田中裕子主演、映画『千夜、一夜』の久保田直監督に聞く:「役者が奏でる音色を、ひとつの音楽に仕上げるのが僕の仕事」
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消えた夫を待つ妻の物語
『千夜、一夜』の舞台は、新潟県佐渡島の小さな漁村。水産加工場で働く登美子(田中裕子)は行方知れずの夫を待ち続けている。ある日突然、夫が家を出たまま戻らず、30年の月日が流れた。なぜいなくなったのか、生きているのか、死んでいるのか。それすら分からない。登美子は幼なじみの漁師、春男(ダンカン)に想いを寄せられるが、頑なに受け入れず、愛する夫との思い出を胸に慎ましく暮らしている。そんな中、2年前に失踪した夫を探す奈美(尾野真千子)が現れる。登美子は街で偶然、奈美の夫・洋司(安藤政信)を見かけるが……。
監督はドキュメンタリー番組のベテラン・ディレクターとして輝かしい経歴を持つ久保田直。2014年に松山ケンイチ主演の『家路』で劇映画の監督デビューを果たすと、ベルリンをはじめ各地の国際映画祭に出品されて話題になった。それ以来8年ぶりの新作は、『家路』でタッグを組んだ脚本家の青木研次とともに長く温めてきた企画だった。警察に届出があった行方不明者の数が全国で年間およそ8万人にも上ることに着想を得たという。
― 「待ち続ける女」を物語の軸にしようと思われたきっかけは何ですか?
北朝鮮による拉致の可能性を排除できないとした「特定失踪者リスト」が公開された際、名前を掲載された人が「拉致されたのではなく、自分の意思で別の場所で暮らしている」と、家族に連絡を入れた事例がいくつかあったと聞きました。
身近な人間がフラッといなくなってしまうということに、とても興味を引かれたんです。幸せな家族の日常を積み重ねて生きているとばかり思っていたのに、何の前触れもなく、ある日突然そのピースの一つが欠けてしまう。しかもその欠けた理由すらわからない。そんな状況に置かれたとき、人はどこまで欠けたピースを待ち続けられるのかと。
脚本家の青木(研次)さんと対話を重ねる中で、「待つ女の話にしよう」と構想がまとまってきて。だったら田中裕子さんの当て書きで脚本を書いてみようか、という流れになったんです。
― 登美子は多くを語りませんが、演じる田中さんの語尾の上げ下げ、そのニュアンスの違いひとつで、映画に深みがもたらされるのが印象的でした。
そうですね。台本から一字一句変えることなく、セリフを話していたと思います。それぐらい読み込んで、深く理解して。脚本家の青木研次という男が書く文言を裕子さんは大事にしていました。だから「一字一句変えたくない」というこだわりがある上で、きちんと登美子の世界観を作り上げていらっしゃるのだと思います。青木と裕子さんは、『いつか読書する日』や僕の前作『家路』でも一緒にやっているので、互いに尊重されているのだと思います。
撮影現場での監督の仕事とは
― まさに、田中裕子さんにしか作り出せない間合いと声であると感じたのですが、監督はどんなふうに演出されたのでしょうか。
青木は本当に“書かない”脚本家なんです。役者がセリフの行間をどう感じ取って、どう表現していくのか。僕自身はカメラの前でそれを見届けるのを、楽しみに待っていたようなところがある。もちろん違うと思ったときは言いますけど、基本的に僕が今回の現場でやっていたのは、それぞれの役者さんが独自の解釈で奏でている音色を、ひとつの音楽として仕上げることに近かった。
― つまり、監督は個性的な楽団員を抱える、楽団の指揮者の役割ということですね。
そうかもしれません(笑)。
― 田中さんを筆頭に、ダンカンさん、白石加代子さん、尾野真千子さんや安藤政信さんら、個性豊かなキャストがそれぞれ迫真の芝居をしていますが、それを監督が見事に束ねられたなと。
現場で直接的な言葉を掛けるというよりは、もう少し前の段階で、「人って、こういう時にどんな顔をすると思います?」といったような対話を重ねていく。そうすると、なんとなくみんなの解釈がそろっていくんです。もちろん、監督だからといって僕の解釈が必ずしも正しいとは限らないわけですが、あの有名な指揮者のレナード・バーンスタインでさえ、モーツァルトやベートーベンの楽曲をすべて正しく解釈した上で指揮をするわけではないように、最終的にはあくまで監督である僕なりの解釈でまとめ上げるしかないと思っているんです。
音楽へのこだわり
― 映画が始まった瞬間、抱き合う男女と佐渡島の海辺。サキソフォンの音色に一瞬で心を掴まれました。音楽への強いこだわりをお持ちではないかと感じたのですが、いかがですか?
普段ドキュメンタリー番組を作るときは、現場に音楽をたくさん持っていくんです。第三世界で撮ることが多く、車でガタガタ道を数時間ずっと運転するので、ドライブ用に好きな曲をカセットに入れて。それを聴きながら運転していると、不思議と1曲か2曲、現場にすごくマッチする曲が、毎回必ず出てくるものなんです。
― 「あの景色には、この曲が合うだろう」と、あらかじめ選曲しておくということですか?
いや、適当に持っていった中から最初はなんとなく聴いているんですけど、そのうちその土地の気分になってきて、無意識に選び始めるんです。何日か経つと、「あ、これだ!」って。ロケの場で急にその曲が出てきたりすると、編集の時にもその楽曲を中心に構成を考え始めたりすることがあって。たとえドキュメンタリーでも、音楽を意識した作品になっているというのが、実は僕の特徴の一つでもあるんです。
― なるほど。やはり音楽には相当こだわりがおありだったんですね。
今回の映画に関しては、個人的に清水靖晃さんの楽曲を好きで聴いていて、「この人いいなあ」と思って脚本を持ってお願いに行ったら、前の僕の作品やドキュメンタリーも観た上で、「是非ご一緒したいです」と。さらに「先行して曲を作り始めてもいいですか?」と言ってくれたんです。
しばらくして「こんな感じで考えていて、ちょっと録音してみたんですけど、一度聴いてもらえませんか?」といただいたのが、ほぼ現在の曲でした。つまり幸いなことに今回は、撮影現場に“サントラ”を持って行くことができた。ずっとあの曲を聴きながら、映画のイメージを作っていったんです。
― サントラ先行で映画を作るケースもあるんですね。
いやさすがに初めての経験です。清水さんには佐渡で撮ることはお伝えしていたので、あの情景や主人公がたたずむ姿はイメージされていたとは思います。物語としては純和風になるからこそ、『死刑台のエレベーター』(1958年、ルイ・マル監督)のマイルス・デイヴィスっぽい雰囲気で、フランス映画みたいな仕上がりになるといいなと思っていたら、まさにイメージ通りで。
ドキュメンタリーと劇映画の相関性
― ほかに久保田監督ならではのこだわりはおありですか?
僕はドキュメンタリー出身ということもあって、編集は自分でやらないと気持ちが悪いんですよ。編集次第で作品のイメージはガラッと変わると思っているので、フレーム単位でこだわるんです。
― 劇映画を撮っていて、ドキュメンタリーと大きな違いを感じることはありますか?
どちらにも共通するのは、撮り進める中で思ってもみなかったような意外性が感じられるところ。ドキュメンタリーの場合でも、なんとなく予想しながらスケジュールを組んで撮りに行くんですが、絶対に思った通りにはならないんです。それが僕には面白くて仕方がない。劇映画を作る際も同じで、脚本家とのキャッチボールで自分の予想外の方向に進んだり、それを読んだ役者たちの解釈がまったく想像していなかったものになったり。
じゃあ何が違うのかと言ったら、ドキュメンタリーを作っているときの自分の感覚としては、世の中の事象について、「なるほど、こういう仕組みになっていたのか!」と、日々勉強しながら成長している感じに近い。一方、劇映画を監督するときは、スタッフの動きをじっと見ている時間も長いのですが、大人の遊び場を眺めている感覚になるんです。いい大人たちが集まって、「ここはクレーンでカメラを上げるか」とか「クレーンないけどどうする?」とか。もちろん現場は大変なんですけどね(笑)。
両方やっている僕からすると、そういう違いがある。「勉強」で学んだことを「遊び」に活かすことができれば一番いいなと思っています。
取材・文・撮影=渡邊 玲子
作品情報
- 監督・編集:久保田 直
- 脚本:青木 研次
- 音楽:清水 靖晃
- 製作:映画『千夜、一夜』製作委員会
- 出演:田中 裕子 尾野 真千子 安藤 政信 白石 加代子 平泉 成 小倉 久寛 / ダンカン
- 配給:ビターズ・エンド
- 製作国:日本
- 製作年:2022年
- 上映時間:126分
- 公式サイト:https://bitters.co.jp/senyaichiya/
- テアトル新宿、シネスイッチ銀座ほか全国公開中
予告編
バナー写真:映画『千夜、一夜』©2022映画『千夜、一夜』製作委員会







