisse Unifrance

これまで航空の分野をメインに取り上げた作品として思い浮かぶのは、旅客機が墜落やハイジャックの危機に見舞われるパニック映画だろう。本作はそれらとは異なる視点で墜落事故に切り込んでいく。

「以前から魅力を感じていた世界なんです。飛行機に乗るのは怖いんですけどね(笑)。魅力がある一方、事故で大勢の死者を出す暗い側面もありますよね。墜落の前に何が起こったのか、人々はあれこれ想像しますが、実際にはよく分かりません。専門的なテクノロジーの領域になってくる。そこを見せたかった。私自身、観客としても、知られざる世界の舞台裏を見せてくれる映画が好きです。また、現代の人々の生活をいかにテクノロジーが支配しているかを語る上でも、航空界が理想的に思えたのです」

そこで監督は、墜落事故の原因を究明する人々の物語を思いついた。最新の航空技術で重要な位置を占める自動操縦システムにも言及し、人とテクノロジー、安全とビジネスの関係についても踏みこんでいける。プロットを書き始めたのは今から8、9年前のことだ。しかし物語が具体化していくのは、2作目と3作目を監督した後だったという。

マチューの勤務先フランス航空事故調査局(BEA)の内部がリアルに再現されている © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions
マチューの勤務先フランス航空事故調査局(BEA)の内部がリアルに再現されている © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions

「BEAという国家機関があるのを知りました。それがこの映画の企画が動き出した大きなきっかけです。調査官たちに会い、さまざまな情報を集め、シナリオを書き進めていきました。彼らがどんなオフィスやラボで、どんな風に仕事をするのか、私にとって本物の現場を知ることは、リアルさを追求する上でとても重要だったのです」

航空の世界に魅力を感じていたゴズラン監督だが、その事故調査の手法については、ほとんど何も知らなかったそうだ。飛行機には「ブラックボックス」と呼ばれる装置が搭載されていて、航行データを記録するフライトデータレコーダー(FDR)と、パイロットの会話や異常音を記録するコクピットボイスレコーダー(CVR)の2種類がある。監督の知識もここまでだった。リサーチの途中で音声分析官という職務があることを知ったというのだ。

「BEAには、CVRに記録された音声を聴いて分析する人たちがいました。これは面白そうだと思ったのです。航空機は年々進化していますが、不思議なことにコクピットに装備されたマイクは質が悪いままです。コクピットの中は、エンジンや空調の音でとてもうるさい上に、機体が乱気流に入ると、さらに録音状態が悪くなります。音声分析官は、そうした劣悪な音声を、解析ソフトを使って聴き取れるように調整し、何が起こっていたかを分析するのです」

自分の聴覚を信じて疑わないマチューは、上司のポロックにも平然と反論する © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions
自分の聴覚を信じて疑わないマチューは、上司のポロックにも平然と反論する © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions

特殊な能力と欠落を抱える主人公

こうして、微妙な音のニュアンスを聴き分ける能力をもつ人物を主人公に、ストーリーが描かれていった。脚本は、監督を含む4人が共同で書き進めたが、うち1人(ニコラ・ブヴェ)は映画の音声係が本職だという。

「主人公の職業を深く理解できる人の助けがあったことは大きかった。この映画では、音が中心的な役割を演じていて、単なる飾りではありません。シナリオはとても時間のかかるプロセスでした。たくさんの資料を読み込んで、出来事を綿密な考証によって裏付けながら、なおかつ物語をサスペンスとして成立させなければなりませんでしたから」

サスペンスには観客をあっと驚かせる仕掛けが欠かせない。ここで物語を豊かにするのが、マチューという主人公の複雑なキャラクターだ。

音にこだわり、音に苦しめられるマチュー © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions
音にこだわり、音に苦しめられるマチュー © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions

「何かに強い執着をもつ人物を登場させたいと思いました。これは、記録された音声の微細な部分まで聴き取るという、調査官の職業に必要とされる資質だからです。ただ、マチューはディテールにこだわり過ぎるあまり、全体を見失ってしまうような人物です。観客は主人公と一体化して事件の真相を追ううちに、マチューという人物を疑い始めるのです」

マチューは音声分析の天才だが、その代償として聴覚過敏に苦しんでいる。また組織の一員としても不適格だ。そんな彼の姿には、「アスペルガー症候群」のような側面が見てとれる。

仕事が頭から離れないマチューは、妻ノエミ(ルー・ドゥ・ラージュ)との関係も微妙になり始める © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions
仕事が頭から離れないマチューは、妻ノエミ(ルー・ドゥ・ラージュ)との関係も微妙になり始める © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions

「どこか欠落のある人物にしたかった。一日中、集中して音声を聴くのが仕事ですから、自分の殻に閉じこもったオタクのイメージがリアルに見えると思ったんです。実際に会った調査官たちに彼のような人はいませんでしたよ(笑)。みなさん、とても真面目で厳格でした。マチューのように、CVRの音声をBEAの外で聴くなんてことは、現実には起こり得ません。だからこそ、彼のように完全に一線を越えてしまう人物を描き出すことに興味があったのです」

冷静なのか、無謀なのか、「一線を越える」マチューの行動がハラハラさせる © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions
冷静なのか、無謀なのか、「一線を越える」マチューの行動がハラハラさせる © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions

非常に繊細な人物でありながら、時に唖然とするほど大胆な行動に打って出る、これまであまり見たことのない主人公像だ。

「マチューはアンビバレント(両義的)な人物です。真実の追求に執着するのも、必ずしも正義だけが動機ではなく、成功している航空学校の同級生たちを見返したいという思いもあるからです。そのためには、不法侵入や盗みすらためらわない」

マチューと同じ航空学校出の妻ノエミも航空業界で働き、順調にキャリアアップしていた © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions
マチューと同じ航空学校出の妻ノエミも航空業界で働き、順調にキャリアアップしていた © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions

ともすると社会にとって異質な変人と扱われかねない人物を魅力的に見せてしまうのが、主演ピエール・ニネの力量だ。ゴズラン監督の前々作『パーフェクトマン 完全犯罪』に続く2度目のタッグとなったが、シナリオ段階から起用を想定した「当て書き」だったという。

マチュー役のピエール・ニネを見つめるゴズラン監督(左)
マチュー役のピエール・ニネを見つめるゴズラン監督(左)

「ピエールはとても仕事熱心で、何事にも全力を注いでくれる俳優です。今回はさまざまな苦しみを味わう役でしたが、セリフがなくてもそれを表現し、スクリーンを通じて明確に伝えてくれました。誰にでもできるわけじゃない、驚くべき才能です」

実力と人気を兼ね備えたフランスきっての若手俳優の主演ということもあって、本国では昨年、観客動員数120万人を突破するという、国産サスペンスとしては異例の大ヒットを記録した。

「観客には、マチューの行動が理路整然とした根拠に基づくものなのか、あるいは完全に誤った独断によるものなのか、分からなくなってくる。天才だと思ったら、実はまったくこの仕事に向いていないんじゃないか、そう感じさせる。こうしたあいまいさ、両義性によって物語が展開していくところが、この映画のオリジナリティだと思っています」

意外な展開に、主人公を見つめる観客の印象も二転三転していく © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions
意外な展開に、主人公を見つめる観客の印象も二転三転していく © 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions

取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)

© 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions
© 2020 / WY Productions - 24 25 FILMS - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA - PANACHE Productions

作品情報

  • 出演:ピエール・ニネ、ルー・ドゥ・ラージュ、アンドレ・デュソリエ
  • 監督:ヤン・ゴズラン
  • 脚本:ニコラ・ブヴェ、ヤン・ゴズラン、ジェレミー・ゲーズ、シモン・ムテルー
  • 製作年:2021年
  • 製作国:フランス
  • 上映時間:129分
  • 提供:木下グループ 配給:キノフィルムズ
  • 公式サイト:bb-movie.jp
  • TOHOシネマズ シャンテほか全国公開中

予告編

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