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名匠ロウ・イエが中国当局の検閲に“付き合った”理由 映画『シャドウプレイ【完全版】』が完成から6年越しの日本公開

Cinema 国際・海外

世界の映画祭で数々の栄誉に輝いてきた中国のロウ・イエ監督。その10作目となる『シャドウプレイ』は中国当局の検閲を経て、完成から2年後の2019年4月に本土で公開され、3日間で興行収入6.5億円の大ヒットを記録した話題作だ。日本では同年秋に東京フィルメックスでオープニング作品として初上映されてから3年余を経て、今回ようやく公開を迎えた。19年の来日時に取材した監督の話から、検閲に耐えてまで中国本土での公開を望んだ理由を探る。

ロウ・イエ LOU Ye

1965年、中国上海生まれ。89年に北京電影学院を卒業後、94年『デッド・エンド 最後の恋人』で監督デビュー。『ふたりの人魚』(2000)は中国で上映を禁止されるも、ロッテルダム国際映画祭と東京フィルメックスでグランプリに。『パープル・バタフライ』(03)では、チャン・ツィイーと仲村トオルを起用。『天安門、恋人たち』(06)がカンヌ国際映画祭で上映され、中国当局から5年間の映画製作・上映禁止処分に。その間、同性愛を描いた『スプリング・フィーバー』(09)がカンヌで脚本賞受賞。禁令が解け、中国本土に戻って撮影した『二重生活』(12)がカンヌ「ある視点部門」に正式招待。『ブラインド・マッサージ』(14)はベルリン国際映画祭で銀熊賞(芸術貢献賞)に輝き、台湾金馬奨で6冠を受賞。スパイ映画『サタデー・フィクション』(コン・リー主演、オダギリ・ジョー共演)が、2023年11月日本公開予定。

ロウ・イエ監督の『シャドウプレイ』は、2017年春に完成しながら、当局の検閲を受けて約2年にわたって繰り返し修正を迫られ、19年4月にようやく公開にこぎつけた作品だ。日本では同年11月、東京フィルメックスのオープニング作品として初上映された。それから3年余を経て、当時より5分長い129分の『シャドウプレイ【完全版】』として公開されることになった。本国では検閲によりやむを得ずカットしたシーンも含まれる。

ロウ・イエ監督『シャドウプレイ【完全版】』 ©DREAM FACTORY, Travis Wei
ロウ・イエ監督『シャドウプレイ【完全版】』 ©DREAM FACTORY, Travis Wei

高層ビルの間に取り残された“村”が起点

3年前、フィルメックスに招待されて来日したロウ監督は、この作品について「シエン村と出会わなければ生まれなかった。この村がすべての始まりだった」と話した。

「シエン村(洗村)」は、中国の広州市天河区にある区域。ビジネス街の真ん中にある“城中村”(都市の中の村)と呼ばれる一画だ。急速に開発が進んだ中国の大都市には、このような高層ビルが立ち並ぶ周囲からポツンと取り残された“村”が点在しているのだという。

写真でシエン村を知った監督は、実際にその場を訪れ、映画の着想を得た。そこから「われわれは改革開放後の30年をどう生きたか」というテーマが固まっていく。

映画『シャドウプレイ【完全版】』のロウ・イエ監督。東京フィルメックスでの日本初上映を機に来日した2019年11月に取材
映画『シャドウプレイ【完全版】』のロウ・イエ監督。東京フィルメックスでの日本初上映を機に来日した2019年11月に取材

「ある場所を起点に映画を撮ろうとすると、そこから立ち上がる物語に即した撮影スタイルというものがおのずと生まれてきます。広州を物語の舞台とするには、改革開放から数十年の急激な経済発展で変化する景色や街並みが欠かせなかった。そこで生きてきた人々の行動や感情を捉えるために、アクションやクライムサスペンスといった、私にとっては珍しいジャンルに挑戦することになったのです」

「改革開放」とは、中国が鄧小平の指導の下で始めた国内改革と対外開放の政策を指す。80年代、市場経済への移行にかじを切った中国は、89年の天安門事件による失速をはさんで、92年以降、急速に経済改革を推し進めて高成長を実現すると、21世紀に入って不動産バブルに沸いた。その陰では、地域間の所得格差や、官僚の汚職、土地収用などの問題も生じていく。

ロウ監督は、こうした時代の流れを背景にしながら、クライムサスペンスやアクションの要素を織り交ぜ、濃密な男女の愛憎劇を描いたのだ。

物語は不動産業者のジャン(左、チン・ハオ)、と市当局責任者のタン(右、チャン・ソンウェン)の過去にさかのぼる ©DREAM FACTORY, Travis Wei
物語は不動産業者のジャン(左、チン・ハオ)、と市当局責任者のタン(右、チャン・ソンウェン)の過去にさかのぼる ©DREAM FACTORY, Travis Wei

物語の「現在」は2013年。広州市にある“都会の村”で、立ち退きの賠償に不満を抱いた住民たちが暴動を起こす。その夜、付近で市当局の責任者タンが遺体で発見された。ビルからの転落死だった。事件性を疑うヤン刑事の捜査線上に浮かんだのは、地元の開発事業を一手に握る有力不動産業者のジャン。ヤンは捜査の過程で、ジャンのビジネスパートナーだった台湾人女性アユンが謎の失踪を遂げていたこと、さらにはジャンが死亡したタン、その妻リンと1989年に出会っていたことを突き止める。捜査は複雑にからみ合った人間関係に入り込んでいく―。

アクションシーン満載のクライムサスペンス ©DREAM FACTORY, Travis Wei
アクションシーン満載のクライムサスペンス ©DREAM FACTORY, Travis Wei

ロウ監督が劇映画を作る前提にあるのは、あくまでエンターテインメントとして結実させること。その上で「土地のリアリティをフィクションに取り込みたい」という強い思いがあった。手持ちカメラや監視カメラの映像を効果的に使い、ドキュメンタリー的な手法を用いたのもそのためだ。

その思いはエンドロールにも表れている。有名写真家たちが撮影した当時の記録写真が、劇中の場面と並列に登場する。写真と同じようなシチュエーションが映画で再現されていることが、観客に一目で分かる構成となっている。

「改革開放後に様変わりする人間模様の瞬間瞬間を、写真家たちが逃すことなくカメラに収めてくれていたからこそ、私たちはいまもこうして足跡を振り返ることができるわけです。エンドロールには、スペシャルサンクスという形で写真家たちのクレジットを入れました。撮影者と写っている人々に敬意を表したかったんです」

タンの妻リン(中央、ソン・ジア) ©DREAM FACTORY, Travis Wei
タンの妻リン(中央、ソン・ジア) ©DREAM FACTORY, Travis Wei

製作と検閲、二重の困難

このエピソードからも、ロウ・イエが広州における再開発の死角となったシエン村で撮影することにこだわった理由が分かる。しかしその実行は決して容易ではなかったようだ。シエン村は、市当局も管理しきれず、十分な立ち退き料をもらっていないとする住民がいるなど、混沌とした状況にあった。立ち退きを拒否する住民の中には、映画になることを嫌がる人もいれば、映画を通じて状況を世界に知ってほしいと考える人もいた。

そのあたりの経緯については、今回『シャドウプレイ【完全版】』と同時に公開されているメイキングフィルム『夢の裏側』にくわしい。ロウ・イエの妻であり、共同脚本家でもあるマー・インリーが監督した。

タンとリンの娘ヌオ(マー・スーチュン) ©DREAM FACTORY, Travis Wei
タンとリンの娘ヌオ(マー・スーチュン) ©DREAM FACTORY, Travis Wei

『シャドウプレイ』は2016年にクランクインし、ロケーションの許可取りや、キャストのスケジュールなどでたびたび困難な状況に陥りながらも、17年春に完成した。

しかしそこからさらに難関が待ち受けていた。当局の検閲だ。北京市映画関係部署の審査に入ると、通常2カ月以内で上映の可否が出るところ、およそ2年にわたり繰り返し修正を迫られることになったという。そのやりとりは中国本土での劇場公開直前まで続いた。

「映画が完成しても監督には最も手ごわい仕事、検閲への対応がある」
『夢の裏側』で、ロウ・イエが険しい表情で語る。それは、シエン村での撮影における核心ともいうべき住民たちの暴動シーンを削除せよという、受け入れ難い指示に対する怒りの表れだった。

映画『シャドウプレイ【完全版】』の序盤に展開するシエン村のリアルな暴動シーン ©DREAM FACTORY, Travis Wei
映画『シャドウプレイ【完全版】』の序盤に展開するシエン村のリアルな暴動シーン ©DREAM FACTORY, Travis Wei

過去に中国国内での上映を諦めたこともあるロウ・イエが、本作では2年も粘り強く交渉した裏には、こんな理由がある。

「この映画に映し出されているのは、改革開放30年を必死で生きてきたわれわれ自身の姿でもあります。だからこそ、中国の観客にどうしても観てほしかったのです」

検閲が厳しいのは、当局が「ロウ・イエ作品に国民の感情を動かす力がある」と恐れているからにほかならない。しかし本人は「良くも悪くも、映画には今日、かつてほどの強い力はない」と考えている。当局の反応は過剰であり、恣意的でもあると。

「2006年頃からの私の作品に対する検閲の状況を振り返ってみると、時には引き締め、時には少しだけ緩め……の繰り返しでした。ただ、たまに緩くなることがあっても、検閲があること自体は変わらない。何がデリケートな問題で、何を撮ってはいけないのか、その明確な基準が誰にも分からないからこそ、私たちは常に困惑しているのです」

映画製作の舞台裏を細かく記録した『夢の裏側』 ©DREAM FACTORY Limited(Hong Kong).
映画製作の舞台裏を細かく記録した『夢の裏側』 ©DREAM FACTORY Limited(Hong Kong).

『夢の裏側』には、現場に関わるすべてのスタッフ・キャストと綿密にコミュニケーションを取り、それぞれの自由を最大限に尊重しながら現場を動かしていくロウ・イエの姿が映し出されている。どんな困難に見舞われようとも、自身の撮りたいものを形にしよう、関わった人々の熱意を実現しようという不屈の姿勢が伝わってくる。

「検閲や資金繰りなど、次から次へと発生する様々な問題に対処していかなければならないのが映画作りだと思っています。予測不能なトラブルは付き物ですが、どんな場面でも、監督である私が判断しなければなりません。映画製作には、押さえるべきツボがあるんですよ」

『シャドウプレイ【完全版】』と『夢の裏側』をあわせて鑑賞すれば、まざまざと思い知らされるはずだ。ロウ・イエという映画監督がいかに偉大な表現者であるか。そして同時に、いかに壮大なプロジェクトのリーダーにふさわしい、冷静かつタフな精神の持ち主であるか。

インタビュー撮影=花井 智子
取材・文=渡邊 玲子

バナー写真:第20回東京フィルメックスのオープニング作品『シャドウプレイ』の上映で来日したロウ・イエ監督(東京、2019年11月)

作品情報

©DREAM FACTORY, Travis Wei
©DREAM FACTORY, Travis Wei

シャドウプレイ【完全版】

  • 監督:ロウ・イエ(婁燁)
  • 出演:ジン・ボーラン(井柏然) ソン・ジア(宋佳) チン・ハオ(秦昊) マー・スーチュン(馬思純) チャン・ソンウェン(張頌文) ミシェル・チェン(陳妍希) エディソン・チャン(陳冠希)
  • 製作国:中国
  • 製作年:2019年
  • 配給:アップリンク
  • 上映時間:129 分
  • 公式サイト:https://www.uplink.co.jp/shadowplay/index.html

夢の裏側

  • 監督:マー・インリー(馬英力)
  • 製作国:中国
  • 製作年:2019年
  • 配給:アップリンク
  • 上映時間:97分

新宿 K’s cinema、池袋シネマ・ロサ、UPLINK吉祥寺ほか全国順次公開中

予告編

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