映画『人生、ただいま修行中』:フィリベール監督「出会いと成長こそドキュメンタリーの命」~河瀬直美と語る
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ドキュメンタリーの力とは
2002年にカンヌ国際映画祭に特別招待され、フランスで200万人近くを動員、ドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットを記録した『ぼくの好きな先生』。その名作を監督したニコラ・フィリベールの最新作が『人生、ただいま修行中』だ。
日本での公開(11月1日~)に先駆け、フィリベール監督が10月上旬、11年ぶりに来日し、河瀬直美監督を招いてのトークイベントに登場した。2人の縁は、1997年のカンヌ国際映画祭が始まり。審査員の1人がフィリベール監督で、河瀬監督の『萌の朱雀』を強く推し、同作品がカメラ・ドール(新人監督賞)を獲るに至った。2人が顔を合わせるのは、2007年のカンヌ以来だという。
河瀬監督もデビューはドキュメンタリー作品。その後多くのフィクションを手掛けてきたが、クローズアップの長回しを多用して人物を捉え、リアリティを追求する監督として知られる。出演者には、自然に役柄と一体化するよう、撮影に入る前の数カ月にわたって登場人物と同じ環境で生活してもらうことも少なくない。
二コラ・フィリベール 私たちはまったく異なる映画を撮っていますが、その根底にはかなりの共通点があります。それは、撮影の対象となる人々と一緒に、さまざまな場を作り出していくということです。ナオミは役者に、私は市井の人々に、かなりの自由を与えながら、計画を実現していく。つまり書かれたプランはあるのですが、大部分はその場の即興になる。私たちはどちらも、プランにとらわれることなく、撮影しながら作っていく喜びを感じているのです。
河瀬監督も、2人が作品を生み出す喜びを「驚きや発見の中で、自分も成長していくこと」で共通していると捉える。そして、自身の作品についてフィリベール監督から評価されたポイントが「対象をコントロールしようとしない」ことだったと振り返った。これについてフィリベール監督は、こう語って共感を示した。
フィリベール 私たちのアプローチはともに、予想外の展開や偶然を織り込むということです。人生や出会いの偶然です。カメラの前にいる人物が、想定と違ったことをしても、そのままにさせておく。もし、この日に何と何を撮る、という風にすべて計画通りに進めて映画を作らなければならないとしたら、うんざりしてしまうでしょう。だから撮影クルーは小さい方がいい。そして登場人物には、欲するがままに振舞ってほしいんです。
河瀬直美 普通なら、撮影する相手の日常にカメラが介在することによって、ある種の武器、脅威として作用し、日常ではなくなってしまう。ところが二コラの作品では、「カメラが本当にあるのかなと思うくらい、人々が自然に、日常通りに会話をしている。そこまでの関係性を結ぶことがとても大切なんですね。
フィリベール まさにその通りです。私は出会いを求めて映画を撮っているようなところがある。社会学者のようにただ観察するのではなく、同時代の人々の間に入っていって、カメラでその存在を明らかにしていくのです。
映画は出会いと成長の場
これまで、『音のない世界』(92年、日本公開は95年)で耳の不自由な人々の間へ、『ぼくの好きな先生』で小さな村の1クラスしかない学校の生徒たちの間へと入り込んだフィリベール監督。最新作では、看護師をめざして悪戦苦闘する若者たち、それを見守り指導する教員やカウンセラー、病院で手当てを受ける患者たちと過ごした。
フィリベール テーマを聞くだけだと、教育映画のような印象を受けるかもしれませんが、私たちみんなに関わる内容です。どんな国にも看護する人がいて、病人や高齢者など、看護や介護を受ける人がいる。「ケア」を看護と言うと医療に限定されますが、もっと広く「世話」とも言える。あるいは人に対して「注意を払う」ことです。これは生徒と患者を通して、人と人との関係を扱った作品なのです。
撮影は5カ月の間、不定期に40日間かけて行われた。フィリベール監督が「自分にも出来そうな気がする」と笑うほど、注射の場面をたくさん見たという。たどたどしい手付きで採血の練習をしていた生徒たちが、いつの間にか実習生として現場に放り出されていく。当然、誰もが最初から完璧にできるはずもなく、悔し涙を流すシーンも登場する。
河瀬 この映画は、若者たちの成長物語とも言えますね。注射が打てるようになるといった表面的なことではなく、それを通して人間としての見えざる心の成長を描いている。この映画の舞台は看護学校ですが、人生のさまざまな場面に成長の瞬間があって、そこにカメラを介在させて私たちに伝える、そんな至難の技をやっているんだと思います。
フィリベール 私やナオミのような監督にとって、映画も「ケア」です。人との関係に、観客に対して、細心の注意を払って作る。それは観客が映画を観て自由に理解し、考える力があるのを知ってのことです。多くのハリウッド映画のように、観客を人質にとってしまうようなやり方ではなく。
河瀬 映画は撮る対象があって、計画を立て、お金もかけて作るものですが、やはり作り手にとって一番なのは観客に届けたいという思いです。作品のテーマをどこまで(他人事でなく)「自分事」として考えられるか。社会や流行が欲するものを作るだけでは、映画が消費されて終わってしまう。生きるのに一番大事なものが何かを考えず、心を失くした状態で作った作品は貧しい。経済では測れない豊かさが人間社会の中にあるはずです。それが芸術であり、映画だと。だからこそ私は、人生をかけて映画をつくりたいと思っています。
フィリベール 私にとって映画とは、この世界でともに生きる人々と出会うことを可能にしてくれるものです。私も多くの人と同じように、他者へと歩み寄ることに恐怖を感じる。でも映画のおかげで私は人々に近寄っていけるんです。そしてこの世界について、もう少し理解を深めることができる。映画作りにおいては、常に確信よりも疑問の方が大きい。表現したいという欲求よりも、恐怖の方が強い。でも映画はそれと戦う力を与えてくれます。ナオミが最初に言ったように、発見の中で自分も成長していける。私も絶えず学んでいて、いまも人生の修行中なんです。
取材・文・撮影=渡邊 玲子
フランス語和訳=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 監督・撮影・編集:ニコラ・フィリベール
- 製作国:フランス
- 製作年:2018年
- 上映時間:105分
- 配給:ロングライド
- 公式サイト:longride.jp/tadaima/
- 11月1日(金)新宿武蔵野館他全国順次公開