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「とにかく岸井ゆきのがすごい!」共演の三浦友和と三宅唱監督も驚嘆 聴覚障害者の女性ボクサーを描いた映画『ケイコ 目を澄ませて』

Cinema

三宅唱監督の最新作『ケイコ 目を澄ませて』。岸井ゆきのを主演に迎え、コロナ禍の東京を舞台に、生まれつき両耳が聞こえない29歳のプロボクサー、ケイコの繊細な心模様を16ミリフィルムで捉えた。ケイコを見守るボクシングジムの会長役には三浦友和。映画の公開を前に、監督、岸井、三浦が顔をそろえて取材に応じてくれた。

『Playback』(12)、『きみの鳥はうたえる』(18)などにより海外でも高く評価される三宅唱監督。その長編8作目、憧れだったという16ミリフィルムで撮影したのが『ケイコ 目を澄ませて』だ。今年2月のベルリンを皮切りに、ロンドン、釜山などの国際映画祭で上映され、その後も招待が続々と決定している。その数は合わせて世界20都市を超え、これまで以上に熱視線を集めているのが分かる。

三宅唱(みやけ・しょう) 1984年生まれ、北海道出身。一橋大学社会学部卒業、映画美学校・フィクションコース初等科修了。主な監督作品に、『THE COCKPIT』(14)、『きみの鳥はうたえる』(18) 、『ワイルドツアー』(19)など。『呪怨:呪いの家(全6話)』(20)が Netflix のJホラー第1弾として世界190カ国以上で同時配信され、話題に。
三宅唱(みやけ・しょう) 1984年生まれ、北海道出身。一橋大学社会学部卒業、映画美学校・フィクションコース初等科修了。主な監督作品に、『THE COCKPIT』(14)、『きみの鳥はうたえる』(18) 、『ワイルドツアー』(19)など。『呪怨:呪いの家(全6話)』(20)が Netflix のJホラー第1弾として世界190カ国以上で同時配信され、話題に。

実在の人物から生まれたストーリー

映画の原案は、聴覚障害者でプロボクサーになった小笠原恵子さんが2011年に出版した自伝『負けないで!』(創出版)。プロデューサーから企画を持ちかけられた当初は迷いもあった三宅監督だが、著書を読み、ボクシングや聴覚障害についてリサーチするうち、自由で正直な小笠原さんの生き方に魅了され、映画にしたいと考えるに至った。

三宅 唱 小笠原さんの半生をモデルとして、映画の中では時代設定も、主人公の家族関係も、登場人物の名前も変えています。理由は色々とありますが、100年前の出来事ならともかく、10年前の実話の「再現」を目指したとしても、違いばかり気になって伝えたいことが伝え切れないと思ったので。これからも続いていく小笠原さんの人生に余計な誤解をなるべく与えずに敬意を払うためにも、共に映画を作る役者たちの力を十分に発揮するためにも、新しいストーリーを作りました。

ボクシングにひたむきに打ち込むケイコ(岸井ゆきの)にジムの会長(三浦友和)が寄り添う ©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
ボクシングにひたむきに打ち込むケイコ(岸井ゆきの)にジムの会長(三浦友和)が寄り添う ©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

岸井の主演については企画段階から決まっていたが、本人はボクシングの習得に不安を感じていたという。それを吹き飛ばしたのが撮影の3カ月前から行ったトレーニングだ。劇中でもトレーナー役を演じる松浦慎一郎の指導のもと、監督と一緒に基礎から特訓した。

岸井 ゆきの 普通は台本を読んで人物を想像しますが、今回は台本が完成する前からボクシングのトレーニングを始めたので、その過程でケイコが形成された気がします。おかげで、先入観なく役に重ね合わせることができました。

―モデルが実在することについてはどう対応しましたか?

岸井 本人に似せようとか、しぐさを真似ようとすると、モノマネになってしまって、むしろ失礼に当たるのではないかと考えました。私としては「三宅監督が新たに作った物語の中で、今の私が演じるならこうなる」というケイコを提示したかった。小笠原さんに最大のリスペクトを払った上で、「私たちは私たちの物語を作るんだ」と、みんなが同じ方向を向いていたと思います。

岸井ゆきの(きしい・ゆきの) 1992年生まれ、神奈川県出身。2009年に女優デビュー後、映画、舞台、テレビドラマでなど幅広く活躍。2019年『愛がなんだ』で第43回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。22年の主な出演作に、『やがて海へと届く』、『神は見返りを求める』、『犬も食わねどチャーリーは笑う』、ドラマ「アトムの童」(TBS系列)など。
岸井ゆきの(きしい・ゆきの) 1992年生まれ、神奈川県出身。2009年に女優デビュー後、映画、舞台、テレビドラマでなど幅広く活躍。2019年『愛がなんだ』で第43回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。22年の主な出演作に、『やがて海へと届く』、『神は見返りを求める』、『犬も食わねどチャーリーは笑う』、ドラマ「アトムの童」(TBS系列)など。

―岸井さんはボクシングに加えて、手話の特訓もしたそうですね。セリフのない役はいかがでしたか?

岸井 ケイコは日頃から心情をノートに綴っていますが、私も忘れたくないことや言葉にしなかった思いをずっと書き留めています。プライベートでもおしゃべりな方ではなくて、そもそも「話すことで感情を消化する」という感覚自体がないんです。セリフがないことにストレスは感じませんでした。むしろ、言葉で説明しない分、ケイコとして私が感じたことがフィルムに映るようにそこに存在しなければ、と考えていました。

ろう者の俳優、山口由紀と長井恵里もケイコの友人役として出演。3人が手話で会話するシーンには、あえて字幕を付けなかった ©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
ろう者の俳優、山口由紀と長井恵里もケイコの友人役として出演。3人が手話で会話するシーンには、あえて字幕を付けなかった ©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

緊張感漂うも「幸せな」現場

ケイコが通うボクシングジムの会長を演じるのが三浦友和。早朝の荒川の土手でのトレーニングや、ジムの鏡の前で並んで行うシャドーボクシングなど、本作に何度も登場するケイコと会長のシーンは、どれも印象的で忘れがたい。

三浦は現場入りした日、初共演となる岸井がジムにいる姿を見て、すぐに「これは絶対に良い映画になる」と確信したという。

三浦 友和 「もうケイコがいるじゃん!」って(笑)。すでにプロボクサーの雰囲気に仕上がっていたんですよ。僕は彼女を見守る役ですけど、そこにケイコがいたので、本当に見ていればいいだけでした。僕も30代の頃にボクシングを少しだけやっていたから分かるけど、あそこまで仕上げるのは並大抵のことじゃないからね。

三浦友和(みうら・ともかず) 1952年生まれ、山梨県出身。1974 年『伊豆の踊子』で映画デビューし、第18回ブルーリボン賞新人賞を受賞。以後、映画・テレビドラマ・CM で幅広く活躍。『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』(11)で日本アカデミー賞優秀主演男優賞受賞。22年の主な出演作に、『グッバイ・クルエル・ワールド』、『線は、僕を描く』、ドラマ「クロサギ」(TBS系列)など。
三浦友和(みうら・ともかず) 1952年生まれ、山梨県出身。1974 年『伊豆の踊子』で映画デビューし、第18回ブルーリボン賞新人賞を受賞。以後、映画・テレビドラマ・CM で幅広く活躍。『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』(11)で日本アカデミー賞優秀主演男優賞受賞。22年の主な出演作に、『グッバイ・クルエル・ワールド』、『線は、僕を描く』、ドラマ「クロサギ」(TBS系列)など。

プロ顔負けの複雑なコンビネーションを見事にマスターした岸井が躍動する。トレーナー役の松浦と組んで繰り出す迫真のミット打ちシーンは、この映画の見どころの1つだ。

―会長ともミット打ちがありましたね。

岸井 松浦さんとのミット打ちは、「ずっとやってきたこれを撮ってくれ!」という感覚で、練習通りにできたんです。でも三浦さんとのシーンは、ものすごく緊張しました。

三浦 それはどういうことで?

岸井 会長がミットを持ってくれるなんて、そんな機会はなかなかないわけですから。自分がどれくらいの技術を持っているか、ここで示さなければいけないって。あれ? 私、ケイコだったのかな。いま言ってることって、ケイコの気持ちですよね? 松浦さんと組むときより緊張して、うまくできないんですよ。

会長とケイコはジムの大鏡に向かってシャドーボクシングで「対話」する ©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
会長とケイコはジムの大鏡に向かってシャドーボクシングで「対話」する ©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

三浦 受け手が下手だからできないんだよ(笑)。

岸井 そういうことじゃないです! あの緊張感というのは、ケイコと会長の関係性がそのまま表れたんだろうなと思いました。

―現場にも緊張感がありましたか。

三宅 文字通り「全身全霊」でキャメラの前に立つ岸井さんや三浦さんらキャストの方々を目にして、僕らスタッフは「下手なことはできないぞ」と考えていました。みんながすごく仕事に集中していて、本当に幸せな心地よい現場でした。編集作業がとても楽しくて、何度も何度も観て、笑うこともたくさんありました。

ケイコは耳の聞こえる弟(佐藤緋美)と二人暮らし ©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
ケイコは耳の聞こえる弟(佐藤緋美)と二人暮らし ©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

「これぞ映画」という手触り

監督が印象深く思い出すのは、クランクイン前に三浦から聞いたユーモアの話だという。

三宅 生きていると、深刻な出来事があった次の日に、間抜けなことが起きたりする。「シリアス一辺倒になるのは違うと思うんだよね」というようなことを、三浦さんが言葉にしてくださったと記憶しています。そういうやりとりが事前にできたおかげで、風通しの良い撮影ができたのではないかと。

―三浦さんはどんな意図で監督にユーモアの話をされたんですか?

三浦 例えば、身内の葬式のときでさえ、思わず笑ってしまう瞬間があったりしますよね? もちろんそこだけだと不謹慎になってしまいますけど、ある瞬間は笑って、ある瞬間は泣く、そういうのが人間だよなあと僕は思うんです。それが不自然じゃなく映る、「人間っていろいろあるよね」と感じさせられるのが、演じる俳優としては理想だなと。

会長の妻を仙道敦子(左)が演じる ©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
会長の妻を仙道敦子(左)が演じる ©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

岸井 この映画はまさにそういう作品になりましたよね。生活のある瞬間を捉えていて。これといった大事件は何も起こらないじゃないですか。

三浦 別にハッピーエンドでもないしね。

岸井 そう。ただケイコの日常がひたすら描かれて、「ジムがなくなるかもしれない」という、他の人には関係なくても、彼女にとってはものすごく大きなことが訪れる。そしてそれでも続いていく毎日を丁寧に切り取っている。そんな日々が続いて人生になるわけじゃないですか。そこにフォーカスして繊細な映画を作れたことが本当によかったと思っています。

会長が父から受け継いだボクシングジムに存続の危機が迫る。右端が本物のボクシングトレーナーでもある松浦慎一郎 ©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
会長が父から受け継いだボクシングジムに存続の危機が迫る。右端が本物のボクシングトレーナーでもある松浦慎一郎 ©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

―監督としても、ささやかな日常の積み重ねを撮ることが狙いだったんですね?

三宅 さっき三浦さんがおっしゃったのと同じ理想を持っているんです。「これが人間だよね」と思えるような映画を作りたい。先入観や偏見なしに実際はどうなのか、決めつけずに調べた上で、作りたいと思っていました。今回そう思わせてくれたのが小笠原さんです。心の小さなモヤモヤを見逃さず、何事にも正直に向き合う方だからこそ、僕は僕でこの題材に向き合って、皆さんと一緒に作っていこうと。

―岸井さんと三浦さんは、三宅組の現場でどんなことを感じましたか?

岸井 この時代に16ミリフィルムで撮影できることに、喜びを感じていました。私がずっと好きで観てきた映画は、フィルムで撮られていましたから。フィルムが回る「カラカラ」という音は、出来上がった映画では消されてしまいますよね。でもそれは、トンネル工事ならツルハシの音です。そういう「映画ができていく音」をこの耳で聞けたことが、私は何よりうれしくて。固定カメラの佇まいもカッコよかった。私が近づくのをじっと待ってくれている。ウィービング(上体を振って相手に的を絞らせないボクシングの動作)しながら私からカメラに向かっていくしかないんです。

三浦 僕はフィルムで育ったから、音については特に何も感じなかったけど(笑)、「フィルムチェンジです」っていう言葉を久しぶりに聞いて、懐かしいとは思ったね。ヨーロッパビスタのサイズ(画面の横縦比 1.66 : 1)で撮るのもいいよなあって。現場でも感じたし、出来上がりを観てもそう思った。「This is 映画」という感じ。環境音だけで劇伴がないのもいい。

満足感が物語る完成度

岸井 何よりうれしかったのは、初号試写(完成後に関係者の間で行う最初の上映会)の後、泣きながら小笠原さんと抱擁できたこと。小笠原さんも、ご家族の方たちも、みんな喜んでくださったんです。それで初めて、作った側の満足感から、さらに一歩先に踏み出せた気がしたんです。

三浦 淡々としてはいるんだけど、ものすごくパワーがある映画。「面白さ」といってもいろいろあるけど、観終わった後「本当に面白かった!」という一言に尽きたんですよね。試写室を出て、僕もみんなとハグしましたよ(笑)。それが観終わった時の素直な気持ちだった。だって、すごいんだもん、岸井さんが。本当にビックリしましたね。

岸井 (涙ぐんで)いまの三浦さんの言葉、本当にうれしかった!

三宅 いやあ、うれしかったね。すごくうれしかったね……。

三浦 小笠原さんがこの映画を「3回観てくれた」ということが、もうすべてなんじゃないかと思いますね。

三宅 岸井さんが本当にすごいし、もちろん三浦さんもすごいんですけど、もっと言うと、この映画に出ている人たち、みんな本当にすごいんです。監督が言っても信用してもらえませんね(笑)。まずは1回目、岸井さんのすごさをとことん味わっていただければと。

©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

三浦 本当に岸井ゆきののワンマンショーなんだよ。だからみんな、まずそこを見るの。

三宅 真ん中で岸井さんがみんなを引っ張ってくれましたね。

三浦 岸井さんはもちろんこれからもまだまだ活躍する女優さんだけど、今までの中ではこの作品が自分でも一番好きなんじゃない?

岸井 はい。

三浦 だよね、わかるよ。現時点における岸井ゆきのの代表作だよね。

岸井 これからどんな役に出会っていくのか、今は想像できなくて……。撮影を振り返ると、私自身よりもケイコとしての感情の方が強かったですね。客観の部分は監督がすべて担ってくださったので、私はずっと「勝ちたい」「負けたくない」「強くなりたい」ということだけを、ただひたすら考えていました。

『ケイコ 目を澄ませて』は、好きなことを続けるか、それとも別の生き方を模索するのか、誰もが直面する人生の岐路を描いた物語でもある。ケイコと同じく30歳を目前にして、全身の感覚を研ぎ澄ませて役に打ち込んだ岸井ゆきのの勇姿をスクリーンで目撃してほしい。

インタビュー撮影=花井 智子
取材・文=渡邊 玲子

©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

作品情報

  • 原案:小笠原 恵子「負けないで!」(創出版刊)
  • 企画・プロデュース:長谷川晴彦
  • 監督:三宅 唱
  • 脚本:三宅 唱 酒井 雅秋
  • 出演:岸井 ゆきの 三浦 誠己 松浦 慎一郎 佐藤 緋美 仙道 敦子 / 三浦 友和 他
  • ボクシング指導:松浦 慎一郎
  • 手話指導:堀 康子 南 瑠霞
  • 手話監修:越智 大輔
  • 配給:ハピネットファントム・スタジオ
  • 製作国:日本
  • 製作年:2022年
  • 上映時間:99分
  • 公式サイト:https://happinet-phantom.com/keiko-movie/
  • 12月16日(金)よりテアトル新宿ほか全国公開

予告編

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