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映画『1秒先の彼』:台湾から京都へ、山下敦弘×宮藤官九郎の大胆かつ忠実な読み替え

Cinema

台湾で人気を博したラブストーリー『1秒先の彼女』が、舞台を京都に置き換え、登場人物の性別を逆転させて日本でリメイクされた。映画『1秒先の彼』は、監督・山下敦弘、脚本・宮藤官九郎という強力な顔ぶれによる野心的な翻案作。当代きってのフィルムメーカーふたりは、台湾のファンタジックな恋物語をいかに読み替えたのか。

台湾発、奇妙な恋物語が日本へ

2020年製作の台湾映画『1秒先の彼女』は、人よりもワンテンポ早い郵便局員・シャオチーと、人よりもワンテンポ遅いバスの運転手・グアタイの物語。人気のダンス講師・ウェンソンに思いを寄せるシャオチーは、“七夕バレンタイン”(注:旧暦7月7日)にデートをすることになるが、ふと気づくと、既にその1日は過ぎ去っていた。バレンタインは一体どこに行ったのか、失った1日にいったい何が起こったのか?

台湾映画『1秒先の彼女』の主人公、郵便局員のシャオチー(左、リー・ペイユー)とバス運転手のグアタイ(リウ・グァンティ)©MandarinVision Co, Ltd.
台湾映画『1秒先の彼女』の主人公、郵便局員のシャオチー(左、リー・ペイユー)とバス運転手のグアタイ(リウ・グァンティ)©MandarinVision Co, Ltd.

「時間」をめぐるファンタジー・ラブストーリーである『1秒先の彼女』を手がけたのは、『熱帯魚』(1995)や『ラブ ゴーゴー』(97)で台湾ニューシネマの異端児として脚光を浴びたチェン・ユーシュン。本作は「台湾のアカデミー賞」として知られる金馬奨で作品賞ほか5部門に輝くなど高い評価を受け、2021年の日本公開時にも映画ファンを中心に話題を呼んだ。

日本版リメイク『1秒先の彼』の監督を務めた山下敦弘も、この『1秒先の彼女』に心酔した人物のひとり。当初はどのようにリメイクすべきか悩んだが、脚本に宮藤官九郎を迎え、「主人公ふたりの性別を逆転させる」「京都を舞台にする」というアイデアから突破口を見出したという。

ワンテンポ遅いレイカ(清原果耶)と、キーパーソンとなるバス運転手(荒川良々) ©2023『1秒先の彼』製作委員会
ワンテンポ遅いレイカ(清原果耶)と、キーパーソンとなるバス運転手(荒川良々) ©2023『1秒先の彼』製作委員会

郵便局員のハジメ(岡田将生)は、人よりもワンテンポ早い男。ある日、路上ミュージシャン・桜子に惹かれたハジメは、宇治川花火大会に出かける約束をするも、バスに乗り込むや、再び自宅の布団に戻されてしまっていた。気づくと、その日は花火大会の翌日。消えた1日を探るうち、ハジメは町の写真展で見覚えのない自分の写真を見つけた。どうやら、郵便局を毎日訪れる、人よりもワンテンポ遅い大学生・レイカ(清原果耶)が何かを知っているらしい……。

宮藤官九郎の脚色がもたらしたもの

ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(00)や『流星の絆』(08)、映画『GO』(01)『ピンポン』(02)など、数々の小説やコミックの映像化作品で脚本を執筆してきた宮藤にとって、既存作品のリメイクを手がけるのは本作が初めて。男女逆転という仕掛けを施してはいるものの、物語の筋はもちろんオリジナル版に忠実。前半と後半で視点が変化し、やがて真相が明かされるストーリーは原作通りだが、宮藤にとっては『木更津キャッツアイ』シリーズなどで手慣れた構造とあって、彼らしい語りの技巧と遊び心が冴える。

もっとも本作の場合、宮藤による脚色の味わいは、(揃いも揃って個性的な)登場人物たちの性格や生活の描写に表れた。ハジメの“顔100点、性格0点”と元恋人に言わしめる内面、仕事に満足も不満もないが自己肯定感は低いという人物像、同居している妹カップルとの距離感、家族との関係、京都という街への視線。そして、オリジナル版以上に丹念に描きこまれた周囲の人々の存在感が、台湾で生まれた奇妙な恋愛譚(たん)を現代日本の日常に着地させるのだ(役柄に命を吹き込む俳優陣の好演は言うまでもない)。

ハジメの妹(片山友希)とその彼氏(しみけん)が、ハジメの人物像をユーモラスに際立たせる ©2023『1秒先の彼』製作委員会
ハジメの妹(片山友希)とその彼氏(しみけん)が、ハジメの人物像をユーモラスに際立たせる ©2023『1秒先の彼』製作委員会

舞台を京都に置き換えたゆえの変換もユニークだ。『1秒先の彼女』では“DJモザイク”だったラジオパーソナリティは、『1秒先の彼』では笑福亭笑瓶に。ハジメ/シャオチーの失踪した父親が買いに出たものは、豆花(トンファ)からパピコに。そして、ハジメ/シャオチーとレイカ/グアタイが出かける場所は、台中の漁村・嘉義県から日本三景のひとつ・天橋立に……。オリジナル版にはなかった要素を時折加えながら、物語は独特のリズムで転がってゆく。クライマックスの種明かしには独自の解釈が込められ、失踪した父(加藤雅也)のエピソードにもほろ苦さがにじんだ。

オリジナル版『1秒先の彼女』へのリスペクト

監督の山下と、脚本の宮藤は、もともとそれぞれが特徴的なリズム感をもつ作り手だ。時に「オフビート」という言葉で形容される山下演出のテンポと、スピード感あふれる展開や台詞(せりふ)が注目される宮藤脚本のテンポは、劇中のハジメとレイカよろしく“どこかズレている”が、その結果、奇しくもチェン・ユーシュンのオリジナル版に近い時間感覚になったのが本作の面白みのひとつ。異色のコラボレーションが生んだ奇跡だろう。

ワンテンポ早いハジメ(岡田将生)だが、ラジオ好き&町家暮らしという、どこかまったりとした設定 ©2023『1秒先の彼』製作委員会
ワンテンポ早いハジメ(岡田将生)だが、ラジオ好き&町家暮らしという、どこかまったりとした設定 ©2023『1秒先の彼』製作委員会

ラブストーリーであり、ファンタジーであり、一種のミステリーでもある本作を、山下はオリジナル版への敬意を詰め込んで演出した。『1秒先の彼女』は、台北の都市の街並みから、嘉義県・東石に向かう美しい風景までを切り取った一種の観光映画だが、この『1秒先の彼』もまた、京都市内や天橋立などの風景を、その地に流れる時間のゆるやかさを映像に刻み込んでいる。

もちろん、京都と台湾は街そのものがよく似ているわけではない。しかし、日本統治時代を含む近現代史の厚みが建築に残る台湾と、千年にわたる歴史の層を土地に残した京都は、もしかすると近い関係にあるのかもしれない……そんなことさえ、本作は教えてくれるかのようだ(少なくとも、映画を観ている間はそのように思わせてくれる)。ちなみに劇中では、『1秒先の彼女』のテーマ曲「我的一秒比你長 My Second is Longer than Yours」も効果的に使用され、オリジナル版から継承した“のんびりとした”映画の精神を表現する。

レイカの持つカメラには、時間そのものが記録されていく ©2023『1秒先の彼』製作委員会
レイカの持つカメラには、時間そのものが記録されていく ©2023『1秒先の彼』製作委員会

本作は第25回台北映画祭のガラ・プレゼンテーション部門に正式出品され、本国の観客にも温かく受け入れられたという。「オリジナル版とリメイク版、どちらを先に観るか?」という疑問はしばしば起こるものだが、まだ『1秒先の彼女』を観ていない方は、先に『1秒先の彼』からこの物語に触れるもよし。これはまぎれもなく、日本で、山下敦弘・宮藤官九郎という顔合わせでリメイクした意味のある一作だ。

©2023『1秒先の彼』製作委員会
©2023『1秒先の彼』製作委員会

作品情報

  • 出演:岡田 将生 清原 果耶 荒川 良々 福室 莉音 片山 友希 加藤 雅也 羽野 晶紀
  • 監督:山下 敦弘 
  • 脚本:宮藤 官九郎 
  • 原作:『1秒先の彼女』(チェン・ユーシュン)
  • 製作:『1秒先の彼』製作委員会
  • 制作プロダクション:マッチポイント
  • 製作幹事・配給:ビターズ・エンド
  • 製作年:2023年
  • 製作国:日本
  • 上映時間:119分
  • 公式サイト:https://bitters.co.jp/ichi-kare/
  • 7月7日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

予告編

バナー写真:映画『1秒先の彼』の主人公ハジメ(岡田将生)とレイカ(清原果耶)©2023『1秒先の彼』製作委員会

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