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映画『同じ下着を着るふたりの女』:毒母と娘の葛藤が映し出す社会 新鋭キム・セイン監督に聞く

Cinema

子どもを支配し、抑圧し、有害な影響を与える親を「毒親」と呼ぶようになって久しい。第26回釜⼭国際映画祭で5部⾨に輝いた映画『同じ下着を着るふたりの女』も、いわゆる“毒親もの”に数えられる一作だ。これが長編映画デビューとなったキム・セイン監督は、息詰まる母娘の関係性と空気を真摯(しんし)に描くことで、そうした問題を生み出す現代社会そのものを静かに挑発する。誰を擁護することもなく、また誰にも同情しない、ストイックで切実な創作への思いを聞いた。

キム・セイン KIM Se-in

聖潔大学校演劇映画学部及び韓国映画アカデミー(KAFA)で学ぶ。短編 『Hamster』(2016)のチョンジュ国際映画祭出品を皮切りに、短編『Container』(18)ではソウル独立映画祭(SIFF)で審査員賞を受賞するなど注目を集める。韓国映画アカデミーの卒業制作として製作された『同じ下着を着るふたりの女』(21)で⻑編デビュー。21 年釜山国際映画祭に出品し、ニュー・カレンツ賞や NETPAC 賞など5つの部門で受賞。その後同作はベルリン国際映画祭のパノラマ部門にも選出された。(Photo : ©Challan Film)

家族とは密室である。“家”というごく限られた空間で、あまりにも長い時間をともに過ごす中で、外からは窺(うかが)い知れない独自の関係性が築かれていく。だからこそ家族は特別な存在であり、時にはこの上なく厄介なものだ。その形が歪(いびつ)であればあるほどに。

20代後半のイジョンは、女手ひとつで自らを育てた母のスギョンと、団地の一室で同居生活を送っている。しかしスギョンは、娘が小さい頃から、何かあるたびに暴力をふるい、罵詈雑言をぶつける母親だった。イジョンの中に積もり積もったストレスと怒りは、ある日ひょんなことで爆発する。

向き合って食事をする母・スギョン(ヤン・マルボク、左)と娘・イジョン(イム・ジホ)
向き合って食事をする母・スギョン(ヤン・マルボク、左)と娘・イジョン(イム・ジホ)

きっかけは、2人がいつものごとくスーパーの駐車場で口論になったこと。感情のまま暴力をふるう母に耐えきれず、イジョンは車を降りる。ところが怒りが収まらない母は、そのまま車を動かして娘を撥(は)ねてしまった。母は⾞の急発進による事故だと説明するが、イジョンは故意の行動だと確信。母を相手取っての裁判に踏み切る。

激しくいがみ合う母娘だったが、奇妙なことに、それでも夜になると同じ部屋に帰ってきた。2人の関係は修復不可能なほど綻(ほころ)んでいるが、やがて娘・イジョンは職場の優しい同僚・ソヒを頼るようになり、母・スギョンも恋人・ジョンヨルとの再婚に向けて動きはじめる。母と娘は自分の人生を歩みだすように見えたが、長年にわたる両者の関係はそれぞれの人生に暗い影を落としており……。

どれだけ暴力をふるわれても、娘は家を離れようとしない
どれだけ暴力をふるわれても、娘は家を離れようとしない

下着が象徴する母娘関係

一緒にいれば傷つける/傷つけられる、だからといって離れることもできない。歪に築かれた母娘関係と、両者の抜き差しならない確執を、新鋭キム・セイン監督は淡々とした筆致と濃密な心理描写を両立しながら、じっくりとスクリーンに焼きつけていく。

まず驚かされるのはファーストシーンだ。娘が下着を手洗いしていると、電話しながら用を足していた母が、まだ脱いだばかりの下着をその中に放り込んで去る。邦題が示しているように、本作のキーワードは「下着」。スギョンとイジョンの母娘関係を下着が象徴するというアイデアは、監督の実体験から着想されたものだという。

キム・セイン監督
キム・セイン監督

「この母娘は共依存関係にあり、相手と自分を同一視しています。互いの人生を区別できず、同じ歴史を共有している感覚があるんですね。そういう関係をモノで表現したいと考えた時、私と母親がほんの数年前まで下着を共有していたことを思い出しました。自分たちだけの習慣かと思ったら、友人たちも同じ経験をしていたんです。もちろん旅行中や洗濯物が乾かない時だけで、いつもそうしているわけではないですが……。男性に聞くと、父と息子は下着を絶対に共有しないというので驚きました」

ベッドに横たわる母。彼女の胸中にも複雑な思いがある
ベッドに横たわる母。彼女の胸中にも複雑な思いがある

1992年生まれのセイン監督は、主人公であるイジョンとまさしく同世代。もしや実体験をそのまま映画化したのだろうか……とも思わされるが、本作はいわゆる半自伝的映画、あるいは自らの人生に基づく映画ではないという。

「私にも母との関係が悪かった時期があり、それで独り立ちしましたが、この映画が全て事実の通りだとも、スギョンと私の母が同じ人間だとも言えません。母に似せたのは外見の部分で、衣装には母の服をそのまま使いましたし、化粧品も一部は母のもの。それから『私と同じように娘を産み、育ててみなさい』という台詞も母の言葉です。しかし私だけでなく、韓国の女性なら、一度はそんな言葉を親から聞かされたことがあると思います」

独特の親子関係を冒頭で示してからまもなく、物語は全ての引き金となる、先述した駐車場での事件の場面に移る。本作はエピソードを積み重ねて親子の歴史を語るのではなく、事件後の時間に焦点を合わせるのだ。「この映画は過去の物語ではなく、これからの彼女たちの選択を描いた物語です。別れを選ぶのか、それとも一緒にいつづけるのか」とセイン監督は語る。

仲睦まじそうに寄り添う母と娘だが……
仲睦まじそうに寄り添う母と娘だが……

あらゆる立場や世代をフラットに見つめる

これは事実の映画化ではない、という姿勢は登場人物のフラットな描き方にも表れている。母・スギョンは決して暴力的に娘を抑圧するだけの女性ではなく、恋人のジョンヨルには全く別の表情を見せる。その一方、娘・イジョンは観客の同情を誘うが、心を許した同僚・ソヒには迷惑としか言えない行動を取るのだ。“登場人物の誰にでも共感できる、しかし誰にも共感しきれない”というバランス感覚にこそ、卓越した筆力と演出力が見て取れる。

「登場人物をなるべくドライに、かつフェアに描きたいと考えました。わざわざ(描写に)偏りをつくってしまうと、ただ自己憐憫(れんびん)に溺れているような人々になりかねないし、映画自体も非常に狭量な作品になりかねません。そこで、どの人物にも良い面があるけれど、失敗もするし、悪い面もあるというふうに描こうと思ったのです。誰かを無条件に良い人として描くのではなく」

スギョンと恋人のジョンヨル(ヤン・フンジュ)
スギョンと恋人のジョンヨル(ヤン・フンジュ)

意外にも、劇中で母娘が直接対面するシーンはそれほど多くない。2人にはそれぞれの時間や仕事があり、娘にはソヒとの、母にはジョンヨルとの関係があるからだ。「これはイジョンの物語であり、スギョンの人生を描いた物語でもある」とセイン監督が言うように、時折示唆される母親の過去も、彼女という人間をより複雑なものにしている。

「スギョンの世代は、出産や結婚、仕事、そして家族を養うことが本当に大変だった時代を生き、若い頃から社会の一員としての役目を担っていました。けれどもイジョンの世代は、私の友人たちも半分以上が親と同居していますし、社会人としての自分を受け入れることが遅れがちです。世代間の対立は確かにあり、ひとりの大人になっていることと、まだ子どもでいることの違いも、(母娘の)葛藤の理由として表れていると思います」

イジョンと同僚のソヒ(チョン・ボラム、左)
イジョンと同僚のソヒ(チョン・ボラム、左)

連帯は可能か

こうしたフラットかつドライな目線は、人物だけでなくこの社会そのものにも向けられている。助けを求めようにも求められない空間で、母からの暴力を受け続けてきたイジョンは被害者に他ならないが、彼女にどんな救済がありうるのかにも監督は至極慎重だ。

イジョンは自らの現状を周囲に表明するが、職場の人々はそれを冗談扱いする。また、彼女の救世主となりうるソヒにも自分自身のシリアスな事情があった……。あらゆる暴力や差別の問題に対し、世界的に近年重要視されている“連帯”の可能性にさえ、本作はまるで問いを突きつけるかのよう。人々がともに立ち上がって問題を解決するという模範解答は、この物語には一切用意されていない。

「現実の私はそこまでドライな人間じゃないですよ(笑)。ただし創作の上で脚本を書くことは、人物を通じて愛を見つめること。彼女たちの人生を生きるように執筆したいですし、その中では切り捨てるべきものもあれば、過去を振り返らず前進することもあります。そして“連帯”という点で言えば、私は他者と連帯する前に、まずはそれぞれが自分自身や自らの信念に向き合うべきだと思うのです。私の周囲にも、まだ自己を確立できていないまま、組織や友人たちに連帯する人がたくさんいました。だからこそ今回は、まず自己を見つめ、ひとりの人間として立つことを大切に描きたかったんです」

母とその友人。彼女たちの関係も一筋縄ではいかない
母とその友人。彼女たちの関係も一筋縄ではいかない

ひとつの事件と裁判をきっかけとして、母娘はそれぞれの人生にどんな決断を下すのか。そして、彼女たちの人生には何が待っているのか……。この物語を通じて、セイン監督は、児童虐待や家庭内暴力をめぐる加害・被害を超えた問題についての議論が行われることも願っている。

「家庭で起こる児童虐待の問題は、誰か一人を悪人扱いして解決できる問題ではないと私は考えています。家庭内暴力や、ある関係性における暴力は、一人の責任ではなく、むしろシステム的なものによって引き起こされるもの。だからこそ、単純な善悪で人間を描かないよう心がけました。人々を魅力的に描くことができれば、“なぜこの人たちの間でこんな出来事が起こるのか? その時、どんなシステムが駆動しているのか?”という面に目を向けてもらえるはずだと信じて作った映画です。日本の皆さんにどう受け止めていただけるのか、とても楽しみにしています」

取材・文=稲垣 貴俊

作品情報

  • 出演:イム・ジホ、ヤン・マルボク、ヤン・フンジュ、チョン・ボラム
  • 監督・脚本:キム・セイン
  • 撮影:ムン・ミョンファン
  • 音楽:イ・ミンフィ
  • 製作年:2021年
  • 製作国:韓国
  • 上映時間:139分
  • 配給:Foggy
  • 公式サイト:https://movie.foggycinema.com/onajishitagi/
  • 5/13(土)よりシアター・イメージフォーラムほかにて公開

予告編

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