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映画の「職人」から描くもう1つの台湾映画史:『擬音 A FOLEY ARTIST』

Cinema

台湾はドキュメンタリー映画が強い。日本でドキュメンタリーが劇場公開されることは少ないが、台湾では毎年のように話題作やヒット作が生まれ、アカデミー賞にあたる金馬奨にはドキュメンタリー部門の優秀作品や新人が表彰される。そんな台湾でひときわユニークな視点から台湾映画の裏面史を取り上げた作品が日本で公開される。

音を作り出すアーティスト

映画は総合芸術だと言われる。その理由は、映画には、文学や音楽、演技など様々なアートが集約されるからだ。ただ、一方で、映画は大衆娯楽であり、単なる芸術の追求だけでは商業的に成り立たない。そのために大衆に人気があるスターを起用し、社会的な注目を集めようというショービジネス的な側面もある。だが、本作がフォーカスを当てるのは、そのどちらでもない。いわば「映画職人」の世界である。

本作のタイトル「擬音」は音を真似ることを意味する中国語だ。英語ではフォーリーという。実は映画で使われる音のすべては決してリアルな音ではない。人によって作り出され、あとから加えられる音だ。その音は、デジタルによっても容易に作り出すことができない。音響制作のプロたちが、ありとあらゆる知恵を絞って、アナログ的でありながら、創意工夫に満ちた方法で作り出すのだ。彼らは職人であると同時に、クリエイティブな能力も持つゆえに「フォーリー・アーティスト」とも呼ばれる。

台湾映画における“音の魔術師” フー・ディンイー ©Wan-Jo Wang
台湾映画における“音の魔術師” フー・ディンイー ©Wan-Jo Wang

主人公は、台湾の戦後映画で音響制作に関わり続けた伝説的人物、胡定一(フー・ディンイー)である。胡定一は「中央電影公司(中影)」の音響効果技師として1000本近い映画とドラマに関わった。最初は見習いから始まり、まじめで仕事に打ち込む姿勢が評価され、音響効果の重責を任される。

王童(ワン・トン)監督の『村と爆弾』『バナナパラダイス』から『あなたなしでは生きていけない』『一万年愛してる』『祝宴!シェフ』『ハーバークライシス(湾岸危機)Black & White Episode 1』『幸福路のチー』まで、日本でも評価の高い映画のエンドロールに、ことごとく胡定一の名前が刻まれていたことに、本作を見るまで私も気づいていなかった。胡定一は本作が撮られた2017年、長年の功績が評価され、金馬奨の年度台湾傑出映画製作者に選ばれている。

食事のシーンには実際に料理と食器を並べて音を録る ©Wan-Jo Wang
食事のシーンには実際に料理と食器を並べて音を録る ©Wan-Jo Wang

胡定一の仕事部屋は、よく言えばおもちゃ箱をひっくり返したような状態で、悪く言えば、あちこちから拾い集めてきたゴミ屋敷のようにも見える。ボロボロの靴が無造作に並べられている中から、画面に登場する人物が歩くときの音を、いろいろな靴を地面に叩きつけながら、探し出していく。そんな仕事部屋を社会見学で訪れた子供たちは大喜びだ。まるで無から有を生み出す錬金術師のように、映画のなかの「音」が、まったく内容と関係のない道具から生み出されることに観客は驚き、唖然とするだろう。

スタジオを見学する子供たち ©Wan-Jo Wang
スタジオを見学する子供たち ©Wan-Jo Wang

浮かび上がる台湾映画史

本作において、胡定一は主役であって、主役ではない。むしろ「擬音」の世界にいる人々を知らしめる舞台回し、解説役のような存在だ。胡定一は饒舌ではない。なおさら職人らしくみえる。そうした渋みのある人々が映画という華やかな産業を支えていることを私たちは教えられ、納得するのである。

若手ドキュメンタリー監督の王婉柔(ワン・ワンロー)は、もともと、胡定一について本を書くつもりだったが、あまり自分のことを饒舌に言葉で語ろうとしないことから、映像化することを思い立ったという。だが、ドキュメンタリーを作るにしても胡定一には「自分がたり」が少ない。そこで、胡定一をある種の舞台回しとして、台湾映画史を陰のテーマとする作品にすることに方針転換した。

その試みは成功したと言えるだろう。裏方に長く徹した人物だからこそ、語り得る「歴史」があることを観客は思い知らされるからだ。そして、台湾映画の歴史を作ってきた伝説的な俳優、監督らが次々と登場する。これは戦後の台湾映画史を学ぶ者にとって必見のテキスト(教科書)になっている。そのことが雄弁に証明しているのは、映画には音響効果がなくてはならず、名もなき無数の職人たちが、映画という文化のなかで欠くことができないパーツなのである。

スクラップ場で弟子に音の素材の見つけ方を教える ©Wan-Jo Wang
スクラップ場で弟子に音の素材の見つけ方を教える ©Wan-Jo Wang

その点について、インタビューで、王婉柔は本作が自分にとって「台湾映画と音響の関係を描いた論文みたいなものでした」と振り返った。

「この映画を撮るとき、シナリオも編集も自分でやって、どのぐらい観客が来るだろうとかも考えず、映画とは何か、映画にとって音響技術とはどんな意味があるのか、悩み続けました。勉強のために、ひたすらたくさんの台湾映画を見て、まるで学生が論文を仕上げるような体験だったと思います」

王婉柔は、台湾映画界で将来を期待される監督の一人だ。台湾の文学者をテーマにした『他們在島嶼寫作』に参画し、詩人洛夫(ルオ・フー)を描いたドキュメンタリー『無岸之河』で一躍注目を集めた。2017年には本作『擬音』を撮り、2020年には台湾出身の漫画家、鄭問(チェン・ウェン)を取り上げた『千年一問』を発表している。

台湾はドキュメンタリー大国だ。毎年のように優れたドキュメンタリー映画が製作され、社会的にも一定の反響を獲得している。台湾には、先住民や閩南(ビンナン)人、客家(ハッカ)人、大陸からきた外省人、東南アジアからきた新住民と呼ばれる人々など、小さな島に多種多様な人々が生きている。日本の統治、国民党の民衆弾圧、民主化運動、中国からの圧力など、ドキュメンタリーの題材に事欠かないし、若手の作り手も多い。そして本作によって新たなドキュメンタリーの担い手が、日本に紹介されたことを嬉しく思う。

あらゆる素材が用意されたフー・ディンイーの仕事場 ©Wan-Jo Wang
あらゆる素材が用意されたフー・ディンイーの仕事場 ©Wan-Jo Wang

映画では、香港や中国の音響効果の人々にも取材が行われる。本作が制作された当時は、中国と、台湾、香港との関係は、まだ現在のように対立含みではなく、現地訪問によるインタビューも容易な時代であった。中台の対立や香港情勢の悪化を経た現在では、本作のような企画はほぼ実現不可能になってしまったため、本作の内容自体が貴重な資料になる。香港、中国のインタビュー対象者たちが語る音響の世界に比べて、いかにもアナログな胡定一と台湾は、映画の進化に取り残されたように感じさせる。ただ、その古さや懐かしさが、台湾映画、そして台湾の魅力であることも間違いない。

©Wan-Jo Wang
©Wan-Jo Wang

作品情報

  • 監督:ワン・ワンロー
  • 出演:フー・ディンイー、台湾映画製作者たち
  • 製作総指揮:チェン・ジュアンシン
  • 製作:リー・ジュンリャン
  • 撮影:カン・チャンリー 
  • サウンドデザイン:ツァオ・ユエンフォン
  • 編集:マオ・シャオイー
  • 配給・宣伝:太秦
  • 製作年:2017年
  • 製作国(地域):台湾
  • 上映時間:100分
  • 公式サイト:foley-artist.jp
  • 11月19日(土)より、K’s cinemaほか全国順次公開

予告編

技術 映画 台湾 職人 ドキュメンタリー