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映画『カーマイン・ストリート・ギター』: ニューヨークを支えた「骨」からギターを作る男の話

Cinema

ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにあるギターショップ。ウィンドウを通して見ると、ちょっと時代遅れなだけのありふれた店に映るが、その奥には歴史と逸話に満ちた宝が眠っており、それに生命を吹き込む哲学者のような職人がいた。

ニューヨークのマンハッタンといえば格子状に整備された街路で知られるが、南端に近いワシントン・スクエア公園の西側に、通りが碁盤の目に沿わず斜(はす)になった地区がある。地図で見ると、そこだけひし形に浮き上がっているように見える。1811年の都市計画以前から住宅地になっていたために街路整備の対象から除外されたグリニッジ・ヴィレッジだ。

かつてはアメリカ東海岸におけるカウンターカルチャーの中心地で「ボヘミアンの首都」などと呼ばれたが、20世紀半ばからジェントリフィケーション(富裕層の流入による地価の上昇、高級化)が進み、芸術家たちが周辺地区や郊外へ去って久しい。それでも19世紀に建てられたレンガ造りの低層建築が並び、高級住宅街でありながら歴史ある村(ヴィレッジ)の佇まいを残している。

カーマイン・ストリート・ギターの店内 ©MMXVⅢ Sphinx Productions.
カーマイン・ストリート・ギターの店内 ©MMXVⅢ Sphinx Productions.

『カーマイン・ストリート・ギター』は、その一角(カーマイン通り)にある同名のギターショップの月曜日から金曜日までを追ったドキュメンタリーだ。店主のリック・ケリーは、70年代後半にヴィレッジで店を開いた後、現在の場所に居を構えてほぼ30年のギター職人。ある時期からニューヨークの建物内部に使用された木材を使ってギターを手作りするようになった。

リックによるとニューヨークの19世紀建築には、かつてこの一帯に長い年月をかけて生育した、いまやどこにもない貴重な木が使われている。それが200年近くを経て完璧に乾燥し、温もりがあって響きのよい音色を生むのだという。リックは付近の古いバーやホテル、教会の改装や取り壊しの話を聞きつけては、廃材をもらいに出かけて行く。

店の奥にストックされた古材。場所と年代が記されている ©MMXVⅢ Sphinx Productions.
店の奥にストックされた古材。場所と年代が記されている ©MMXVⅢ Sphinx Productions.

店の奥に積み上げられた古材のコレクションは、1854年に創業し、リンカーンやジョン・レノンも通ったニューヨーク最古のバー「マクソリーズ」、バワリー通りにあった売春宿で多くの自殺者を出した「マガークス」、伝説的なミュージシャンたちが定宿にした「チェルシー・ホテル」、かつて禁酒法時代のもぐり酒場(スピークイージー)で、のちにヘミングウェイや50-60年代のビートニク作家たちの溜まり場となった「チャムリーズ」など、ニューヨークの文化を育んだ歴史的な建物から取られたものばかりだ。

リックは、これらの木を「ニューヨークの骨」と呼ぶ。刻まれた傷や、こぼれた酒のしみ、こびりついたヤニ、釘の跡、火事による焦げなど、それぞれの木が体験したヒストリー、そしてストーリーを中に封じ込めるように、祖父から受け継いだ道具で1本ずつギターを作り上げる。そんな店で、ボブ・ディランは自分がこぼしたビールがしみ込んでいるかもしれないチャムリーズの木で、ルー・リードはかつて曲の題材にしたチェルシー・ホテルの木で、ギターを注文したのだ。

映画監督でバンド「スクワール」のメンバーでもあるジム・ジャームッシュ。リック・ケリーに古材でギターを作るきっかけを与え、この映画の制作を働きかけた人物 ©MMXVⅢ Sphinx Productions.
映画監督でバンド「スクワール」のメンバーでもあるジム・ジャームッシュ。リック・ケリーに古材でギターを作るきっかけを与え、この映画の制作を働きかけた人物 ©MMXVⅢ Sphinx Productions.

店には常連の有名ギタリストたちが訪れては、試し弾きをし、リックと会話を交わす。話題は音楽だけに留まらない。木について、街について、手仕事や職業について、人生そのものについて、実に控えめな言葉で語られる。その何気ない一言一言の中に、深遠な人生哲学の詩が響き、静かに心を打つ。自分の仕事に対して、周りの人に対して、本当に深い愛情を込めて接している人の姿を見るのは感動的だ。私たちがいかに人生に対する愛情に欠け、あくせくと雑に時間を過ごしているかを思い知らされる。

ジョン・ゾーン率いるネイキッド・シティの結成メンバーで、さまざまなジャンルのミュージシャンと共演するビル・フリーゼル ©MMXVⅢ Sphinx Productions.
ジョン・ゾーン率いるネイキッド・シティの結成メンバーで、さまざまなジャンルのミュージシャンと共演するビル・フリーゼル ©MMXVⅢ Sphinx Productions.

イリノイ出身の兄妹バンド、ザ・ファイアリー・ファーナセスほかソロでも活動するエレノア・フリードバーガー ©MMXVⅢ Sphinx Productions.
イリノイ出身の兄妹バンド、ザ・ファイアリー・ファーナセスほかソロでも活動するエレノア・フリードバーガー ©MMXVⅢ Sphinx Productions.

80年代半ばにアイドル的な人気を博したチャーリー・セクストン。ボブ・ディランほか数々のミュージシャンと活動 ©MMXVⅢ Sphinx Productions.
80年代半ばにアイドル的な人気を博したチャーリー・セクストン。ボブ・ディランほか数々のミュージシャンと活動 ©MMXVⅢ Sphinx Productions.

ギターの音色をバックに、すべては穏やかな会話で進み、トラブルやハプニングは起こらない。誰も下品な大声は上げない。ネクタイを締めたビジネスマンがうっかり足を踏み入れても、リックはにこやかに礼儀正しく対応するのだが、決して波長を合わせない。ここは、開かれてはいるが、同じ文化や時間感覚を共有しない者は、いたたまれなくなって勝手に退散するような空間だ。観客である私たちも、その感覚を共有できるならば、なじみの店に立ち寄って、親しい友人たちの会話をその場で聞いているような気分になれるだろう。

リック唯一の弟子、シンディ。性別や経験を問わず、ギター作りへの情熱とその人物が放つ波長だけで見極めたのがリックの人柄を物語る ©MMXVⅢ Sphinx Productions.
リック唯一の弟子、シンディ。性別や経験を問わず、ギター作りへの情熱とその人物が放つ波長だけで見極めたのがリックの人柄を物語る ©MMXVⅢ Sphinx Productions.

リック・ケリー ©MMXVⅢ Sphinx Productions.
リック・ケリー ©MMXVⅢ Sphinx Productions.

個人的なことを言ってしまうと、長くルー・リードの音楽を敬愛しながらこの店のことを知らず、ニューヨークのダウンタウンに何度も行きながら店の前を通りかかることすらなかった。そんな自分の愚かさを心底嘆きたくなるが、人生の半ばを過ぎてこの映画に出会えたのは僥倖(ぎょうこう)と言うしかない。この映画を見て、この店を訪れるためにもう一度ニューヨークに行こうと思うお調子者は自分だけではないはずだ。

文=松本 卓也(ニッポンドットコム多言語部)

©MMXVⅢ Sphinx Productions.
©MMXVⅢ Sphinx Productions.

作品情報

  • 監督・製作:ロン・マン(『ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』)
  • 出演:リック・ケリー、ジム・ジャームッシュ、ネルス・クライン(ウィルコ)、カーク・ダグラス(ザ・ルーツ)、ビル・フリゼール、マーク・リーボウ、チャーリー・セクストン(ボブ・ディラン・バンド)他
  • 音楽:ザ・セイディーズ
  • 配給:ビターズ・エンド
  • 製作年:2018 年
  • 製作国:カナダ
  • 上映時間:80 分
  • 公式サイト:bitters.co.jp/carminestreertguitars
  • 第75回ベネチア国際映画祭 正式出品
  • 第43回トロント国際映画祭 正式出品
  • 第56回ニューヨーク映画祭 正式出品
  • 8月10日(土)より、新宿シネマカリテ、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー!

予告編

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