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映画『GAGARINE/ガガーリン』:60年代に生まれた巨大団地の取り壊しが未来の夢へと変わるとき

Cinema

『GAGARINE/ガガーリン』は、取り壊しの迫る郊外の団地で、最後までその価値を守り抜き、さらに高めようと孤軍奮闘する少年の物語。同名の実在した団地が舞台だ。フランス・パリ郊外の団地に、なぜ旧ソ連の宇宙飛行士の名が付けられたのか? 取り壊しは避けられなかったのか? 映画の撮影にも協力した地元イヴリー・シュル・セーヌ市の筆頭助役、ロマン・マルシャン氏が背景を解説してくれた。

実在した団地を舞台に描くファンタジー

ガガーリンといえば、人類初の宇宙飛行を成し遂げた偉人。しかし、これはその歴史上の人物についての映画ではなく、その名を冠した「団地」を舞台とする物語だ。

主人公のユーリを演じるアルセニ・バティリ ©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA
主人公のユーリを演じるアルセニ・バティリ ©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA

1963年、パリ市の南東に接するイヴリー・シュル・セーヌ市に、14階建て 380戸の大規模な公営団地が完成した。団地と言っても、A~Eの5棟がくっつき合ってT字型を成す1つの巨大な集合住宅。この赤レンガ造りの特徴的な建物がそびえ立つ一画は、「シテ・ガガーリン」と名付けられた。

完成して間もなく、ソビエト連邦からユーリ・ガガーリン少佐本人を招き、建物の前庭で植樹式が行われた。押し寄せた市民は「ユーリ、ユーリ」とその名を連呼し、時の英雄を熱狂的に迎えた。群衆の中の誰に想像できただろう。当時まだ29歳の若き宇宙飛行士が5年後に訓練飛行で墜落死してしまうとは。そして、この最新の巨大建築が、57年後には跡形もなく消えてしまうとは…。

解体工事が始まったガガーリン団地。壁にはここで育ったラップ・デュオ「PNL」のアルバムの巨大な広告パネルが掲示された(2020年2月、フランス、イヴリー・シュル・セーヌ市) cc : Chabe01
解体工事が始まったガガーリン団地。壁にはここで育ったラップ・デュオ「PNL」のアルバムの巨大な広告パネルが掲示された(2020年2月、フランス、イヴリー・シュル・セーヌ市) cc : Chabe01

映画はまさにその植樹式の記録映像で幕を開ける。そして時は現代へと流れ、ガガーリン団地に暮らす16歳の少年、ユーリを主人公とする物語が繰り広げられる。人類史に名を残す偉大な宇宙飛行士と同じ名前を付けられた彼もまた、宇宙への憧れを抱いている。

だが目下、ユーリが自分に課している任務は、団地内の共有スペースを点検し、廃品業者から手に入れた電球や部品を使って、補修作業をすること。老朽化を理由に、団地を取り壊す計画が噂されていたからだ。団地を守ろうとするユーリの試みは、果たして報われるのだろうか?

ロマの少女ディアナ(リナ・クードリ)との出会いに胸を躍らせるユーリと幼なじみのフサーム(ジャミル・マクレイヴン、左) ©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA
ロマの少女ディアナ(リナ・クードリ)との出会いに胸を躍らせるユーリと幼なじみのフサーム(ジャミル・マクレイヴン、左) ©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA

団地で兄弟同然に育った幼なじみとの友情の揺らぎ、近所の空き地でキャンプ生活をするロマ(「ジプシー」と呼ばれ差別されてきた移動型の民)の一団の少女への恋心、恋人のもとへ出て行ったまま帰らない母に抱く思慕…。さまざまな思いを胸に、寡黙で控えめなユーリが、やがて驚きの冒険を企て、物語はクライマックスに向かう。進行中の極めてシビアな現実を、ファンタジーの世界へと滑り込ませるように描くタッチがとても新鮮だ。

レオス・カラックスの作品でおなじみの怪優ドニ・ラヴァンも廃品業者の役で出演 ©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA
レオス・カラックスの作品でおなじみの怪優ドニ・ラヴァンも廃品業者の役で出演 ©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA

監督が郊外の団地に注いだポジティブなまなざし

この映画の独創性を最大に引き出しているのは、実際に取り壊される直前のガガーリン団地を主なロケ地にしたことだ。何と撮影は、解体工事の開始を月末に控えた2019年8月中に行われたという。

これは、地元イヴリー・シュル・セーヌ市からの全面協力なしには実現しなかったに違いない。監督のファニー・リアタール、ジェレミー・トルイユの2人と緊密に接し、プロジェクトを見守った都市計画担当の市会議員に話を聞いた。市長の補佐をする17人の助役のうち筆頭助役を務める市政のナンバー2、ロマン・マルシャン氏だ。自身もガガーリン団地の元住人だった。

イヴリー・シュル・セーヌ市の筆頭助役(都市計画担当)、ロマン・マルシャン氏
イヴリー・シュル・セーヌ市の筆頭助役(都市計画担当)、ロマン・マルシャン氏

「2004年から2018年にかけて15年近く住んでいました。親元を離れて、恋人(現在の妻)と初めて暮らしたのがガガーリン団地だったので、とても愛着を感じます。私たちが団地から引っ越したのは、取り壊しの1年半ほど前ですが、当時すでに入居者は少なくなっていました」

監督2人との出会いは、2014年にさかのぼる。2人は短編映画を撮る目的でガガーリン団地を訪れた。企画のプレゼンテーションに立ち会ったマルシャン氏は、すぐに強く心を打たれたという。

「企画以上に2人の心意気に感銘を受けました。私たちの市の精神と完全に一致していたからです。庶民的な地区の尊厳を大事に考えてくれていました。一般にメディアは、郊外のこうした地区のネガティブな側面ばかりを取り上げかちです。2人の視点は、そうした負の烙印(らくいん)とは大きく異なり、ここでも何か素晴らしいことが起こっているんだというポジティブなアングルでした。そこに感動したんです」

監督のファニー・リアタール(左)とジェレミー・トルイユ ©Dorlis Photography
監督のファニー・リアタール(左)とジェレミー・トルイユ ©Dorlis Photography

なぜ憧れの住まいは荒廃に至ったのか

確かにフランスの都市郊外の団地には、暴力、麻薬、売春の温床といった悪しきイメージがついて回る。郊外を舞台にした映画やドキュメンタリーが現実を切り取っているのも間違いないが、住民からすれば「それだけじゃない」という思いも当然あるだろう。

「1960年代前半に建てられたガガーリン団地は、戦後の住宅不足を補う近代建築の建設ラッシュの走りでした。当初から住んでいた人の話を聞くと、キッチン、風呂・トイレ付きの暮らしは、信じがたいような進歩だったといいます。周辺住民にとって憧れの住まいでした。入居者は工場労働者だけでなく、教員、弁護士など多様でした。その多様性と同時に、集合住宅に暮らす人々の一体性もあった。さまざまなサークルがあって、交流も盛んだったそうです。元住人は“黄金時代”だったと振り返りますよ」

イヴリー市が、バンリュー・ルージュ(赤の郊外)と呼ばれるフランス共産党の牙城であることにも注目したい。未来、進歩、イノベーションの象徴として、当時、世界で最も注目された共産圏の英雄ユーリ・ガガーリンの名を付けるのも、ここでは自然な流れだったのだ。

「そんな60年代が過ぎ、70年代から80年代に入ると、経済が停滞して失業が増加し、人々の生活水準は落ちました。住宅政策にも変化が生じます。社会住宅と呼ばれる公営・民営の低家賃住宅は、本来あらゆる所得層を対象にしていましたが、最も貧しい層の人々に優先して供給されるようになりました。90年代以降は徐々に中流世帯が社会住宅から出ていくようになった。こうして現在の団地の住人は、大半が低所得だったり、社会的に困難を抱えたりする世帯となり、それがいまの状況に大きく影響していると思います。サークルや行事も減り、住民間の結びつきも弱まりました。“他人は他人、自分は自分”の生き方が主流になってしまったのです」

自治体が配るボール紙製のメガネで日食を観察する団地の若者たち ©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA
自治体が配るボール紙製のメガネで日食を観察する団地の若者たち ©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA

取り壊しを選択するまで

しかしこうしたことによる治安の悪化が取り壊しの原因ではないとマルシャン氏は強調する。また団地の取り壊しに伴う立ち退きと言えば、メディアは反対派ばかりに注目するが、劣悪な住環境に耐えかね、改善を望んでいた住民の方がはるかに多かったという。

「団地を壊せば、生活苦や困難がなくなり、治安が良くなるわけではありません。人々の生活は続くのです。ガガーリン団地には、都市計画の面で問題があり、それは解決が可能なものでした。最大の問題は、鉄道との距離が近く、騒音がひどいことでした。おそらく建設当初は、いまよりも運行本数が少なかったか、この問題に対する意識が十分ではなかった。また敷地は孤立していて、隣接する地域とのアクセスを考え直す必要があった。建物内部の音響にも問題がありました。つまり、見直しは必然だったのです」

ガガーリン団地の将来を再検討する動きは、2008年頃に始まったという。マルシャン氏は議員になって4年後の12年から都市計画を担当するようになった。イヴリー市では、すべての再開発計画について、住民と話し合いの場を持つ。ガガーリン団地の場合も、定期的に会合を開いて再検討の進捗を報告し、工事の方向性について、重要な段階ごとに入居者たちの承認を得ていたという。

「最初から取り壊しありきの再検討ではありませんでした。線路から最も遠い棟を保存する案もあった。しかしコストの面から断念せざるを得なかったのです。ガガーリン団地の場合、全体として取り壊しに反対する人は少なかったのですが、何人かの住人が反対していたため、これほどの年月を要しました。全員を根気よく説得する以外に解決はないんです。反対の一番の理由は、長年住み慣れた場所を離れ、隣人たちともう会えなくなるのではないかという不安でした。彼らに寄り添い、安心させる必要があった。しかし計画が完全に止まってしまうほどの心配はありませんでした」

映画に込められた住民たちの思い

このように取り壊しの計画が進んでいく過程で、住人が賛成派と反対派に分かれる状況は、映画の中にもしっかりと描き込まれている。

監督のリアタールとトルイユが短編の撮影で団地を訪れた時も、まだ交渉は行われていただろう。2人はしばらくの間この地域に暮らし、住民や市民団体と交流を深め、地域に溶け込んでいった。完成した15分の作品は2015年、同じ『ガガーリン』というタイトルで、団地を題材とする全国の短編映画コンクールに出品され、グランプリを受賞した。

「しばらくして2人がまた私に会いに来ました。この短編を作ってみて、さらに先へ進みたい気になったと。長編を作るためのパートナーを探していて、時折、進捗を報告してくれました。今回の映画の企画が具体化してからは、撮影がスムーズに進むように、市の側でできることがあれば、何でも協力するつもりでした。すでに解体工事に向けた準備作業は始まっていて、撮影をさせてもらうにはなかなか難しい状況でした。解体業者と厳しい交渉をする必要にも迫られましたね」

映画は解体工事直前のガガーリン団地で撮影された ©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA
映画は解体工事直前のガガーリン団地で撮影された ©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA

「共同作業なんてとんでもない」と謙遜するマルシャン氏。

「ファニーとジェレミーがアイディアと才能を駆使して、自分たちで進めたプロジェクトですから、私たちはその熱意に応えて、実現しやすいようにお手伝いをしたにすぎません。文化的に意義のあるプロジェクトの一担当者という以上に、かつてここの住人だったことで特別な思いがあったのは事実です。でも先ほども言ったように、何より2人の気持ちに感動した。たとえ映画がここまで大成功を収めなかったとしても、私が素晴らしいプロジェクトに参加させてもらったという思いに変わりはなかったでしょう」

撮影の時、入居者たちはすでに団地を立ち去った後だったが、準備は何年も前から進められていたため、多くの住民たちが応援していた。

「このプロジェクトは、ガガーリン団地を利用しようとしたものではなかった。その反対で、この地域と住民のよいイメージを広めてくれるものでした。住民はそれを理解していましたし、私たちに関心を持ってくれる映画監督がいたことに誇りを感じていました。大予算の映画のクルーや、報道陣がやってきて撮影するやり方とは全然違いました。彼らはただ街を舞台装置として使うだけで、住民と触れ合うこともなく、関心を持ちませんでしたから」

ガガーリンの最期、そして未来

『ガガーリン』の撮影も終わった2019年8月31日、ついに解体工事が始まった。式典が開催され、元住人だけでなく、ゆかりのあった市民ら数千人が集まり、パワーショベルが繰り出す最初の一撃を見守ったという。

ガガーリン団地を出て、すでにより快適な住環境を手に入れた元住人たちだったが、自分が暮らした建物がいざ取り壊されるとなると、やはり強い感情に揺さぶられた。それは、計画を最前線で進めてきたマルシャン氏とて同じだった。

「何年も前に引っ越した人、就職して初めての電気工事で働いたという人もいた。たくさんの人々の物語が詰まった場所だったのです。私も涙が抑えられませんでした。こうなることはずっと前から分かっていて、心の準備はしてきましたが、それが目の前で現実になると....。とても大きな出来事だった。でも、その時間をみんなで共有できたことはよかったです」

ガガーリン団地解体のタイムラプス映像(提供:グラン・パリ・アメナジュマン)

工事は、海外の映像でよく見る爆薬で一気に破壊する方法ではなく、1台のパワーショベルで、端から1列ずつ壊していくやり方だった。資材を余さずリサイクルするためだそうだ。したがって、作業には1年以上を要し、20年9月23日に完了した。映画もちょうどその頃には完成し、3日後にはスイスのチューリッヒ映画祭でプレミア上映を迎えた。11月には、団地の跡地からすぐ近くの映画館ル・リュクシーで「ガガーリン・フェスティバル」と銘打ち、お披露目上映が行われた。

「喪失感を埋めるのが当初の目的ではなかったはずですが、この映画が元住人たちにとって、気持ちの区切りをつけ、前へ進むよう背中を押してくれるものになったと思います。この案を思いつき、実現したファニーとジェレミーには非常に感謝しています。私も映画をとても気に入りました。正直言うと、がっかりするのが怖かったんですが、失望どころか、夢中になりました!」

©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA
©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA

団地の跡地は、「ガガーリン通り」という名前を残して、1400戸の集合住宅、保育園、学校、ジム、商店、オフィスなどが集まる12ヘクタールのマルチスペースに生まれ変わる。単なるパリのベッドタウンにはしないという市の気概が伝わってくる計画だ。目玉は、都会に暮らしながら自然と調和して暮らせる広大な緑地、「地産地消」を推進する都市型農園を備えていることだ。

「ガガーリン団地は60年代当時、新しい形の住宅という点で、社会的イノベーションの地でした。誰もが住みたい街に、という市の政策を形にするモデルだった。これからの新しいガガーリン地区の計画もまた同じように模範的となることを望んでいます。21世紀のガガーリンが1960年代のガガーリン同様、モデルとして機能できたなら、私たちのプロジェクトは成功と言えるのです」

取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)

©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA
©2020 Haut et Court – France 3 CINÉMA

作品情報

  • 監督:ファニー・リアタール&ジェレミー・トルイユ
  • 出演:アルセニ・バティリ、リナ・クードリ、ジャミル・マクレイヴン、ドニ・ラヴァンほか
  • 製作年:2020年
  • 製作国:フランス
  • 上映時間:98分
  • 配給:ツイン
  • 公式サイト:gagarine-japan.com
  • 新宿ピカデリー、HTC有楽町ほか全国公開中

予告編

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