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『アンダーカレント』:多作な映画監督・今泉力哉と寡作な漫画家・豊田徹也の出会い

Cinema 漫画

映画『アンダーカレント』は、豊田徹也の同名漫画の実写化。監督の今泉力哉は2019年の『愛がなんだ』以降11作目と勢いに乗り、自然体で繊細な人物描写に定評がある。原作者と直接会って映画化にこぎつけたエピソードや、撮影現場での姿勢など、マイペースに見えて細やかな気遣いにあふれる監督の一面に迫った。

今泉 力哉 IMAIZUMI Rikiya

1981年生まれ、福島県出身。2010年、『たまの映画』で商業監督デビュー。2013年、『サッドティー』が東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門に出品され、高い評価を受ける。2019年、『愛がなんだ』が大ヒットを記録。2023年、Netflix映画『ちひろさん』を手がけ、世界配信と劇場公開を同日に行う。その他の主な作品に『his』(20)、『あの頃。』(21)、『街の上で』(21)、『猫は逃げた』(22)、『窓辺にて』(22)など。最新作として、漫画「からかい上手の高木さん」の実写化を手がけることが発表されている。

豊田徹也の漫画『アンダーカレント』は、2004年10月から1年にわたり「月刊アフタヌーン」(講談社)に連載された作品。05年11月に刊行された単行本は、23年6月に18刷を数える。

09年にはフランスで出版され、アングレーム国際漫画祭でオフィシャルセレクションに選出。そんな国を越え長きにわたって読み継がれる傑作が、今泉力哉監督の手で実写映画化された。

映画『アンダーカレント』。銭湯「月乃湯」を経営するかなえ(真木よう子)。夫・悟(永山瑛太)はある日突然いなくなった ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会
映画『アンダーカレント』。銭湯「月乃湯」を経営するかなえ(真木よう子)。夫・悟(永山瑛太)はある日突然いなくなった ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会

主人公は父から受け継いだ銭湯を夫と経営する「かなえ」。夫の悟(さとる)はある日、銭湯組合の旅行先で行方をくらましてしまう。しばらく銭湯を閉めていたが、働き手を募集し、営業を再開する。組合からの紹介でやってきたのは堀という人物。仕事熱心だが、口数が少なく、どこか陰のある男だった。やがて、かなえは友人に探偵を紹介され、夫の消息を探ってもらうことになる──。

当初から読者の間では映画のようだと評判だった作品。普段から漫画に限らず小説も自らすすんで読む方ではないという今泉も、一気に引き込まれた。

「シンプルにすごく面白かった。でも面白い分、むずかしい。どう実写化するのか迷った。でもやりたいと思いました」

かなえは大学時代の友人・菅野(江口のり子)と再会し、探偵を紹介される ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会
かなえは大学時代の友人・菅野(江口のり子)と再会し、探偵を紹介される ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会

雨に打たれラジオで話す

実際、映画化の企画はこれが初めてではない。過去に数回浮上したものの、原作者の許諾という壁を超えられなかった。作者の豊田は03年にデビューしたが、20年間で発表したのは10作あまりと寡作で、『アンダーカレント』が唯一の長編。メディアに登場することもない謎めいた存在だ。

今回、何度目かになる『アンダーカレント』映画化の話は、双方にとって決してよいタイミングではなかった。というのも豊田は、村上春樹の短編小説集『一人称単数』の装画を描いている時期で、映画の話どころではなかったのだ。

返事がないまましばらくして、ある日突然、豊田から今泉に直接「2人で会いませんか」というメッセージが送られてきた。

きっかけはテレビを持たない豊田が、今泉の声をラジオでたまたま聞いたこと。その日、ある番組にリモートでゲスト出演した今泉だったが、家のWi-Fi状況が悪く、公園でパソコンを開き、スタジオとつないでいた。豊田は雨に打たれて話す今泉の「情けなさそうな声」を聞き、彼の映画を観てみようと思ったという。

「豊田さんに会って最初に『映画化して面白くなると思いますか?』と訊かれたんですが、俺も『面白くします!』みたいに言うタイプじゃないから、『ホントですよね…』ってとこから始まって(笑)。結局4時間くらいお茶しながら、いろんな話をさせてもらいました」

原作の登場人物を思う

近年の日本映画界でも指折りの多作な監督である今泉。対するは、アシスタントをつけて作品を量産する売れっ子漫画家とは程遠い、思索家タイプと思われる豊田。15歳も年の離れた2人にどんな共通点があったのだろうか。

「2人とも、喜怒哀楽を当たり前に出せない人にしか表現できないものがあると信じている側かなと。例えば、誰かの悩みを描くとき、創作物って、どうしても大きな問題をドンと作って、それを乗り越えるとか、そういう感じで話を作りがちなんですけど、俺は悩みとか葛藤の山を小さくしたいというのがあって、そのへんの感覚は近いと思いましたね。この作品の芯にある孤独とか淋しさ、それはマイナスなことじゃないんだと」

かなえは夫の失踪後、銭湯組合から紹介された堀(井浦新)を頼りにする ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会
かなえは夫の失踪後、銭湯組合から紹介された堀(井浦新)を頼りにする ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会

豊田本人は「そんなこと言ったかな?」という反応らしいが、今泉の印象に残っているのは、「原作のファンと登場人物が嫌な思いをしないものにしてください」という言葉だった。

「原作のファンを意識するのは分かりますよ。俺もずっと、実写化するなら原作者とファンが面白がれるものでないといけないと思って作ってきましたから。それを置き去りにするくらいなら、オリジナルで作ればいいわけで。でも登場人物も? これは素敵すぎるなと思いましたね」

2人の話は登場人物の仮定的な“配役”にも及んだという。そこで確認し合えたのはメジャーな文化との距離感。また、失踪したかなえの夫を探す探偵・山崎のキャラクターは、豊田がリリー・フランキーをモデルに描いたということも明らかになった。連載当時の2004年はまだリリーが本格的に俳優活動をしていなかった頃でもあり、まさか実写化された山崎を当のモデルが演じることになろうとは、作者自身が一番驚いたに違いない。

かなえが菅野から紹介された探偵の山崎(リリー・フランキー)は何とも怪しげな人物だった ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会
かなえが菅野から紹介された探偵の山崎(リリー・フランキー)は何とも怪しげな人物だった ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会

想像を超えるものを求める

キャストで企画段階から決まっていたのは、主人公かなえ役の真木よう子。真木はずっと前から原作のファンで、この役には強い思い入れがあったようだ。かなえは銭湯の常連から「気が強い」と言われるサバサバした性格の持ち主だが、実は心の奥底に、遠い過去のある出来事が引っかかっている。

「俺は知りませんでしたが、真木さんは原作を現場に持ってきていたそうで。向き合い方はそれぞれなので、やめてほしいとか別に思わないですよ。もちろん監督としては、原作とは違う見え方も考えています。生身の人間が演じるということは強度が変わってくる。そこをコントロールしなきゃいけないですから。トレースしてもいい映画にはならないわけです」

真木よう子の小さな表情の変化に、かなえの心の奥底にひそむ微妙な揺れを感じとることができる ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会
真木よう子の小さな表情の変化に、かなえの心の奥底にひそむ微妙な揺れを感じとることができる ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会

ところが監督のコントロールが及ばない部分はどうしても出てくる。真木よう子との間にはある種の緊張感があり、それが作品のトーンにも影響したという。

「当初、自分がやろうとしていたのは、もう少し軽いトーンだった。かなえは、過去にあったことを普段の生活では忘れているけど、夢に見たりして徐々に思い出していくのかなって。でも真木さんは、“決して忘れていない”、“忘れている瞬間なんて一瞬たりともない”という方向で演じてくれていたと思うんですよ。そこで作品全体の空気にある種の緊張感が保たれた。それがなかったら、ああいう重力をもった作品にはならなかったんじゃないかと。もちろん、俺も“忘れている”という言葉にはしたけど、目指している方向は同じだったので」

かなえの前に現れる謎めいた男・堀に扮した井浦新、失踪した夫・悟を演じた永山瑛太。それぞれが自分の意見をしっかりと持った俳優だからこそ、現場でのやりとりで想像を超えるものができあがっていったという。

「監督の言うことが絶対、にならない良さってあるんです。俺も一緒に考えられますから。今回のキャストって誰も器用じゃないんですよね。テクニカルな役者さんには惹かれなくて。相手と向き合っての感情でしか生まれないような芝居がいくつも見られた。こんなとき、どんな表情するのかって、俺にも分からないことが多いのですが、細かく演出しなくてもちゃんとそういう表情になっている」

クールな印象のかなえは、ある事件をきっかけに取り乱してしまう ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会
クールな印象のかなえは、ある事件をきっかけに取り乱してしまう ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会

想像していたものにならないのは、編集についても同じことが言える。

「恥ずかしい話ですけど、毎回、編集でつなげてから『あ、こういう映画なんだ』って気づくんですよね。それが最初に想像していたのよりもつまらなくなったことはないんです。やっぱり映画は多くの人の力を合わせて作ってるから」

カット割りを含め、何パターンか撮っておいて、編集段階で決めることも多いそうだ。例えば、予告編にもあるように、探偵の山崎が「人をわかるってどういうことですか?」と決め台詞(ぜりふ)を吐くくだりがある。かなえが山崎と喫茶店で待ち合せ、夫の情報を話すシーンだ。それに続いて2人が帰り道での別れ際、山崎が「あなた自身のことは彼にわかってもらえてたんですか?」と追い打ちをかける場面は、撮影はしたが編集でカットしたという。

探偵の山崎(リリー・フランキー)は見かけによらず、なかなかの切れ者だった ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会
探偵の山崎は見かけによらず、なかなかの切れ者だった ©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会

もちろん、ある部分を編集で削る場合、理由はさまざまだろう。ここは原作ではコマを大きく使って描かれた箇所だった。「決め」の場面を続けて2度も作ることに抵抗があったのかもしれない。

「それもあるし、まあ喫茶店のかなえの表情がよかったので。そのまま家に帰れるな、と。これは撮ってつないでみないと分からないので。あと、決め台詞を寄りで撮るとか、音楽であおるとか、そういう手で感動させるのは極力やらないですね。自分で全部決めていいなら絶対やらない。俺自身がそれに感動しないので。企画によってはプロデューサーの意向を汲んで、それをしなけれないけない時もある。プロデューサーとは毎回いろんな戦いをしていて楽しいです。この映画に関しては、かなり好きにやらせてもらえましたね」

信じて身を委ねる

本作は全体として、セリフも含め原作にかなり忠実という印象だが、ラストシーンはなかなか大胆にアレンジしてある。

「原作が完璧なラストなので、そのまま描くか、何か追加するか、迷いました。毎回、作品を撮る前には、なにか参考になりそうな映画を見直して、温度とかトーンの参考にするんですが、今回は不穏さとか緊張感のある映画が多いダルデンヌ兄弟の作品を見返しました。特に『イゴールの約束』(1996)のラストカットを見て、ラストシーンを思いつきました。あと、漠然としたイメージとしてブランキー・ジェット・シティの『水色』という曲をずっとテーマ曲のように聞きながら脚本を書きました」

タイトル(アンダーカレント=底流)にも表れているように、銭湯という舞台をはじめ、本作は水というモチーフが全編に流れている。水中撮影にも初めて取り組んだ。

「映像で何かを表現するみたいなことは、苦手というか、経験として少なすぎて、ほぼカメラマンにお任せでした。オリジナルの日常劇だったら、本当は回想シーンも使わずに淡々と描きたいんですけどね。トーンの暗さもあって、今までで初めてと言っていいくらい、この映画がどういう作品なのか、俺自身がまだ分かっていないんですよ」

©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会
©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会

今泉力哉は、さまざまな迷いに揺れながら、キャストとスタッフとの対話を通じて、変化の過程を楽しむように映画作りをする監督のようだ。そして今回は特に、原作者である豊田との信頼関係があったからこそ乗り越えられたことも少なくなかった。

「豊田さんは、基本的には全部、今泉くんに任せると言ってくれていたので、すごくありがたかったです。とはいえ脚本でも、撮影現場でも、悩んだときには相談に乗ってもらいました。直接やりとりできたので、『ちょっと分かんない部分が出てきちゃったんですけど~』って。公開にあわせて発表された豊田さんのコメントも真摯で、軽々しく『絶対面白いです』みたいなことは言わず、原作ファンと作り手の両方へのリスペクトが感じられて。多作じゃない理由も分かりますよね。とんでもないこだわりで物を作っているんだなって」

撮影:五十嵐 一晴
取材・文:松本 卓也(ニッポンドットコム)

©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会
©豊田徹也/講談社 ©2023「アンダーカレント」製作委員会

作品情報

  • 出演:
    真木 よう子 井浦 新 リリー・フランキー 永山 瑛太
    江口 のりこ 中村 久美 康 すおん 内田 理央
  • 監督:今泉 力哉
  • 音楽:細野 晴臣
  • 脚本:澤井 香織 今泉 力哉
  • 原作:豊田 徹也『アンダーカレント』(講談社「アフタヌーンKC」刊)
  • 配給:KADOKAWA
  • 製作年:2023年
  • 製作国:日本
  • 上映時間:143分
  • 公式サイト:https://undercurrent-movie.com/
  • 新宿バルト9ほか全国絶賛公開中!

予告編

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