ジャ・ジャンクー監督:『帰れない二人』で描いた〈激動の21世紀中国〉と〈変わらぬ情の世界〉
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17年間の中国、男と女
物語は、北京五輪の開催が決まり、中国が世界貿易機関(WTO)に加盟した2001年から始まる。舞台は山西省の北部にある第二の都市、大同。山西省は中国最大の石炭の産地だが、当時は一時的に生産が低迷する過渡期にあった。また前年には、経済発展の遅れていた内陸地域を開発する大規模な国家プロジェクト、いわゆる「西部大開発」が始動していた。
炭鉱労働者の娘・チャオは、不動産開発業者の地上げに手を貸すヤクザ者のビンと派手な暮らしを楽しんでいる。やがて不良集団の抗争をきっかけに、2人の生活に突如として終止符が打たれる。その後は舞台を1500キロ近く離れた奉節へと移す。2006年、長江中流域に巨大な三峡ダムが完成した年だ。チャオは長江を下って、その町で発電関連の仕事をしているというビンを訪ねるが、5年の別離で生じた心の溝は埋められない。ビンの影を振り払うかのようにチャオは、奉節から内陸へ3000キロもある最果ての地、新疆ウイグル自治区のウルムチへと旅立つ。またしても歳月は流れ、ビンとチャオが再び巡り会ったのは、北京五輪や上海万博を経て、すでに中国が世界経済に占める地位を揺るがぬものにした2017年。もはや2人の関係はすっかり変わっていた…。
長編の劇映画としては9本目となる本作で、5度目のカンヌ国際映画祭コンペティション部門への出品を果たしたジャ・ジャンクー監督。今回、中国が21世紀に入って体験した激動の時代を、あえて男女のラブストーリーを通じて描いた理由は何だったのだろうか。7月下旬に来日した監督に話を聞いた。
「2001年(※1)に撮影した『青の稲妻』と、2006年の『長江哀歌(エレジー)』で描き切れなかった男女のラブストーリーに、いまもう一度向き合いたいと思ったのです」
今回の主人公チャオは、この過去2作品の登場人物の系譜を継ぐ女性として描かれたという。大同の時代は『青の稲妻』のチャオ、三峡の場面では『長江哀歌』のシェン・ホンが投影されている。演じるのはもちろん、同じチャオ・タオ。ジャ・ジャンクー監督の公私にわたるパートナーだ。彼女は来日中の記者会見で、当時と同じ衣装や小道具を用いて、その役に戻ったような感覚を味わいつつ、その2人とは別の新たな人物を演じたと明かしている。
監督が過去2作の登場人物を1人のヒロインの中によみがえらせながら、17年間という長い歳月の移り変わりを描こうとした意図はどこにあるのだろうか。
「人間の変化を表現するためには、ある程度の長い時間が必要であると感じました。かつて中国では、自己犠牲を惜しまず、相手のために尽くすことが男女間におけるスタンダードな愛の形でした。その後、政治、経済、社会が激烈な変化を遂げ、人々にも直接的に影響を及ぼす中、恋愛感情のあり方や表現方法も変わりつつあります。そんな状況で、これから自分はどう生きるべきか。それをマクロな視点で振り返ってみようと考えました。その方法として、長い年月の中で人間を客観的に観察し、映画として語りたいと。さらにラブストーリーを介することで、そういった社会の変化が、より一層浮き彫りにできるのではないかと考えたのです」
(※1) ^ 『青の稲妻』の公開は2002年
異なる時代の映像素材を駆使
年月の経過をリアルに映し出すために、ジャ・ジャンクー監督自身の手で過去に撮影してあった映像を使用しているのも、本作の大きな特徴だ。その時代ならではの風物や、現在の機材を用いたものとは明らかに違う質感が、絶妙にミックスされた映像になっている。
「編集や美術スタッフと話し合ったのは、車、バイク、道までもが当時と今では見た目が違うこと。なんといっても一番は、人々の顔つきでした。2001年当時、多くの人が今よりも貧しく、痩せていて、黒っぽい感じがしていたんです。撮影でその違いを表現するのは非常に難しいということもあって、思い切って過去の素材を織り交ぜることにしました」
これらの異なる映像素材に統一感を与えてくれたのが、フランス人の撮影監督、エリック・ゴーティエだと監督は言う。長編デビュー作の『一瞬の夢』からずっとコンビを組んできたユー・リクウァイが自身の監督作品の撮影でスケジュールが合わなかったためだが、この起用が功を奏した。
「当時は解像度も考えずに撮影していたので、あまり画質がよくなかったりもするのですが、そこにはちゃんと歴史的な手触りが残っている。それを使うことで、観客に対してもより説得力を持たせられると思ったんです。できる限り過去の画質とトーンをそろえ、時代の変化を伝えるために、新たなシーンは5種類のカメラを使って撮影しています」
流行歌を効果的に使うのはジャ・ジャンクー作品の特徴だが、この作品でも選曲によって時代を象徴的に表している。日本でもおなじみの洋楽のヒットソングのカバー曲のほか、登場人物の心情を反映したような歌詞の唄がここぞという場面で響いてくる。
「誰にもイントロを聴いただけで思い出がよみがえるほど強烈な印象を持つ曲がありますよね。流行歌を取り入れることで、観客を一瞬にしてその時代にタイムスリップさせる効果があると感じたんです。また、中国人には自分の本心を表現するのが苦手なシャイな人が多く、彼らの内に秘めた想いを表現するために、曲やダンスを使ったというところもあります。考えてみれば、14億人もの中国人の誰もが知っている曲があること自体、すごいことですよね」
リアリティーを追求した本作の中でひときわ異彩を放っているのが、チャオが1人で新疆を訪れた際に、UFOを目撃する場面だ。SF的な要素が突如混入してくることに一瞬戸惑うが、なぜか観客の張り詰めた気持ちに救いをもたらすシーンになっている。
「このときチャオは、非常に複雑な精神状態に置かれています。彼女は長年、父親や恋人のビン、裏社会の義兄弟たちと、面倒な人間関係を何とかうまく処理しながら必死に生きてきました。自分自身と向き合う時間がほとんどなかったわけです。でも新疆の満天の星空の下、彼女はUFOと遭遇する。『自分とつながった世界がある』とチャオが改めて認識することで、その後の人生も強く生き抜いていけるということを示唆したかったんです」
燃え尽きても残る情
日本では『帰れない二人』というタイトルで公開されるが、中国語の原題『江湖儿女』や、監督自身が考えたという英語タイトルの『Ash Is Purest White』(灰は何よりも純白)には、どんな意図が込められているのだろうか。
「江湖という言葉には、川と湖という意味のほかに、義や侠の精神を尊ぶ裏社会の意味があります。中国人なら誰もが知っている言葉ですが、なぜこの漢字が使われているのかは分かりません。江湖には、故郷を捨てて各地をさすらうという意味もあり、さらにはその道中で出会う人間関係も含んでいます。『人がいるところには必ず江湖あり』という言葉があるのです。儿女には『愛し合い憎しみ合う男と女』という意味があります」
「英語タイトルはものすごく悩みました。チャオとビンが火山を見に行くシーンがあって、そこに『火山灰は高温で熱せられているから純化されている』というセリフが登場するんです。ビンに対するチャオの想いは打ち砕かれたわけですが、そこにはまだかすかに情が残っている。その残った情こそ最もピュアである。そういった意味を込めました」
映画を通じて、自らが生きてきた時代や、その時代の愛の形を記録し続けるジャ・ジャンクー監督。これからさらに激動の時代が到来しそうな予感の中、彼が見据える未来には果たしてどんな景色が広がっているのだろうか。その彼方へとチャオとビンが歩んでいく後ろ姿を、ずっと見つめ続けたい気がした。
インタビュー撮影=花井 智子
取材・文=渡邊 玲子
作品情報
- 監督・脚本:ジャ・ジャンクー
- 出演:チャオ・タオ、リャオ・ファン
- プロデューサー:市山 尚三
- 撮影:エリック・ゴーティエ
- 音楽:リン・チャン
- 配給:ビターズ・エンド
- 製作年:2018年
- 製作国:中国=フランス
- 上映時間:135分
- 公式サイト:http://www.bitters.co.jp/kaerenai/
- 第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品
- 第54回シカゴ国際映画祭監督賞/女優賞受賞
- 9月6日(金)より、Bunkamuraル・シネマ、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!