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映画『PERFECT DAYS』:ヴィム・ヴェンダースと役所広司、トイレから生まれた奇跡の出会い

Cinema 美術・アート

2023年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、主演の役所広司が最優秀男優賞を受賞した映画『PERFECT DAYS』。世界的な名匠ヴィム・ヴェンダースが、東京に暮らす公共トイレ清掃員の日常を細やかに、優しく見つめた映像詩だ。映画史に刻まれたヴェンダースと役所の奇跡的なタッグのきっかけには、意外なプロジェクトとその仕掛け人たちの発想、熱意、行動力があった。

初めにトイレありき

映画監督として50年以上のキャリアを築き、世界三大映画祭の常連となり、数々の賞に輝いてきたドイツの名匠、ヴィム・ヴェンダース。敬愛する小津安二郎をテーマにしたドキュメンタリー『東京画』(1985)や『夢の涯てまでも』(91)の一部を東京で撮ったことがあるなど、これまでも日本には浅からぬ縁があった。

そのヴェンダースに、久しぶりにまた東京で映画を撮ってもらおうと考えた人たちがいた。「ユニクロ」などを展開するファーストリテイリング社取締役の柳井康治と、クリエイティブディレクターの高崎卓馬である。

代々木公園に近い「はるのおがわプレーパーク」にある坂茂(建築家)設計のトイレ。使用中はガラスが不透明になる(撮影:永禮賢、提供:日本財団)
代々木公園に近い「はるのおがわプレーパーク」にある坂茂(建築家)設計のトイレ。使用中はガラスが不透明になる(撮影:永禮賢、提供:日本財団)

発案の元には、柳井が個人のプロジェクトとして、日本財団と渋谷区に協力を仰いで進めてきた「THE TOKYO TOILET」(以下、TTT)があった。東京オリンピック・パラリンピックの開催を機に、区内にある17の公共トイレを世界的建築家やデザイナーの設計で刷新するプロジェクトだ。

ネガティブな「4K」(汚い・臭い・暗い・怖い)のイメージが付きまとった公共トイレを斬新なデザインで作り変え、新たな価値を創出したTTT。しかしこれらのトイレを美しいまま保つには、清掃員たちの日々の作業はもちろん、利用者の意識向上も欠かせない。そんな問題を提起して柳井が高崎に声をかけ、TTTから派生したのが、人々の潜在意識に訴え、行動の変容につながるような映像作品のプロジェクトだった。

『PERFECT DAYS』ヴィム・ヴェンダース監督 ©Peter Lindbergh 2015
『PERFECT DAYS』ヴィム・ヴェンダース監督 ©Peter Lindbergh 2015

監督候補として2人から挙がった名前がヴェンダースだ。当たって砕けろとオファーした方法は、シンプルに手紙だったという。東京に新しくできた公共トイレと清掃員の物語、という以外にはあえて何も決めず、「お金のあるインディーズ映画を作ってほしい」と持ちかけた。主演に想定した役所広司という名前も、監督の心を動かす切り札になっただろう。当初の案では短編のオムニバスだったが、ヴェンダース自身が22年5月に来日して現地を見て回り、本格的な長編劇映画にすることを決めたという。

名匠が描く新しいヒーロー像

脚本はヴェンダースと高崎が共同で執筆した。役所演じる主人公は平山。『東京物語』や『秋刀魚の味』など小津の映画にしばしば登場する名前だ。平山は渋谷区のトイレ清掃員で、東京スカイツリーの見える下町の質素なアパートに一人で暮らす。

トイレ清掃の仕事に黙々と打ち込む平山(役所広司) ©2023 MASTER MIND Ltd.
トイレ清掃の仕事に黙々と打ち込む平山(役所広司) ©2023 MASTER MIND Ltd.

毎朝決まった時刻に目覚め、決まった順序で身支度を整え、ユニフォームを着込むと、清掃用具を積んだ軽自動車で渋谷区の仕事場へと向かう。仕事ぶりはバカが付くほど丁寧で、トイレの隅ずみまで徹底的に磨き上げる。若い同僚から「どうせ汚れるんだから、そこまでやる必要はないのに」と呆れられるが、口もきかずに仕事に打ち込む。

平山の同僚タカシ(柄本時生)はイライラさせる態度の若者だが、意外な一面もあった ©2023 MASTER MIND Ltd.
平山の同僚タカシ(柄本時生)はイライラさせる態度の若者だが、意外な一面もあった ©2023 MASTER MIND Ltd.

昼休みは公共トイレの1つがある代々木八幡宮の緑豊かな境内で簡単に食事を済ます。仕事を終えると銭湯で一日の汚れを洗い流し、浅草駅の地下街にある居酒屋で一杯やって夕食。アパートに帰って本を読みながら眠りにつく。

毎日この繰り返しだが、同じようでいて、少しずつ小さな変化がある。天気や気温もずっと同じではないし、同僚が必ず来るとも限らない。時に思いがけぬ出会いもある。休みの日の過ごし方や、ささやかな趣味に、平山の人柄が見えてくる。

平山はテレビもインターネットも無縁の暮らしを送る ©2023 MASTER MIND Ltd.
平山はテレビもインターネットも無縁の暮らしを送る ©2023 MASTER MIND Ltd.

完璧な日々とは

映画のタイトルは、劇中にも流れるルー・リードの『Perfect Day』という曲から取られている。ルー・リードもまたヴェンダースが敬愛したアーティストだ。小津と違って実際に交流もあった。過去に楽曲を使用したことはもちろん、映画に出演してもらったこともある。

2013年に71歳で他界したルー・リード。1966年にアンディ・ウォーホルのプロデュースでデビューし、後世のオルタナティブロック・シーンに多大な影響を与え続けるバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のフロントマンとして頭角を現した。のちにソロ活動に転じ、72年にデヴィッド・ボウイらがプロデュースした2枚目のアルバムに収録されたのが『Perfect Day』だ。

タカシが熱を上げるアヤ(アオイヤマダ)は平山のカセットで聴いたパティ・スミスの曲を気に入る ©2023 MASTER MIND Ltd.
タカシが熱を上げるアヤ(アオイヤマダ)は平山のカセットで聴いたパティ・スミスの曲を気に入る ©2023 MASTER MIND Ltd.

大切な人と過ごす週末の何でもない一日を「パーフェクト」だと歌う、美しいシンプルな愛の歌のようでありつつ、ところどころラブソングにはふさわしくない謎めいた言葉も紛れ込み、行間に人生の苦渋や悔恨、人間性の深い闇が見え隠れする。

この曲名を複数形にした映画のタイトルは、「足るを知る」平山が繰り返す何事もない「完璧な日々」を表しているのは明らかだが、ルー・リードの正しい理解者であるヴェンダースならば当然、この歌詞にひそむ人生の苛烈な裏面も見据えているはずだ。

曲は「あなたはまさに自分が蒔(ま)いたものを刈り取ることになる」という聖書の一節をアレンジしたリフレインで終わる。それは「良いことをしていれば、いつか報われる」という意味もあり、「いま置かれた状況は、過去にしたことの報いだ」という残酷な意味にもとれる。

平山がいつも公園で見かけるホームレスの男(田中泯)©2023 MASTER MIND Ltd.
平山がいつも公園で見かけるホームレスの男(田中泯)©2023 MASTER MIND Ltd.

蒔かぬ種は生えぬ

ヴェンダースが思い描いた平山という男は、古い洋楽をカセットで聴き、フィルムカメラを愛用し、世の中の流れに乗ろうとしない。そんな男なら、少ないがどこかにいそうだ。だが役所が演じると、凡庸なようでいて、誰にも似ていない人物になる。律儀だが、堅物とは違う、愛すべき人間味があふれる。そんな彼がなぜあそこまで、無欲に暮らし、自分を語らず、たいていの人が嫌がる仕事に愛情を注ぐのか。

決して調子に乗らない謙虚な平山ではあるが、日々世界的なアーティストの作品を守り、利用者を満足させ、東京のイメージアップに貢献している、などといった自負も、どこかにはあるかもしれない。しかしやはり、彼が自分を無にして仕事に打ち込む姿には、それ以上の何かを感じてしまう。ところがヴェンダースは決して平山に安易な自分語りや回想をさせない。観客は、彼の表情やたたずまいから、そこはかとなく漂う機微を読み取るだけだ。それなのにじんわりと、言いようのない切なさが胸に迫ってくる。さすがと言うしかない。

平山を訪ねてきた姪のニコ(中野有紗)。ルー・リードのファンならすぐにピンとくる名前だ ©2023 MASTER MIND Ltd.
平山を訪ねてきた姪のニコ(中野有紗)。ルー・リードのファンならすぐにピンとくる名前だ ©2023 MASTER MIND Ltd.

ロードムービーの名手が東京を舞台に、どこにも旅立たない男の日常を描く。主人公は朝、車で家を出ていくが、夕暮れ時には帰ってくる。彼が移動するのは、東京に暮らす人々には見慣れた街並みだ。そんななじみの風景が、やはりヴェンダースという旅人ならではの視点で切り取られると、新鮮な輝きを放つ。日常にふと訪れる小さな驚きが、行き先の知れぬ冒険のようにも感じられてくる。

こうして私たちが味わう感動も、元をたどればすべてトイレを作る計画から始まったと考えると面白い。「THE TOKYO TOILET」は、それだけで公共事業としては大いに野心的、創造的なプロジェクトだったが、映画の力でさらに人々の行動や記憶に作用するモニュメントとなった。もちろん清掃員たちがいて、トイレとしての実用性を果たし続けてのことだ。

映画『PERFECT DAYS』の魅力は、ヴィム・ヴェンダースと役所広司という奇跡のカップリングに多くを負っているのは確かだが、それを生んだ背景に思いを馳せると、また別の感動を覚える。ルー・リードが歌う『Perfect Day』のひねくれたリフレインが「蒔かぬ種は生えぬ」という前向きな響きにも聞こえ、平山のように空を見上げて一日を始めたくなる。

©2023 MASTER MIND Ltd.
©2023 MASTER MIND Ltd.

©2023 MASTER MIND Ltd.
©2023 MASTER MIND Ltd.

作品情報

  • 監督:ヴィム・ヴェンダース
  • 脚本:ヴィム・ヴェンダース、 高崎 卓馬
  • 製作:柳井 康治
  • 出演:役所 広司、柄本 時生、中野 有紗、アオイヤマダ、麻生 祐未、石川 さゆり、田中泯、三浦 友和
  • 製作:MASTER MIND
  • 配給:ビターズ・エンド
  • 製作年:2023年
  • 製作国:日本
  • 上映時間:124 分
  • 公式サイト:perfectdays-movie.jp
  • 12月22日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー!

予告編

バナー写真:ヴィム・ヴェンダース監督の映画『PERFECT DAYS』。主人公の平山(役所広司)と姪のニコ(中野有紗) ©2023 MASTER MIND Ltd.

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